第11話 地下大迷宮
ノクターンの放送によると、次の授業相手――イズルの『部屋』は理科室にあるらしい。
『この学校に仕掛けられた数々のトラップは、我とイズルが仕掛けたもの! イズルが備えし機略は六不思議でも随一! 多くの学びを得られるかもしれんなファーハハハ!』
ノクターンはご機嫌に紹介してくれたが、ネレにとっては緊張の助長でしかない。
腕をはじめ、昨日の怪我のほとんどは、トラップにかかり続けたからだ。
しかもネレに対し、明確な敵意を向けている。素直に属性を教えてくれるとは思えない。
「一筋縄ではいかないかも……」
というか、自分は生きて戻って来られるのだろうか――理科室のドアを恐る恐る開く。
ぱっと見は、普通の教室だ。黒板、並んだ机、棚には薬品、隅には人体模型、体重計。
「誰もいない……?」
出入口付近からでは、イズルの姿は見えない。どこだろう――と踏み出した矢先だった。
ふっと視界が下がる。踏み込んだはずの足先は、空気をむなしく掻いた。
「えっ」
床が抜けたのだ、と理解した直後には、身体はすでに自由落下を始めており。
ぽっかりと開いた穴に吸い込まれる。コンクリートらしき硬い壁にあちこちを打ち付けながら、体感何メートルも一気に落ちて。
冷たい床に叩きつけられ、ようやく止まった。
「くぅ……」
押し潰された肺から吐き出される息とともに、無意識にうめきが漏れた理由は、突如墜落させられた痛みか、あっさり罠に引っかかってしまった己への憤りか。
一応受け身は取れたし、身体も確認したが大きな怪我はない。
上体を起こし、あたりを見回す。小さな電球が天井についているだけで、かなり薄暗い。
無機質な灰色の壁と床に囲まれた正方形の部屋で、他に物は何も見当たらず、殺風景だ。
「……イズルなんでしょ。こんな事するの」
ジトついた目で口をとがらせると、その問いに応えるみたいに、奥の天井が機械音を立てながら回転して開き、一枚のモニターが下がってきた。
『フッフッフッ……今のはほんの挨拶代わりだ、氷澄ネレ!』
一瞬のノイズを挟んで映し出されたのは、ある意味予想通り、イズルの姿である。
「ノクターンみたいな登場シーンと笑い方だね」
『あんな中二と一緒にするな!』
ジャブのつもりで挑発してみると、結構カッとなった感じで怒られた。
『……ごほん。見ての通り、ここがオレの部屋。さっそくの歓迎、気分はどうだ』
「寒々しい所に住んでるんだね」
『いやここに住んでるわけじゃないから! どう見ても住めないだろこんな場所!』
「授業はこれでもう終わりかな。帰っていい?」
『これで終わりだったらオレどんだけ寂しい奴なんだよ! ただの一発屋じゃん!』
「紹介したノクターンにも飛び火するよね」
『いいからもう黙ってろ! お前……思った以上にむかつくな!』
余裕を失くし、ぜえはあと肩で息をしながら抗議するイズル。
少なくとも、会話の主導権という意味ではネレも負けてはいない。
『……ふん! だけど圧倒的に優位なのはこっちの方だ! この現世人め!』
「うん」
『ノクピーはお前を気に入ってるみたいだが、オレは容赦しないぞ!』
「シーラからも容赦されなかったよ。仮面割ってやったけど」
『――か、仮面を!?』
イズルは打たれたみたいに動きを止め、目を見開く。
『あの仮面はシーラの一番のお気に入りなのに……なんて事したんだよ、お前』
確かに、半分とはいえ割られた直後のシーラは、鬼気迫るというか、込み上げる何かを懸命に抑えている風だった。ノクターンの放送が間に入らなければどうなっていたか。
「……悪い事しちゃったかな。後で謝りたい」
『バカめ! 後なんてお前にはないぞ! 何せここで朽ち果てるんだからな!』
イズルがぱちん、と指を鳴らす。
するとネレの後方の壁と、モニターの奥側の壁が、ゆっくり開いていく――。
『外敵滅殺用のレベル三トラップは、ノクピーが怒るから使わないでおいてやる。温情だ』
「……感謝するよ」
『ヤクモ! サギリ! 来い!』
イズルが呼びかけると、背後の通路から、何かが近づいてきた。
うなりにも似た電子音を鳴らしながら現れたのは、二体の犬型ロボットである。
大型犬を想定したかのように、白色の装甲で固めたガタイはいかつい。歩行するごとに関節内部から駆動音が響き、足音も大きいが、動きにぎこちなさはなく、しきりに滑らか。
頭部から肩部、脚部へ至る外装部位《フレーム》はそれぞれ赤と青で塗装されており、シルエットこそ似通っているものの、その二体が個性づけられた機械である事は判別できた。
『獲物を引き裂け!』
イズルの指示が送られるや否や、顔面に組み込まれたバイザー状の黒い視覚素子が、キランと光り。
命令文がアルファベットで高速表示され――次の瞬間、二体が飛び掛かってきた。
『もしも生きて最下層まで辿り着けたら、オレの得意属性を教えてやるよ!』
イズルの哄笑とともに、モニターが引っ込んでいく。
「……得意属性、もう察しはついてるけどね」
『えっ』
モニターが収納されるのを待たず、ネレは奥に出現した、さらに下層へ続くと思われる通路へ飛び込もうとする。
「ガウガウガウ!」
「グウウゥッ!」
だが、二体のロボットは猛然と突貫し、ネレへ猛然と飛び掛かってきた。
ネレは軸足を重心に、即時転回して振り返る。
同時に作り出した血の剣を胸の前に掲げると、直後に赤色のロボットが前脚を振り下ろし、芯まで響くような衝撃が剣を襲う。
「重い……! たった一発で、剣にヒビが……っ!?」
機械とは思えぬしなやかな動きから繰り出される、重量を乗せた凄まじい一撃。
しかも機械犬は大口を開き、鈍く輝く鋼鉄の牙でもって、ネレの剣へ食らいつく。
慌てて両手で剣を支えるが、紅の刀身にみしみしと音を立てて白いヒビが広がり、今しも砕かれそうな勢いだ。
さらに、横合いから青色の犬も襲い掛かってきた。ネレの両手は塞がっており、これ以上のチャンスはないと見たのだろう。
「でも……っ!」
ネレは背後の壁に背中を預けて体幹を支え、片足をまっすぐ振り上げる。
ローファーをぶち抜き、足先から二本目の血剣が飛び出し、飛び込んで来る青色の犬を真下から蹴り上げた。
キャン、と可愛らしい悲鳴を上げ、青い方は軽く吹っ飛んでいく。
だが赤い方はいまだ、ネレの血剣を執拗に噛み続けており――。
(噛み砕かれる……!)
あえなく、切っ先が食いちぎられた。紅の破片がむなしく散っていく。
「ガアァァウッ!」
赤い方は勝ち誇ったみたいに赤い方が吠え、改めてネレの首筋を喰らおうと、破片の残った口腔を開き――。
「私の血……もっと食べていいよ」
それに合わせ、ネレは一気に剣の内部へ自らの血液を大量に注ぎ込む。
駆け上がる血液の奔流が、食いちぎられた先端の穴から噴出。
引き絞られた水圧がロボットの顔面をぶっ叩き、したたかに怯ませた。
その間にネレは、通路側へ逃げ込む。
「グウウゥッ!」
二体のロボットもすぐさま追ってくるが、彼らのサイズは大型犬級。
壁が邪魔で互いの身体がつっかえてしまい、思うように進めなくなったのである。
二体はお互いを押しのけて進もうとするも、無理に同時に突っ込もうとすればするだけ、より絡み合うだけ。
「ガウッ!」
「グアァァァッ!」
苛立ちが頂点に達したのか、ついにはもつれ合い、殴り合い、足を引っ張り合い始める始末だ。
「……ちょっと可愛いかも」
二体がもたつく隙を突き、ネレは少しずつ後退し、距離を開けていく――。
通路は曲がり角があったり、段差があったり、階段があったりと複雑に入り組んでおり、その上どの場所も似たような素材の床や壁のため、見分けがつきにくい。
地図なども存在していないため、純粋に記憶力が必要だった。
トラップも次から次へと襲ってくる。犬型ロボット二体はからくも振り切れたものの、吊り天井が降ってきたり、鉄球が転がってきたり、矢が飛んで来たり、煙幕が焚かれたり、閉じ込められたりと、実にレパートリー豊かである。
「理科室に迷宮作るなんて、流石六不思議……」
学校の罠も巧妙であったが、その場所の景観や雰囲気を損なわないような配慮があった。
けれどこの『部屋』はもはや、侵入者の排除のみに特化した、言うなれば要塞。
行く先々に仕込まれた罠をかろうじてかいくぐりつつ、ひたすらに下を目指す。
制限時間は一時間だが、早く突破しなければ確実に体力が保たない。
一体どれだけ降りて来たか。ふと通路の向こうから、光が漏れているのが見えた。
あれも罠かも知れない、と足が止まりかける。
安全地帯があると思わせて、そこはもっと悪質なトラップだった――という悪辣なタイプの罠にも、この迷宮で何度も遭遇したのだ。
油断する事なく、通路の奥にあるドアへ手をかけ、押し開く――。
するとその先にあった光景に、ネレは思わずあっけにとられた。
薄いピンクを基調とした壁や窓、カーテン。
丸みのある机には動物が描かれたクロスがかけられ、カーペットの上にはふかふかな二つのクッション。ぬいぐるみの乗ったソファ、衣装棚、化粧台など、いかにもな女の子の部屋が出迎えたのだ。
「ようこそ」
そして、当の部屋の主――イズルは、リクライニングチェアに深く座り、テレビの前でコントローラーを握って、何かのテレビゲームをプレイ中である。
「ちょっと待って。もう少しでこいつ倒せるから」
「あ、う、うん……」
せっかくここまで来たのに素っ気ない上、ネレの事なんてどうでもよさそうだ。
何かの罠か、とも思ったが、イズルからそんな雰囲気は感じられない。
どっと押し寄せて来た疲れに背を押され、柔らかそうなソファーに座る。
ふと、部屋の隅で、あの二体の犬型ロボット――名前はヤクモとサギリだったろうか――がだらしなく寝そべっているのが目に入った。
あくびをしていたり、後ろ脚で顎を掻いたりと、先ほどまでネレを脅かしていた動作も緊張も何もなく、スイッチがオフになったみたいにだらけきっている。
(可愛い……)
その隣の棚の上には、写真がいくつか立てられていて、イズルや、他の六不思議メンバー、ヤクモとサギリの姿が映っていた。
日常を撮影したものなのか、皆並んでいたり、時には遊んでいる最中、といった構図だ。
イズルとイツハのツーショットも数多い。
みんな屈託ない笑顔を浮かべていて、楽しそうだった。侵入者と戦っていない時は、こんな風に過ごしているのだろうか。ちなみにシーラはこの時も、ずっと鬼武者姿である。
ただ、撮影された場所は、まだネレの知らない教室や施設もあるだろうが――恐らくはどれも校内のもの。
彼女達は――六不思議は、学校から出られない事をどう思っているのだろうか。
「よし、ハイスコア!」
イズルが嬉しそうな声を上げ、コントローラーを叩きつける。
画面にはスコアが表示されており、一番上にはイズル。他を大きく引き離しての得点だ。
二番目の名前は『闇の支配者』……多分ノクターンのはず。
ほぼ横並びでメア、やや遅れてイツハ、キョータと続き――シーラは断トツで最下位だった。ほとんど点が取れていない。
「……この部屋って」
「オレとイツハが寝泊りしてる所。そっちにお風呂とか、寝室とかある」
顎をやって促された位置には、確かにファンシーなハート柄のドアがあった。
「イツハも……なんだ」
「家庭科室はイツハの『部屋』だけど、寝る時はこっちに戻ってくるわけ」
「あんなにトラップがあるのに……?」
「隠し通路でショートカットしてるに決まってるじゃん。イツハにあんなとこ通らせたら死んじゃうよ」
ネレは別にいいのだろうか。抗議したいがぐっとこらえる。
「六不思議って、やっぱりみんな仲がいいんだね」
棚の上の写真達へ目を移すと、イズルはちょっと照れたように斜め下を向いて。
「ずっと一緒にいるから、まぁそれなりには」
「その前は、どうしてたの?」
「別に……普通に生きてたよ」
「生きて?」
なんとなく、六不思議は最初からそういう、説明不可能な存在なのだと思っていたが――違うのかも知れない。メアやイツハ、シーラと過ごして来て、そんな考えが生まれる。
「もしかして……元々は、人だったの?」
「じゃあなんだと思ってたのさ」
イズルはネレとは逆側へ視線を投げる。
「今は……死んでるけど。多分。だからここで生活できてる」
死んでいる。それは初めて耳にする情報であった。
「どうして、そんな……」
「わかんない。その時の記憶も全然なくて」
「――記憶が、ない……?」
「けど、そこにノクピーが現れてさ……」
「ノクターンが……?」
「オレを、連れ出してくれたんだ。お前にはやるべき使命があるって、新しい生き方を教えてくれた。だから……まぁ、今は感謝してる、かな」
イズルはどうして死んだのか。イツハも一緒だったのか。ノクターンはなぜ現れたのか。
もっとよく聞きたいが、イズルの声の調子や表情から、そう気軽に突っ込めないような、重大な事柄であるのはなんとなくうかがえた。
「ひょっとして、他のみんなも……?」
「そうだよ。六不思議は全員、死んだ人間。だから老いもしないし、お腹もすかない」
薄々は察していたけれど――やはり実際に聞かされると驚愕だった。
あのさ、と今度はイズルの方から、射るような眼差しを送って来る。
「お前の目的って、一体なんなわけ? 六不思議を排除して、何の得があるんだよ」
「……別にあなた達をどうこうするとか、そういうつもりはないよ」
「ノクピーから聞いた。オレらのせいで、迷惑してるらしいじゃん。だけど、それがそんなに大変な事? お前にとって、怪我した奴らは全員他人なのに。勝手に助けるとか」
信じられない、とイズルはクッションを抱いて、顔をこすりつける。
「他の連中がどうなったって、どうでもいいじゃん。大切な人達さえ、守れるならさ……」
ネレにというより、まるで自身へ言い聞かせるような、静かな口調だった。
「イズル……私は」
「――火属性」
え、と目を瞬かせるネレに、イズルは仏頂面を向けて来る。
「オレの得意属性。手加減してやったとはいえ、お前が迷宮を突破したのは事実だからさ。その実力だけは認めてやるよ」
イズルが自ら属性を明かしてくれた事。六不思議について、少しだけ教えてくれた事。
ほんのわずかだけれど――イズルと仲良くなれた気が、ネレにはした。
「まぁ想像はついてたけど」
「うるさいな!? ていうかそもそもお前、先生に対して態度がでかいんだよ!」
「授業相手ってだけで別に先生じゃないよね」
「く、口の減らない奴ぅ……! くそぉ! やっぱり教えるんじゃなかった!」
(面白い……)
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