第14話 停戦協定

「ノクターン」


 呼びかけながら生徒会室の扉を押すと、施錠されていなかったのか、抵抗なく開いた。


「のわっ!? だ、だれっ!?」


 と同時に、ひっくり返ったようなノクターンの声が続き、ばたばたと中で音が続く。

 何事かと踏み込めば、室内には宣言通り、ノクターン一人だけが座って待っていた。


「むむむ……残り一枚で塔が完成したのだが」


 ところが当の本人は、口をへの字に曲げて頭を傾け、机へ目を注いでいる。

 机の上には雑多に散らばったトランプ。直前までトランプタワーを作っていたのだろう。


「……ごめん。時間が限られているから、焦ってて」


 ちらり、と部屋の時計へ視線を投げれば、ちょうど十一時。


「まぁ構わないさ。ほんの手慰みに数分、戯れていただけ……」


 ノクターンは溜息をつきながらトランプを集め、再びタワーを作り始めた。


「氷澄ネレ。まずはお疲れ様というべきかな? 六不思議と過ごす時間はどうだった」

「みんなの事を、昨日よりも深く知れたと思う。苦労はしたけど……」

「よろしい。では改めてルールのおさらいをしようか」


 ノクターンが目を細める。


「我々は要望を通すため、ある勝負に臨んだ。その内容とは、氷澄ネレが六不思議達の『部屋』で一時間ずつ授業を受け――その中で入手した情報から推理し、得意属性を当てる事」

「うん」

「一人でも回答を間違えれば、その時点で我――つまり六不思議側の勝利となる。勝負がグダるのを防ぐため、零時までという時間制限も設けている」

「うん」

「零時になった時点で、氷澄ネレは強制的に異界から排除される。それを境に、我々の関係もオシマイという事だ」


 とはいえ、とノクターンは壁の時計を一瞥し。


「今回は我も大いに期待している。現世の者達は異界へ出入りする方法は噂で知っていても、数時間で強制排除される事まではほとんど知らない。なぜか分かるか?」

「……なぜ?」

「――我らに追われ続けて、零時まで耐えられる者はまずいないからだ」


 早くもタワーが一段完成し、ノクターンが喉の奥で笑った。


「前口上が長くなったな。さぁ、この五時間で得た答えを、ぜひ聞かせてもらおう」

「順番は誰からでもいい?」

「問題はない」

「なら――イズル。得意属性は火。本人の申告だよ」


 ネレはイズルの『部屋』や、そこで起きた出来事を思い返しながら告げた。


「だが、嘘をついている可能性もあるぞ」

「……昨日、イズルが手から電撃を発射するのを見た。雷は熱源だから、火属性に該当する。遠くのプール制御盤を動かしたし、『部屋』でも、電子機器で動く仕掛けや監視用のモニターが存在している」


 それらを賄うには、学校の電力を引いて来るだけでは到底足りまい。


「なるほど。……正解だ」

「次は、シーラ。得意属性は風。空気を歪めたり圧縮したりして、戦いへ転用していた」

「正解だ。シーラの魔法は戦闘特化。それを引っ張り出させるとは、やはりやるな」

「イツハは火。これも本人の申告」

「理由や根拠を聞いても?」

「……嘘ではない、と思う。だって……私の傷を治してくれたから」


 するとノクターンは小さく笑み、正解だ、と頷く。タワーは二段目が完成した。


「メアの得意属性は光。……現世との連絡も取れるんだね」

「そう自由に動けるわけではない。外との通信を確立するだけでも、何十年とかかったさ」


 これも正解という事だろう。残るは――。


「……キョータ」


 追憶らしきあの体験から立ち戻った時、音楽室にはすでに、キョータの姿はなかった。

 ピアノは開いたままだし、得意属性も教えてもらえなかったが、嫌われたという感じではもない。

 そもそも、今までのキョータの立ち振る舞いからして、ピアノの巧さのみならず、ひいては音楽そのものへのリスペクト精神が感じられた。

 そんな彼が、楽譜や消灯など片付けもせず、放り出して出ていくとは考えにくい。

 今のネレには想像だにできないが――何か、キョータにとっても予想外の事態が起きていたのかも知れない。


「……キョータは鏡の中を動ける。鏡から鏡へも移動できる。鏡に映った物体に触れたりして干渉すると、鏡の外の物も同じように動く」

「その通りだ。よく観察しているな」

「全ての魔法属性が引き起こす現象には、適性が存在する。例えば火属性なら瞬間的な破壊と再生が得意だけれど、継続性に欠ける上、魔力の消費も激しい、といった具合に」


 あの鏡のトリックは、とネレは考察を続ける。


「……魔法で鏡の中にもう一つの空間を作り、不可視の壁でこちら側と隔てたんだと思う」


 レイヤーを切り替えるように、空間の中にさらに空間を重ねたのだと、ネレは見ている。


「……空間を操るのに、特に適した属性は……闇」

「絞り込めて来たようだな。魔法についての造詣もある、感心したぞ」


 ノクターンは落ち着き払って頷き、全面的に同意するような姿勢を示しているものの。

 その目は作成中のタワーへ注がれたままで、ネレの方はまったく見ようとしない。


「でも……私はどうしても、それらの力が、キョータの魔法によるものとは思えなくて」


 ネレの思考に、霞がかったみたいな迷いがよぎる。


 ――キョータが披露した怪異が鏡のみであるなら、話は簡単だったはずなのだが。


「ほう……? シャープな推理に感じたのだが、自らそれを放り出すのか?」

「放り出すわけじゃない。あの空間が魔法で造られた代物なのは間違いないはず」


 そして、とネレはノクターンを見据える。タワーは最上部を残すのみとなっていた。


「得意属性が闇なのは……ノクターンもだよね」


 基本的に、魔法というものは、効果や範囲、持続時間が大規模なほど、扱うには大変な習熟が必要となる。

 学校という限定された場とはいえ、多くの『部屋』を生み出せるノクターンの実力は、どう控えめに見積もってもランク3級は確定であろう。


「……一つだけヒントをやろう。確かに我なら、やろうと思えば、鏡の中だろうと『部屋』を滑り込ませられる」


 でも、とネレは首を横に振り、自分で打ち消す。


「多分、これも違う気がする」

「なぜだ? キョータが鏡を移動できるのは我がシャドウのおかげだからで、真の得意属性を隠蔽するためのミスリードである可能性とてあるぞ」

「だって……メアが言っていた」


 ――六不思議一人一人のためだけの、不変の設備にして、聖域なんです。


「多分、あなた達にとって、『部屋』はプライベートな空間であるとともに、何か特別な意味のある、大切なものなんだと思う」

「ゆえに、一人につき一つ……そんな印象を受けたと」

「それに、そもそも……キョータの『部屋』は鏡の中じゃない。――音楽室だから」


 なるほどな、とノクターンは、ナイフを持つ道化師が描かれたジョーカーを置き。


「よし、完成だ!」


 声を弾ませた。


「さて、氷澄ネレ。鏡の謎に一段落ついた所で、そろそろずばり、答えを教えてもらいたい所だが」


 置いた手を、そのまま目の前まで持って来て、手カメラ越しにネレを見て微笑む。


「キョータの得意属性は……」


 侵入者にとって、キョータは六不思議の誰よりも、ぶっちぎりで謎めいた存在。


「――分からない」


 ノクターンが勝負の最後に控えさせていた理由は、キョータだけは絶対に突破されないという、自信があったから。


「いくら考えても、私には分からなかった……」


 絞り出すように発したのは、事実上の敗北宣言。


(私の知らない、もっと複雑で高度な魔法が関わっているのかも知れないし、他の理由があるのかもしれない……)


 六不思議は、依然として謎だらけだった。


「では……勝負から降りるという事だな?」


「待って」


 そこで、ネレは遮る。


「確かに得意属性は特定できなかった。けれど、負けを認めたわけじゃない」

「これはおかしな事を言う。最初からそういう条件で、とあなたも承諾していただろう」


 この学校には、至る所に監視カメラが仕掛けられていた。

 当然ノクターンも、各所で起きている出来事は把握しているだろう。

 けれど、聖域である『部屋』をも侵害するほど、徹底しているとは思えない。

 きっとノクターンは、ネレとキョータの授業内容までは知らないはず――。


「私、キョータと一緒に楽器で演奏したんだ。そうしたら……突然思い出が蘇るような、むしろその中に取り込まれるような、おかしな事があった」


 姉やノクターンも登場したが、視点からしてそれぞれネレの過去、キョータの過去で間違いあるまい。


「……そうか。見たのか」


 ノクターンの顔から笑みが消え、何か思案するみたいに顎へ手を添え、視線を逸らす。


「実はあの体験こそが、キョータの魔法によるものだったのかも知れない。それに……」


 とりわけ気になったのは、キョータの過去で見た屋敷や、現れた人物達――。


「一番奇妙だったのは、あの場所。そこで……イズルの話を思い出したんだ」


 イズルによれば、六不思議達は生きた人間が死亡し、学校に留め置かれているらしい。


「あの記憶で見た時点では、キョータやノクターンは、まだ死んでいなかった」


 それどころか二人は知り合いだった。素性や関係性は朧げでも、その一点は感じ取れた。


「男の人が、キョータに向けてちらりと言ってた。――食伏のせがれか……って」


 途端、ノクターンの双眸がわずかに見開かれる。核心を突いた感触があった。


「キョータの本名は……食伏キョータ。食伏、って姓は、私も何度もこの町に来てるから、聞いた事くらいはあるよ。昔この地方で、何かの事業に成功した一族の末裔だって――」


「――分かった。もういい」


 それまで黙っていたノクターンが口を開き、静かだけれど断固とした口ぶりで制止する。


「……ふはは。実に驚かされたよ、氷澄ネレ」


 ノクターンは少し疲れたみたいに背を向け、窓へ歩み寄っていく。


「やれやれ……得意属性どころか、より深い事柄について知られてしまったらしい」

「……隠しておきたかったのならごめん。私も知りたいわけじゃなかった」

「構わないさ。あなたに見せたのなら、つまりはそれがあの子の意思表示という事……」


 そう語るノクターンの横顔は、月明かりに照らされ、どこか寂し気に見える。


 時計の秒針が硬質な音を立てて進むだけの、ただ長い沈黙が続く。

 あの現象や、そこで見たものについて、ノクターンは話すつもりはなさそうである。

 やはり六不思議の秘密に迫る、何か重大な証拠につながる光景だったのだろう――。


 長針が幾度か鳴り、三十分を過ぎたあたりだった。


「……引き分け、だな」


 ぽつりと、ノクターンが呟く。


「え……?」

「勝負の結果だ。あなたさえよければ、次に持ち越し、という形で今回は収めないか?」


 見ればノクターンはこちらへ振り向き、いつもの自信ありげな笑顔を浮かべていた。


「でも、私は……勝利条件を満たせなかった」

「代わりに、我が予想していた以上の学びを得た。これが本当の授業だったら、秀才の名をほしいままにできるほどにな」


 口角を上げ、ニマニマとこちらを見つめて来る。

 その真意は不明だし、勝てなかったのは残念ではあるが、代わりに敵対もしない結果にとどめられたのだ。

 一時休戦であれば、また挑めばいい。これはそのチャンスなのだ。

 ネレもつられて、小さく笑った。


「……うん。次こそ、決着をつけよう」

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