第7話 授業対決

 その日の四時四十四分。再び訪れた異界では、昨日と取り立てて変わった所はなかった。


「明かりがついてる……」


 ただし、完全な暗闇に包まれた前回と比べ、校舎の各所に照明が灯っている。

 人の気配も感じた。六不思議達だろうか。それとも別に訪問者がいるとか。


 ――思い切って、中へ踏み込む。利用した出入口は、これまた前回と同じ正面玄関だ。

 入った途端、『ファーハハハ!』という聞き覚えのある高笑いが響き渡る。


「氷澄ネレ! また訪れてくれるとは嬉しいぞ!」

「……ノクターン」

「昨日は話の途中、尻切れトンボになってしまったからな! 色々と聞きたい事もあるだろう……こちらの歓迎の準備は整っている!」


 歓迎と言われて、思わず昨日のドタバタが脳裏に蘇る。


(もしや、また何かされるんじゃ……)


「生徒会室へ来てくれ! 六不思議全員で待っているぞ!」


 聞きようによっては不穏な誘いの言葉を残し、放送はぷつんと途切れた。

 どうしよう、としばし、立ち尽くしてしまう。

 だが、ここで回れ右をするわけにはいかない。ネレの目的はまだ果たせていないのだ。

 長年、六不思議の噂は恐怖とともにこの学校を蝕んでいる。

 でもその謎が解消すれば――しかもその立役者がネレならば――少なくとも、今よりは無視されなくなるはずだ。

 六不思議を解き明かし、学校やクラスメイトのみんなへ教えたい。

 それに、個人的にも興味が湧いている。

 ノクターンを始め、六不思議の面々の事をもっと知りたいとも思えていた。


「行こう。……行かなきゃ、何も変わらない」


 自分を叱咤するようにひとりごち、歩き出す。

 廊下を渡り、階段を上がり、生徒会室の存在する特別棟へ向かう。

 一応警戒していたが、途中、誰にも会わなかった。

 空気のひりつく感じは、昨日よりも抑えられている気がする。

 生徒会室の前へ到着した。両開きの扉越しに、複数の人間の息遣いや匂いが漏れている。


「待ちかねたぞ。入ってくれ」


 ネレの到来を察知したみたいに、ノクターンの尊大な声が投げかけられた。

 覚悟を決め、ドアノブへ手をかける。当然ながら鍵はかかっておらず、簡単に開き。

 ネレはあっけにとられた。

 ドアを越えた瞬間、踏み込んだ足は柔らかく赤い刺繍入りの絨毯の上にあって。

 まるで別の場所へ入り込んだかのような光景が、そこには広がっていたのである。

 暗闇に慣れた目にまず飛び込んで来たのは、眩しいほどに輝くシャンデリアの光。

 左隅に配置されたガラス棚には、様々なインテリアが並ぶ。

 壁の左右には鹿の頭の壁掛けと風景画が飾られ、奥の大きな窓には豪奢な赤と白の分厚いカーテンが掛かっており、美しいコントラストを作り出している。

 そしてノクターンは、さながらこの部屋の主であるかのように、高級な木机にゆったりとかけて頬杖を突き、斜めに傾けた顔に薄く笑みをたたえ、こちらを見つめていた。

 隣には例の鬼武者が佇立しており、面越しにも感じ取れるほど、鋭い視線を送ってくる。


「ふーん、ホントに来たんだ」


 思わずノクターン達に見入っていた時、気のなさそうな声がかかり、はたと振り返る。

 部屋の左方に、黒い大理石の来客用テーブルが備えられ、両脇のソファにそれぞれ、イズルとイツハが座っている。すぐ傍らにはイツハの車椅子が停めてあった。

 イズルは渋い顔で背もたれに体重をかけて足をぶらつかせ、イツハはテーブルのティーセットを行儀よく取り上げ、静かに茶を楽しんでいる風。

 テーブルと隣り合うみたいに、壁には音楽室と同じような大きな鏡が張りつけられて――鏡の端の方から、音楽室で見かけた少年が現れる。

 彼は鏡の中で、イズルの隣に腰掛けた。片手にはフルートが握られている。

 すると、こちら側のソファの同じ位置が、まるで人間が座っているみたいに沈み込む。

 鏡の少年がティーセットからコップを取り上げれば、こちら側のコップも浮く。

 彼がコップからお茶を飲むと、こちら側のコップのお茶が、ひとりでに減っていった。

 ――昨日の音楽室で起きたのは、こういう事なのかも知れない。ネレは思った。

 ノクターンの言っていた通り、少年は、鏡から鏡へ移動できる。

 鏡に映る物に干渉すると、こちら側でも連動して同じ事柄が起きるのだ。

 だから鏡のピアノへ触れるだけで、音を鳴らす事ができた――。


「えへへ。生で本物の吸血鬼さんを見られる機会なんて、そうそうないですからねぇ」


 と、今度は反対側から、初めて耳にする声がした。若干ハスキーな声だ。

 首を振り向けると、そこにはもう一つの個人用と思われる机があり、ネレやノクターンくらいの年頃の、白衣を着た少女が座っていた。

 ぼさぼさの長い黒髪に、濃いクマの浮いた目。肌は病的なまでに白く、鬱屈した印象を受ける。

 彼女は媚びたような笑みを浮かべ、観察するようにネレを眺めては――手元に置いてあるノートパソコンへ、何やらぶつぶつと呟きながらキーを叩いている。

 ネレは部屋の人数を数えた。

 ノクターン、鬼武者、イズルとイツハ、鏡の少年、白衣の少女――六人。


「六不思議の六人。これで全員だ。確か……メアとは初対面だったな?」

「ひ、氷澄さんの事は、よくよく見させてもらいましたよ~……その節はお世話になったというか、ありがとうございますぅ。え、永久保存版にしとくんで……えへへ」


 メアと呼ばれた白衣の少女が、笑みをよりねばついたものへ変化させる。


「あの……何の話?」


 何か、プライベートを侵害されている気分になり、困惑を隠しきれない。


「メア、キモい」


 イズルがつまらなそうに吐き捨て。


「メア殿……外の人間とはいえ、初対面の相手なのです。少しは自重願いたい……」


 鬼武者を奥歯を噛んだような苦言を呈すと、メアはへらへら笑って髪を撫でつけながら。


「そ、そうですよね小生などが許しもなく口きくなんて生意気ですよね。ヘイト買い過ぎで大ブーイングってかすいません死んできます。……でもちょっと気持ちいいですぅ」


 ――背筋がゾっとした。ノクターンの名乗りを聞いた時より、遥かにひどい悪寒である。


 それに、気になる事はもう一つ。


「声が、違う……」


 鬼武者を見る。先ほど口を開いた鬼武者の声色は、間違いなく若い女のものだったのだ。


「……普段は変声機を、使っている。その方が威圧感が出ると、ノクターン様の勧めでな」


 鬼武者はちょっと居心地悪そうに、ぼそぼそと答える。

 とにかく! とノクターンが両手を打ち合わせ、注目を集めた。


「皆集まった事なので、改めて自己紹介といこうじゃないか。氷澄ネレ、あなたは適当な所にかけてくれ」


 と言われても、と困って周囲を見回すと、イツハが少し横にずれて。


「どうぞ」


 すまし顔で促されたため、遠慮しながらもソファに座らせてもらう。


「――ファーハハハ! まずはこの我から名乗らせてもらおう!」


 ノクターンは高笑いとともに身軽に跳躍するなり、机を跳び越えて部屋の中央へ着地。

 腰をひねって片手で顔を隠すかのような独特のポーズを取った。


「六不思議を導きし闇の支配者、ノクターン・グリオンタードだ! よろしく願う!」

「あのさ、勝手にリーダー面しないでよ」

「ひ、氷澄さん、ノクさんのこれは病気みたいなものなので、お気になさらず……」

「そこ! イズルとメア! ヤジを飛ばすな、大事な決めシーンだぞ!」


 びしっとノクターンが抗議を入れた矢先、ネレも口を差し挟む。


「質問いいかな。昨日、ノクターンと話していた時、いきなり別の場所にいたみたいな事があったんだけど……あれって何なのかな」

「う、うん? あぁ……それはこの異界を司りし法則の一つだ。大いなる時の流れが深夜零時を指し示した時、外部の者は理によって、そう、例外なく排除される……――ッ」


「わかりやすく言いますと、外の世界のどこかに、ワープしちゃうみたいですねぇ」


 と、メアが補足してくれる。


「ワープ先も、町中という縛りはあるものの基本ランダムみたいなので、突然車道の真ん中に飛ばされて、通りすがりのダンプカーにぶち転がされちゃわないようご注意を……」


 あの現象の謎が解けた。つまり、ネレがこの世界にいられるのは、零時が限界。


「零時を過ぎると勝手にワープしてしまうから……それまでに帰った方が無難だね」

「その通り。ちなみにまだ試せてはいないだろうゆえに教えておくと、校門から敷地の外へ出るだけで、現世へ戻れるぞ。安心して欲しい」


 それでええと、何の話だっけ……とノクターンは困った風に首を傾け、眉根を寄せ。


「あ、あぁそうだ。紹介の途中だった。次はシーラ、頼む」

「お望みとあらば」


 ノクターンの視線を受け、進み出たのは鬼武者だった。


「私の名はシーラ。六不思議の一人であり……巡回任務を担当している」

「巡回……」

「私がまず先頭に立ち、敵を阻む壁となる。お前との戦いでは不覚を取ったが……もしも次の機会があるのなら、決して負けん」


 一見、冷静な物腰と口調だが、奥底からぎらつくような秘めた闘志を感じ、ネレも無意識に身を強張らせた。


「フハハ! シーラは頭の固い奴だが、固いだけで悪い奴ではないぞ。次はメアだな」


 メアはパソコンを畳んで閉じ、ネレを見つめてにんまりと笑った。


「メア、です。へへ……お、お見知りおきを。もっぱら、パソコンとかいじってます。見ての通りの無害系眼鏡陰キャです。あ、眼鏡は今つけてなくてコンタクトです、なんて……どうでもいいですよね、私の事なんて。えへへへへ……」


 なんだろう、この背筋を這う感覚は。あまり近づきたくない気がする。


「メアは今日もいつもと変わらないな、我は安心したぞ! んじゃ次はイツハとか」

「なんかだんだん適当になってきてない? ――イツハよ。普段はみんなに料理とか作ったり、身体の調子とか看てあげてるわ。あなたの事も治してあげたし」

「うん。本当にありがとう、おかげで良くなったよ」

「べ、別に、あなたのためじゃないわ。あの時は誤解があったみたいだから、仕方なく」

「ツンデレツンデレツンデレツンデレツンデレツンデレツンデレ」

「うるさいわよメア子!」

「フハハハ! イツハはまぁこんな感じで、素直じゃ――」

「……イズル。後は何も話す事ないよ」


 ノクターンの台詞を途中でぶった切り、イズルが素っ気なく告げて、そっぽを向いた。


「むぅ……イズルはいつデレてくれるのやら。では、最後に……キョータ」


 全員の視線が鏡へ向く。

 鏡の少年――キョータは、鏡越しにネレを見てにこりと笑い、フルートを軽く吹いた。


「……昔、色々あって、キョータは言葉を話せないのだ」


 ノクターンが横目でネレを見る。


「だがしっかり挨拶をしてくれている。悪く思わないでやってくれ」

「うん。キョータ、こちらこそよろしく」


 キョータの微笑みには透明感があり、雰囲気はどこか、浮世離れしているように感じた。


「さて! これで顔合わせは済んだな! フハハハハハ!」

「で? この無駄な時間に、何の意味があるわけ」


 イズルが噛みつくように問いかけるが、ノクターンの上機嫌っぷりは崩れない。


「無意味なものか。これから我々は、勝負をするのだからな」

「……勝負?」

「何せここは学び舎。勉学を本分とする氷澄ネレに合わせ、知的な謎解きの時間を用意した。その名も……得意属性当てゲーム!」


 魔法には、火、水、土、風――そして光と闇、六つの属性系統が存在する。

 火属性ならば熱、水属性ならば水分と、系統に合った超常現象を引き起こすのが魔法だ。


「得意属性とは、六つの属性のうちから一つ、生まれながらに人に備わりし天分! 覚えられるのも極められるのもその一つのみであり、他属性の魔法は原則使えん。――まぁ裏魔法に手を出すならともかく」


 ノクターンは簡単な講義をする傍ら、ちらりとメアの方を一瞬だけ見やった。


「ククク……ちなみに我の得意属性は、万物万象すべからく畏怖されし暗黒ッ! シャドウはこの地のどこにでも潜んでいるぞ! ファーハハハ!」

「シャドウ……?」

「ノクさんの魔法ですねぇ。能力は『似通った多くのものに別のものを紛れ込ませる』……氷澄さんも本来、そこにあるはずのないものを錯覚した経験があるはずですよぉ?」


 ネレの記憶が疼痛とともに呼び起こしたのは、注意していたはずなのに階段を踏み外したり、雨とガラスを間違え、体中を引き裂かれた光景。


「この場所も、学校という大枠の中に、我好みの内装――『部屋』を紛れ込ませたゆえに存在できる。氷澄ネレも、気に入ってくれると嬉しいのだが」

「うん……面食らったけど、良い雰囲気だね。ノクターンらしいというか」

 けど、とイズルが苦言を呈す。

「ノクピーさぁ、自分の属性や魔法の事まで明かしちゃっていいわけ?」

「侵入者はどうせ、六時間しかこの世界にはいられんのだ。何を案ずる事がある」

「そうかなぁ……理由として弱くない?」

「そいつへの贔屓が、なんていうか露骨よね」

「ええい、茶々を入れるな二人とも! それにだな、そもそもの話。――我が魔法は知っていた所で対策できるものではない。問題はなかろう」


 確かに、実際に味わったネレは、その恐ろしさが身に染みている。

 似たようなもの、という時点でアバウトすぎるしどの程度の効力、射程なども一切不明。

 もしかしてあれもこれも、と疑心暗鬼になりそうで、心理的な負担が半端ではない。

 応用性が高すぎるのだ。簡単に説明された程度では到底、警戒のしようがない。


「説明を続けよう。氷澄ネレには、我が同じように紛れ込ませた、他メンバーの待ち受ける『部屋』を訪れ、授業を一時間ずつ受けてもらう!」

「授業……」

「そのための支度として、まず一時間の猶予を全員に与える! 授業内容は各自の判断に任せよう……ただし、氷澄ネレを不当に追い出すような暴挙は禁止とする!」

「はぁ!? ちょっと、さっきから何言ってんのさノクピー!」

「とにかく両名は一時間ともに過ごし、その後はまた次のメンバーの部屋へ行くのを繰り返す! するとどうだ、全員が済む頃にはちょうど十一時になる計算!」

 ノクターンはきびきびと、壁にかかっている大時計、五時を向いた短針を指差す。

「我はこの生徒会室で優雅に待っているので、十一時になったら訪ねるのだ。その時の答えが合っていれば、氷澄ネレの要請通り、我々は侵入者への迎撃をやめよう!」

「は、話から何から全部初耳よ……!」

「うふふん、まーたノクさんの無茶ぶりが始まりましたよ……」

「再戦の機会は、思いのほか早く訪れたようだな……!」


 六不思議メンバーは各々、戦意をみなぎらせる者、露骨に難色を示す者、困惑する者、と反応が違う。


「我々が勝てば、氷澄ネレ。あなたは二度とこの世界に足を踏み入れない事を、誓ってもらいたい」


 ノクターンが澄んだ視線で射貫いて来る。

 思わぬ展開になったが、六不思議の戦いをやめさせる、またとないチャンスでもある。

 ノクターンの思惑は不明なものの、ネレを陥れた所で六不思議にメリットはあるまい。


「要するに……血液型当てみたいなものだよね」

「全然違うが」

「いいよ。その対決、受ける」


 迷っている時間ももったいない。

 少し考えた後、ネレは頷きを返し、勝負を受諾した――。

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