第9話 鬼の防衛大臣
メアと適当な世間話を続け、一時間経過した頃、ノクターンによる校内放送が始まった。
次の授業相手の連絡らしく、挙げられた名前はシーラ。
「唯一の年長組ですよ。リベンジに燃えていましたから、くれぐれもご注意を……」
メアの不吉な助言を受けて部屋を後にし、特別棟に隣り合う武道場へ赴く。
入母屋造の外観、弾力のある板張りと杉の木の香りがうっすらと漂う屋内では、すでに薙刀を手にした鬼武者――シーラが仁王立ちで待ち受けていた。
「好きな得物を取るがいい」
顎をしゃくり、壁にかかった竹刀や薙刀を示す。
「そこそこは戦えるらしいな。どこで習った?」
「護身用に、父さまから少しだけ」
ネレは適当な木刀を見繕い、握り心地を確かめながら把持し、シーラと向かい合う。
「この施設は、正確には私の『部屋』ではないが、鍛錬のため日々利用しているゆえ、授業として用いるには不足ない」
「こっちも、あなたはもっと超然とした存在だと思っていたから……意外だった」
「異界のあらゆる物体は修復される。裏を返せば世界の一部たる私達の肉体も、これ以上強くなりはしない。だが技は鈍る。鈍ればいずれ敵に後れを取る。……今回のように」
シーラの背から、オーラが炎のヴィジョンを伴い立ち昇るのが、見える気がした。
鬼の如き威迫に呑まれんと、ネレは構えを取る。
「仕合う前に尋ねたい。昨日の決闘、お前は一度私を追い詰めた。にも拘わらず、なぜ攻撃の手を止めた」
「戦いの最中、違和感があった。――例えばあなたの振るう薙刀に、刃がついていない事」
シーラもまた薙刀を中段に構え、無言でネレの指摘へ耳を傾けている。
「他にも急所を狙って来ない所とか、そもそも殺気がない所とか」
「ために、追撃を躊躇したと。そういう話か?」
「そう」
「ならば教えてやる。その迷いが単なる驕りと、誤りに過ぎなかった事をな――!」
シーラが間合いを詰めた。勢いよく薙刀が突き込まれる。
速い。鋭い。ネレは軽く床を蹴って側面へ回り込み、すんでのところで避けた。
木刀を振るって反撃するが、逆に受け流され、容易に捌かれてしまう。
(分かってたけど、隙が見つからない……!)
前の戦いでは地形や障害物を利用する事で相手の疲労を蓄積させ、わずかな隙を突けたが――広々としたこの空間では、直接対決以外に取れる戦法がない。
地力で勝る相手に、ネレの打ち込みはことごとく対応され、容赦ない反撃が見舞われる。
刃がついていないとはいえ、何度も鈍器でぶん殴られるも同じ事。
とっさに掲げた木刀のガードすら突き抜ける一発を受け、吹き飛ばされてしまう。
「……やはりこの程度か。昨日の戦果はまぐれだったようだな」
体勢を崩し、尻餅をつくネレを冷然と見下ろし、シーラが薙刀の柄で床を突く。
「とはいえ、一本取られたのも事実。未熟な慢心は忘れる事なく心に刻み……む?」
怪訝な声を上げるシーラの前で、ネレはふらつきながらも立ち上がっていた。
「やっぱり……これじゃ勝てないか」
ネレは手にした木刀をしばし、見つめるや――両端を握って振り下ろし、膝で叩き折る。
心なしか、唖然とするシーラを尻目に、ネレは折れた鋭利な先端を手へあてがい、思い切り突いた。
薄い手のひらを棒が貫き、穴を開ける。
たちまち出血が始まるが、ネレはその血を固め、剣の形状へと変化させた。
「……操作した血を、冷気で凝結させているな。得意属性は水、か……」
ネレは剣でもう一方の手も突き破り、さらに二本目を作る。無論刃はつけていない。
「二刀流とはな。だが一本増やした程度で、私を上回ると思うなら大きな間違いだ……!」
「試してみないと、分からないよ」
一対の血剣をクロスさせて構え、今度はネレの側から踏み込む。
左右にステップしながら狙いをかき乱し、手数を活かした連撃を放つ。
懐へ飛び込もうとするが、シーラも俊敏に動いて間合いを保つため、攻めきれない。
何度目かに浴びせられた猛打に剣が耐え切れず、砕け散った。
しかしネレは折れた先から次の剣を生成し、攻勢を途切れさせない。
「面白い技だ。だが……」
シーラは床一面に散乱していく、黒ずんだ血の破片を踏み砕きながら告げる。
「体外に出たお前の血液は、酸化が早い。乾燥した部分は、もう操れないようだな」
血の剣と薙刀が鍔迫り合えば、シーラは余裕すら感じさせる動作で剣を覗き込む。
「防ぐためには、常に新しい血液と交換する必要があるのではないか。その証拠にお前の剣。内部に細い管が張られ、耐えず循環が行われている……」
薙刀が振われると、シーラの腕力に耐え切れず剣が砕け、縮めた距離がまた離された。
(近づきたいのに、すぐ剣が壊されて逃げられる……!)
「余計な器官を組み込まなければならない以上、耐久性に問題が生じる。その分は細胞から作り出される血液で補っているようだが……いつまで続くかな?」
がくり、とネレの膝が折れかける。体内の血が減り過ぎていた。生成が間に合わない。
「――ウインド・スピア」
シーラが下段に構えた薙刀に、一陣の風の渦が纏わされていく。
手元の柄から、ゆったりと位置の下がった先端部までまんべんなく。小型だが密度は激しく、下がった切っ先と床の接地面から、細かく削られた木片が舞い上がっている。
昨日、シーラを追い詰めた時、至近で叩き込まれた衝撃波と印象が似通っていた。
では、と思い知らされる。昨日のシーラは、最後の一撃以外、魔法を使っていない。
様子見か、余裕ゆえか。いずれにせよ。
(ここからが、きっとシーラの本領……!)
よく観察する暇もなく、シーラが突っ込んで来た。
血剣を交差させて打ちかかるが――薙刀は風によってリーチが増しており、射程を見誤ったネレの腹部を、衝撃が貫く。
インパクトが体内奥深くへ伝達され、さながら全身を巨大なドリルで穿たれたかのよう。
気づけば高々と空を舞って吹っ飛んでおり、床へ落ちた瞬間、数秒意識が途切れかける。
「敢闘賞代わりに見せてやった」
どこか遠くから、シーラの声が響く。視界がくらくらして、ひどい吐き気がした。
「もう用はない。どこへなりと消えるがいい」
吐き捨てるように言われ――薄れかけた意識に、かっと火が付く。
「……ま、まだ……だ……!」
ネレは四肢を突っ張り、這いつくばるような無様な格好から、足をよろめかせて立った。
「お前の負けだ。どうあがいてもその魔法は届かん」
(負け、て、ない……!)
――心底では分かっている。血剣に頼ってやっと打ち合えるレベルだというのに、その上で魔法まで使われたら、もはや歯が立つまい。
「絶対に……負けるものか……ァッ!」
それでも脳の芯に灯った熱は、瞬くうちに業火へ早変わりし、動かぬ身体を叱咤する。
デコボコした不格好な血剣を作って、床を蹴り飛ばし、がむしゃらに挑みかかった。
ぶっ飛ばされても転がされても、しゃにむに身を起こし、執拗に飛び掛かる。
「愚かな……身の程をわきまえろ」
シーラは溜息交じりに、回転させた柄で剣を爆ぜさせ、足払いでネレを容易く転倒させ。
(――今だ)
ネレは倒れながら、折れた剣を差し向ける。先端から新たな剣を作り出し、伸ばした。
「なにっ……!」
まさかそのまま反撃されるとは思っていなかったのか、シーラの反応が一手遅れる。
かすかな手ごたえを感じた直後、ネレは受け身も取れず倒れ伏した。
今度こそ力尽き、起き上がれない。対するシーラは、顔の半分を手で庇っている。
その足元には、ちょうど半分に割れた鬼面が転がっており。
ネレの息は荒く。シーラは佇んだまま、口を開かず。沈黙だけが満ち始めた矢先。
『きんこんかんこーん! ファーハハハ! 氷澄ネレ! 二時間目は終了だ!』
助け舟みたいに放送が鳴り響き、凍り付いていた時間が動き出す。
『次の授業相手はイツハだぞ! イツハの部屋は家庭科室だ! 急げよファーハハハ!』
「……シーラ」
「消えてくれ」
シーラが指の間からうなるように言う。短い一言だというのに、背筋が震える。
ネレはふらふらと、頼りない足取りで武道場を出て、その場を後にした。
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