第8話 鮮血の三公爵

「ファーハハハ! 契約は成立と相成った! ではさっそく、一番手はメアに頼もう!」

「えへへ……い、一時間たっぷり、よろしくお願いしますよ、氷澄さん。ハァハァ……っ」


 メアはなぜか瞳を潤ませ、頬を紅潮させて息が荒い。さっそく決心が鈍りそうになった。


「わ、私の『部屋』はコンピュータ室なので、一時間後、絶対来て下さいね……っ!」

「他の者達は、次の授業のため、今のうちに準備しておくのだ。では解散ッ!」


 ノクターンが高らかに告げると、一気に場は弛緩した空気に包まれ、六不思議メンバーはのろのろと席から立ちあがる。


「いや、アドリブでいきなりやれって……ノクピー無茶言い過ぎでしょ」

「ノクターン様が仰るのなら、全力を尽くすのみだ」

「さっきのノクさん、なんかデスゲームの主催者みたいでしたよ」

「人聞きが悪いな。六不思議と氷澄ネレ、両者の意見を公平に勘案した結果だ」


 数人が扉から部屋を後にし――ノクターンは別のドアから、部屋の奥へ行ったようだ。


「氷澄さん、こっちこっち」


 最後に残ったメアが、ノートパソコンを小脇に抱え、手招きしてくる。

 嫌な予感を覚えたものの、断る理由が思いつかず、呼ばれるままに近づいた。

 メアが立っているのは、大きな鏡の前。キョータの姿はない。


「見てて下さいよ~……ちょっと力加減のコツが要りますから」


 メアが片手で鏡を押し込めば、なんと後ろの壁が回転し、奥に細い通路が現れた。

 滑らかで落ち着いた色合いの塗装がされた壁、等間隔に並ぶアンティークな燭台、リノリウムの白い床に敷かれた絨毯。


「隠し、通路……」


 昨日からこちら、驚かされたのは何度目だろうか。もはや学校の域を脱している。


「私達の活動の、舞台裏ってとこです」


 左右に存在する複数のドアを、メアが示しながら先に立って進む。


「それぞれのドアが、校内の各所と繋がってます。出入口は同じようにカモフラージュされているので、初見の人にはまず見つからないですし、内部も入り組んでいますから、踏み込んでも迷ってしまう確率の方が高いですね」

「……誰も六不思議を捕まえられないわけだ」


 神出鬼没に思えたシーラやイズル。鏡の中を移動できるキョータ。これだけ秘密の通路が張り巡らされていれば、確かに侵入者など翻弄されるがままであろう。

 通路の最奥には、無機質な金属製のドアと、横の壁に操作盤。上側にはデジタル形式の階層表示器が備え付けられている。

 メアが手慣れた風に操作盤のボタンを押すと、ドアが開き、個室が現れた。


「もしかして……エレベーター……?」

「正解です。私、階段使うと疲れちゃうんで、いつもはこっちを利用してますねぇ」


 いよいよ度肝を抜かれる。六不思議と出会った最初の頃は校舎そのものに宿り、不思議な力を操るゴーストのようなものかと想像していたのだが――。

 彼らを知るにつれ、そんな漠然とした考えは改めざるを得なかった。

 六不思議はもっと、堅実な土台の上に築かれた拠点を擁する、一つの組織なのだ。


「といっても、校舎のところどころは魔改造できるんですけど、基本構造はベースとなる現世紅月高の時間に合わせ、少しずつ変わっていくんです。そこが微妙に不便でして」


 だからこそ、とメアはネレを伴ってエレベーターへ乗りながら告げる。


「ノクさんのシャドウが必要なんですね。六不思議一人一人のためだけの、不変の設備にして、聖域なんです」

「設備を作るための資材とかは、どうやって手に入れているの?」

「大抵は、侵入者の方達から徴収していますね。逃げる際に所持品を落としていったり、忘れちゃったりしてそのままなので、ありがたく拝借させてもらってます」


 スマホも持ってますよ、とメアが白衣のポケットから携帯を見せて来る。


「それで……あ、あの、氷澄さん、メルアド交換しませんか? えと、これから授業関連とかで、色々情報交換とか必要だと、思うんで……えへへへ」


 流暢に説明していたかと思えば、スマホを持つ手を胸に抱いてぷるぷる震わせ、頬を真っ赤にしながら、ぐるぐる渦を巻いた瞳で申し出て来る。

 それにこの世界は、電波とか通じているのだろうか――などと細かな疑問を抱いている間に、いつの間にかエレベーターが動き出していた。


「そ、そういえば、二人きり、ですね……えへ、へへへへへ」

「……このエレベーター、どこに向かっているの?」

「あ、えへっ。そのぉ……コンピューター室への直通、ですね。もっと厳密に言うと、私の『部屋』です……なんて」

「最初の一時間は支度に費やすと、ノクターンが言っていたけれど」

「い、一時間も二時間も変わりませんよ! 私達だけ早めに、授業始めちゃいましょ? ぐふ、ひゅっ、へへ……黙っていれば分かりませんって」

 雲行きが怪しい。嫌な汗が出始めた。やはりついて来るべきではなかったか。

「……途中の階で降ろしてくれないかな」

「もし付き合ってくれるんなら、じょ、情報とか、いっぱい教えちゃうんですけど……」

「降ろして」




 一時間後、ネレはコンピューター室を訪れていた。

 部屋には机が並び、立ち上がっていないパソコンが置かれ、奇妙な点はない。

 が、目の端に――何やら壁の隅で鮮やかな電子の光を放つ、ハイテクな装置が見えた。

 ちょうど手が置けそうな大きさのパネルと、少し横にはカードリーダーが取り付けられ、中央には緑の縞模様が入った硬質なドアが埋め込まれている。


「あ、氷澄さんですね。うへへ、どうぞ」


 タッチパネル横のスピーカーからメアの含み笑いが響いたかと思えば、ドアが素早く横へスライドして開き、奥にうす暗い部屋が現れた。

 恐る恐る入ってみると、キャスターと背もたれつきの椅子に座る、メアの後姿があった。

 メアは先ほど会った時と同じく白衣を纏っているが、度の分厚い眼鏡をかけ、首にはヘッドホンをかけている。

 眼前には六枚ほどもの、大小さまざまなモニターが揃っており、横長のデスク上にあるキーボードを忙しく叩きながら、ちらりとこちらを振り返って。


「ようこそお越しくださいました。ここが小生の『部屋』です……六不思議以外の人を招くなんて、初めてだなぁ~……」


 デスクとその周りには、他にもオーディオやラジオ、テレビ、携帯ゲーム機、外付け機器など、多数の電子機器が置かれており、部屋全体が常に低い稼働音を反響させ合い、液晶画面が放つ不健康そうな光に満ちていた。

 とはいえ別に散らかっているというほどでもなく、手前側には小さなテーブルやベッド、チェストが配置され、少し失礼だが思いのほか清潔な装いだ。


「あ、あっ、あ~。そういえばぁ、普段からここに誰か呼ぶ事なんかないのでぇ、お客さん用の椅子を用意するのぉ、忘れちゃいましたぁ」


 なんだろう、このわざとらしい言い方は。


「えっと……とりあえずそこの、どうぞベッドに腰かけていただいて。よろしければ横とかになって匂いとかこすりつけていただくととても捗り」

「私は立ってるから」


 と、そこでネレは、いくつかのモニターに映っているのが、どこかの廊下や教室――否、この学校の内部に似ている事に気が付いた。


「そのモニター、もしかして……」

「お気づきになられましたか! 実はですねぇ……校内にはこっそり、私が仕掛けた小型監視カメラがありまして。各所の様子を、ここから一目瞭然にできるわけです!」


 ――誰もいないのに感じる、背後の視線の正体がようやく分かった。

 あのどんよりとぬめる感じは、カメラ越しにこちらを観察する、メアの気配だったのだ。


「しかもしかも、この部屋で学校の設備を動かせるよう、連動してありまして」


 ボタンぽちー、とメアがキーを叩けば、廊下の防火シャッターが降りて来る。


「すごいね……これも今まで侵入して来た人達から、手に入れた部品とか使っているの?」

「まさか、それだけじゃ到底足りませんよ。いくらかはお金を払って購入しています」

「でも、現世とは行き来ができないと……」

「異界と現世の間には、不可視のフィールド……結界が張られています」


 メアはデスクからホワイトボードを取り上げ、マジックペンで学校を描き、その周りをぐるっと円で囲む。

 円の内側にはデフォルメされたノクターンやイズルっぽいキャラクターも描かれ、円から外へ出ようとして弾き戻されているコミカルな絵が完成した。


「その結界はあらゆるものの通過を阻み隔離する謎の力場なのですが……ある特定の条件下であれば、例外的に往来が可能となるんです」


 例えば、ネレや侵入者達が噂を聞いて試したような、四時四十四分という限られた時間。


「現在分かっているのは、時間通りに入った人間と……光速で動く粒子の二つのみですね」

「光速で動く、粒子……?」


 その途端、メアの身体の周りから、無数の小さな光の粒が、蛍めいてふわふわと明滅しながら浮き上がってきた。


「この粒子で結界にトンネルを作る事で、現世のネットワークへある程度干渉ができるんです」


(まさか、そんな方法が存在してたなんて……)

 驚きもあるが、同時に新たな疑問も湧く。


「でも、機械に使う電力はどうするの? 異界で失われたものは修復されるらしいけれど……学校で元から使える分だけじゃ、長時間のオンラインは無理じゃない」

「えへへぇ、鋭いですねぇ~氷澄さん。でもでも、その問題もぉ、解決済みです。実は六不思議には上級の雷魔法を使える仲間がいて、その方から適宜補給させていただいてて」


 あ、名前は内緒ですよ――とメアは口元へ指を添え、にまーっと笑う。


「適当なPCから行政にハッキングを仕掛けて、偽の戸籍とかアカとか口座を用意して、株とか動画配信とかでデジタル通貨を稼いでますね。その資金で設備をもっと潤わせると」


 雷魔法のサポートがあるなら電波の問題も解決だろうが、それにしてもさらっととんでもない技術をのたまうメア。頭が痛くなってきた。


「それなら……あなたの得意属性は……?」

「はい。不肖ながら、魔力や情報をフォトン化させて伝達する魔法を得手としていまして」


 あまりにも容易に答えには辿り着けたが、何か釈然としないものを覚える。


「とぼけた所で小生なんかたかが知れていますしぃ、他の皆さんはもっと手強いですよ~」


 だとしても、メアからは駆け引きをしようという態度が微塵も感じられない。


「……教えて。どうしてそこまで、簡単に教えてくれるの」


 設備やその動かし方といった、六不思議の貴重な戦力たる舞台裏についてもそう。

 部外者であるネレに対し、いささか手の内を明かし過ぎではないか――。


「……氷澄という姓は、ワホン生まれの母方のお名前を使っているんですよね」


 メアはキーを叩く手を止め、ここで初めて、身体ごとネレへ振り返った。


「本当の名前は――ネレ・アザー・ツァリア」


 ネレは息を呑み、凍り付いたみたいに硬直する。


「まさかあの、ラレス・アザー・ツァリアの娘さんだったとは! ツァリアといえば、『鮮血の三公爵』と、それに連なる者にしか名乗る者の許されない、神聖不可侵の真名!」


 吸血鬼には、単純な腕っぷしと権力の度合いによって、爵位を名乗る慣例がある。

 その頂点に君臨する存在が、たった三人の公爵であり、一人はネレの父だった。


「現代において生存している三公爵は、このラレス氏しかおりません。一人は数百年も前に行方をくらまし、二人目は百年前の大戦で壮絶な戦死を遂げたと聞いています」


 メアの声色は次第に熱を帯びて早口となり、かっ開かれた目は血走っている。


「ラレス氏は圧倒的なカリスマと、数多の異種族あまねくひっくるめても五指に入る実力を持ち合わせた、まさに吸血鬼の中の吸血鬼とも謳われるお方です。そのような伝説的人物の血縁が現れたのだとあっては、少々小生寿命が縮小しましたよ!」

「……父さまは戦争に参加しなかった。私には理由を教えてくれないけど、たぶん、メレスティンの人々を戦いに巻き込みたくなかったんだと思う」

「その結果、大幅に力を削ぐ遺伝子改造手術を一族もろとも受け入れ、引き換えに所領安堵を勝ち得たと……いやはや、吸血鬼といえば何よりも誇りを重んじる種族と聞いていますが、実に興味深い行動をなさっていますよねぇ……大変なご決断だったでしょう」

「――お得意のハッキングで、調べたの? 名前や渡航履歴とかから、私の地元や正体を」


 冷ややかに見返すと、メアは気圧されたみたいに身を引き、許しを求めるみたいに両手を挙げて降参のポーズを取った。


「お、怒らないで下さいよ……別に詮索好きというわけではなくて、これも氷澄さんが暴れ過ぎたゆえに、こりゃただモンじゃないな、何者かと……あぁ、失言ばっかりだ小生」

「この事は、他に誰が知っているの」

「ノクさんだけです、本当です! ふへ、へへへ……も、もちろん秘密にしますよ? 小生、空気は読めるんで……空気だけ読んで生きて来たんで」

「そうして欲しい。この件については、あまり話したくないから……」

「うぅ、この口調! なんというか根深い闇の気配を感じますねぇ、てか闇とか! ノクさんじゃあるまいし、ほんの比喩的表現と思って下されば」


 話を戻しますと、とメアがモニターを操作すると、インターネット百科事典が映り、そこに三公爵に関してのページが詳細に記されている。


「大戦前のワホンは、それはそれは吸血鬼族と仲が良かったですから。三公爵といえば憧れの有名人グループ――そんな風に思ってる人だっているんですよ!」

「だから……色々教えてくれるの?」

「かくいう小生も、三公爵の中ではラレス氏が一番の推しでして! それに写真だけで見た氷澄さんやそのお姉様の美貌、高貴さには一目ぼれで! もう辛抱たまらず!」


 それがこうして現実に会えたのだから、舞い上がってしまっているという事なのか。


「えへ、えへへっ……。勝負は勝負でありますが、推しは応援したいので、ぜひ勝っていただきたく! 及ばずながら、何かの役に立てばとご案内させていただきました……」


 これがオタクというものなのだろうか。危ない橋を渡っているだろうに、恐れ入った。


「わ、分かったよ……とりあえず納得した。私からも礼を言うね……」

「滅相もありませんよ! ただ、そうですねぇ、もし勝負に勝てたなら、その時は小生と、えへっ、ツーショットとか撮ったり、げへっ、めくるめく悩ましい蜜月な関係に……」

「それはちょっと」

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