二章

第15話 負けず嫌い

「マジで入れた……」


 四時四十四分。静まり返った暗い校庭を、伊予原はへっぴり腰で歩いていた。


「てか、急に夜だし、人も消えたし、どうなってんだよ……」


 七不思議と会える――そんな噂自体は広まっているものの、実際に侵入した者が具体的に何を目撃する事になるのか、詳細な情報まではそこまで出回っていない。


「うぅ……こえぇな。けど氷澄の奴、今日も行くって言ってたしな……」


 七不思議について聞かされてから、ネレは連日、ここへ通っているという。

 危険だろうから自分も同行を申し出はしたものの、やんわりと断られてしまった。


「けどよ……ヤバイのが分かってるってのに、見て見ぬふりはもうできねぇって」


 だから、勇気を出して踏み込んでみたのだが、予想以上に気味が悪く、正直帰りたい。


「お、おーい……氷澄……?」


 ネレはすでに来ているはずだが、正面玄関前で呼びかけてみても、何の反応もない。


「やっぱ、中に入んないと、ダメか……」


 恐る恐る、校舎内へ入る。靴を履き替えているような余裕はなかった。

 目の前には二階へ続く階段。両脇には廊下がそれぞれ伸びていて。


「――キャハハッ」


 一瞬、右手側の廊下に、小さな人影が笑いながら走り抜けていくのが見えた気がした。


「うおぉっ!?」


 心臓もろとも跳ね上がりながら振り返るが、廊下には影も形も、気配もない。


「な、なんだよ……!? み、見間違いか? それとも……マジで、七不思議が――」


 肩で息をしながら、正面階段へ視線を戻した矢先。

 突如として真上から何か、白い人型めいたものが落下して来た。

 布っぽい部位のそこかしこに、切り込みを入れた風な空隙が見受けられる、奇怪な何か。


「へっ……?」


 思わず間抜けな声が出る伊予原をよそに、白い人型はその場でもぞもぞと蠢いたかと思うと、こちらを向く。

 頭部と思われる細い部分には、鮮血を思わせる、真っ赤な液状の何かが垂れ落ちていて。


「オォ……グアァァ……!」


 トドメとばかりに、そいつは傘でも広げるみたいに大きく横へ広がり――ちょうど目のあたりに入った空隙から、青い眼光が鈍く光って。


「で……出たあぁぁぁぁーっ!?」


 そこで全てが限界に達した伊予原は、身を翻して逃げ出したのだった。




「い、今の……ごほっ。い、伊予原くん、だよね……」


 ネレは身体をくねらせ、なんとか全身にかぶせられたフードを脱ぎ捨てる。

 ――勝負が引き分けに決まった後、ネレは正式に六不思議との交流を許された。

 なので、本日も学校を訪れていたのだが。


「イズルめ……」


 気が緩んでいた所をまんまとイズルに突かれた。ジュースと見せかけたハバネロドリンクを飲まされ、この穴だらけのお化けカーテンをかぶせられたのだ。

 しまいには、なぜか異界に来ていた伊予原に、恐らくはお化けか何かと間違えられ、逃げられてしまう始末。

 喉はハバネロでガラガラだったから、声も呻きか何かにしか聞こえなかったに違いない。


「後で伊予原くんに、謝らなきゃ……」




「ファーハハハ! そんな事があったとは! 愉快愉快!」


 イズルの『部屋』に、ノクターンの高笑いが響く。


「全然愉快じゃないよ」


 ネレはコントローラーを握り、テレビに表示されたキャラクターを操作しながら、憮然と眉根を寄せた。


「まぁ、良い友ではないか。ここに入り浸るあなたの身を案じ、勇気を振り絞ってやって来たのだろう。うん、我はその伊予原クンとやらも気に入りつつあるぞ」


 ノクターンもまた、ネレの隣へ座ってテレビに向かい、対戦格闘ゲームに興じている。

 クッションの座り心地が気になるのか、時々ごそごそ小刻みに動き、角度を変えていた。


「……の割にはさっさと逃げたみたいだし、とんだ腰抜けだけどなー」


 後ろのソファではイズルが横になっており、足元に控えているヤクモとサギリを撫でながら、面白くもなさそうに口を出して来る。


「伊予原くんを悪く言わないで」

「ふんっ」


 鼻息を立ててそっぽを向くイズルはさておき、ゲームの流れはネレが不利だ。

 ネレが操るキャラクターは王道の格闘家タイプで、防御、迎撃性能に優れたバランス型。

 対するノクターンのキャラは道化師みたいな、場の荒らしに特化したトリッキー型だ。


「――ていうかお前さ、そろそろ出ていく気になった? 永遠に」

「イズルよ、昨日説明しただろう。氷澄ネレは客人として迎える事になったのだ。いい加減、むやみに喧嘩を売るのはよせ」


 空間を跳ね回り、時にはワープし、フェイントをかける予測不能な動きに、早くも三連敗を喫してしまっている。


「引き分けなんて生温すぎる判定でしょ。キョータの得意属性分からなくて負けたくせに」

「いや、氷澄ネ――」

「負けてないから」


 なだめようとするノクターンを割り込み、食い気味に否定しておく。


「――ともかくだ。そうした不満もいい感じに中和するため、我が次の対戦内容を思いつくまでは、六不思議へ個別に勝負を仕掛けても良いという取り決めにしただろう?」


 そう。今もまったりした空気ではあるが、立派な勝負中なのだ。


「勝負の内容、それによって互いが得られる報酬は、六不思議側が好きに決めていい。それなら文句はあるまい」


 ネレも特に不服はない。こちらが挑戦者側なのだから当然とも言える。

 とはいえ――ノクターンのみならず、他の六不思議にも幾度か勝負を挑んではいるものの、誰にも勝てていないのが現状だ。


「そういえば、メアが寂しがっていたぞ。イズル達には挑む割に、自分の所にはなぜ来てくれないのかとな」

「ええと……それは」


 口ごもる。メアにはなんとなく会いたくない。何かされそうな気がして。

 婉曲な言葉を選んでいた矢先に、スマホからメール着信音が響く。


「よし、また勝ったぞ! 流石は我だな、ファーハハハ!」


 ちょうどネレのキャラが超必殺技を受けて星になった。


「ううん。それは違うよノクターン。四捨五入したら実質負けてないから」

「お前って、勝敗が関わるとなんか意固地になるよね」


 イズルのツッコみはスルーしつつ、スマホを確認。


『最近調子はどうですか?』

『どうして返信してくれないんですか?』

『私、何か気に障る事をしましたか?』

『二分以内に返信しないと自殺する』


 メアから大量にメールが届いており、ぞくっと寒気が走ったため数秒で仕舞う。


 ――すぐ連絡ついた方が、氷澄さんも色々と捗るでしょう?


 などと口車に乗って、アドレスを交換したのが運の尽きだった。

 この学校にいる時だけ六不思議とメールのやりとりができるらしいが、少なくともメアと緊密に連絡が取れた所で、何か得をするとは思えない。


「フフフ……そんなものは序の口だぞ?」


 ノクターンは苦悩などお見通しとでもいうかのように、底意地の悪い笑みを向けて来る。


「まどろっこしいなぁ」


 二人のキャラがじりじり差し合いを始めた矢先、イズルが再び口を挟む。


「オレは別に一昨日の続きでもいいんだよ?」

「それはできれば避けたいかな。お互いが納得できるやり方で落としどころを見つけたい」

「ちぇっ。きれいごと言っちゃってさ」


 結局その日は、ノクターンに格ゲーで十連敗という記録を残すだけにとどまる。


「許せない……」


 ささくれた心持ちを癒したくて、ヤクモとサギリを撫でようとしたものの――腕を伸ばした途端に殴り飛ばされた。イズルにも笑われた。

 あまりの悔しさに今日プレイしたのと同じソフトを購入し、練習するのが日課になった。




「ウインド・スピア――!」


 直撃。ネレは武道場の壁へ背から叩きつけられ――あえなく床に這いつくばる。


「……弱いな」


 ゆっくりと薙刀を構え直したシーラが、こちらへ冷えた視線を送っている。

 ネレが割った鬼面は元通りに直っていた。自力で修理したか、自然修復されたか。

 いずれにせよ、シーラにも何度か勝負を挑みはしているが、まるで勝ち目が見えない。


 呼気を乱して立ち上がるネレの周囲には、砕かれた血の剣の残りかすが大量に散乱している。身体もあちこちを容赦なく打たれ、満身創痍だ。

 対するシーラは息は整っており、ほとんど無傷。悠然とした立ち姿である。


「なんで……」


 納得がいかず、ネレは呟きを漏らす。


「初日は、私が勝ってたはず。次の日の『授業』だって、一矢くらいは報いたのに……」

「最初から本気は出さず、出方を見る。技量、戦術、癖――相手の持ちうる最高位を見抜き、上回る術を見出す。それが私のやり方だ」


 要は、ネレの戦い方のほとんどは、見破られてしまっているという事。

 だから以前にもまして簡単にいなされ、転がされる。

 秘めるポテンシャルはもちろん、経験の差においても大きな開きがあるのだ。


「見込みのある者と仕合えば、つい武辺者としての血がたぎり、無駄に長引かせてしまうのは悪癖だが。私はあくまで、聖地を守る怪異に徹さねばならんというのに……」


 シーラの口ぶりに違和感を覚え、反射的に顔を上げる。


「……なぜ勝てないか分かるか?」


 合わせて、シーラが問いかけて来た。歯を噛み締める。


「嫌になるほど、理解したよ。私が、未熟だから……」

「当然だ。だが、どう未熟なのか分かっていない。分からないから、成長も改善もない」


 シーラは小さくため息をつく。


「退屈だ。打ちのめされても立ち向かってくる気概は買うが、思考が伴わなければ猪武者で終わるのみ。時間の浪費に過ぎない」

「……風の魔法は私の血と相性が悪い。触れた血液が、より早く乾いてしまうし」

「そんな理由は表面上の些事でしかない。問題の根はもっと深くにある」


 シーラはおもむろに薙刀を持ち上げ、ネレの手に開いた傷口を、切っ先で示す。


「はっきり指摘してやる。お前の戦いには無駄が多すぎる」

「無駄、って……」

「血の使い方が無駄だ。魔力の使い方が無駄だ。動き方が無駄だ。考え方が無駄だ」


 ネレだって、今の魔法を自分なりに使いこなすため、練習を続けて来た。

 なのにここまで全否定されると、流石に落ち込みそうになる。


「例えば、その血の剣。展開するまでに何秒かかる? 手に穴を開ける。血液を体外へ排出させる。水属性と併用して凝固させ、それでようやく剣を生成できる。……遅すぎるだろう。この間に敵が何もせず眺めているとでも思ったのか?」

「だ、だって……血の魔法は、武器とか持っていない非常時のために……」

「武器ではかなわないから魔法に頼っているというのに、言い訳とは呆れたものだ。その懐刀も同然の剣が、こうも脆いのはどう説明する」

「……砕けても、また作り直せばいい」

「それがこの有様だ。見ろ、お好み焼きのコゲよりパリパリだぞ」


 シーラは切っ先をネレの足元へ降ろし、黒ずんだ血の破片を差す。


「十数秒に一回のペースで叩き折られる剣と同量の血を使い続けたあげく、体力が残っているにも関わらず、すでに貧血で立つのもやっと。吸血鬼の特性に甘えすぎている」

「なら……どうしろっていうの」

「知るか、自分で考えろ。あまりのお粗末さに嫌気がさしたから、言ってやったにすぎん」


 決定的なのは、とシーラは薙刀の柄を床へ突き、じろりとした目を突き刺して来る。


「今のお前には……一言で表すなら覇気がない」

「え……」

「最初に立ち会った時のお前は……比較にならないほど鋭さがあった」


 最初。シーラと初めて戦った、三日前の事だろう。


「絶対に負けられないという意気地を感じた。そのためにあらゆるものを利用し、粘り強く食い下がってきた。こんな侵入者がいるのか、と驚かされたほどにな」


 確かにネレは、あの時ほど強い気持ちで戦っていない。

 あの時は、後がない、という思い込みで、精神的に追い詰められていた。

 いつまでも一人きりの未来に怯え、それを跳ね返すため、命の危険を覚悟でもがいた。

 鬼武者――シーラの正体も分からないなりに、必死で相手を分析し、弱点を突けた。

 だから無謀な動きができた。シーラが魔法を使わずに手加減した上で、さらに幾度もラッキーパンチが続き、なんとか一本が取れたのだ。

 けれど、困難を一つ乗り越えたせいか。今はどこか、安心してしまっている。

 誰かが目の前で危機に陥っているとか、勝利を目指すための原動力が思いつかない。


 こんな状態で、もしも再び、シーラが本気で立ちふさがったら。


(私は、逃げ出さずに戦えるの……?)


「ノクターン様の放送、監視カメラ越しのメアの粘着視線、そして私の恫喝だけで、侵入者の九割はまず逃げ出す。他の六不思議の出番はまずないと言っていい。ゆえに、お前が客に迎えられたと聞いて、内心は喜びもあったのだがな」


 間違いなく、失望されている。悔しさが湧き上がる以上に、ひどく恥ずべき心地だった。


「異種族排斥の機運が高まるこの時代。ただでさえお前にとっては生きづらい境遇だろう」

「私は……」

「周囲から認められるためには畢竟、己が力を引き上げるしかない。古今東西、抜きんでた実力というものは好むと好まざるとに関わらず、常に一定の地位を持ってくるからだ」

「でも……遺伝子改造手術を受けていたら、いくら鍛えても、大して強くはなれない……」

「そういう弱音は、今強くなれる限界まで努力してから吐いたらどうだ?」


 シーラは薙刀を手にし、切っ先をネレへ差し向ける。


「そのざまでは何度やっても絶対、私には勝てん。お前は敗者のまま這いつくばって、人間種どもに媚びへつらいながら惨めに生きていく。時間の無駄だ、さっさと失せろ」


 ――情けない。だらしがない。


 シーラの言う通りだ。確かに自分は、言い訳していた。分からされた。


(でも……さっきから。そんなにこっぴどく言う必要は、ないんじゃないの……ッ)


 何が弱音だ。どこが惨めだ。――誰が敗者だ。

 ネレは下肢に力を込め、跳ねるように立ち上がった。


「……もう一戦、お願いしても?」

「先ほどより少しはマシな目つきになったな……いいだろう、来い!」

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