第2話 電子魔法
翌日。ネレが松葉杖を突いて学校に向かうと、それなりの人数が登校して来ていた。
ぱっと見た限り、クラスメイトの多くの顔ぶれが教室にある。
ネレと同じく包帯を巻いている者も見られるが、血の匂いの濃さからして、そこまで大きな怪我も負っていないようで、胸に溜まっていたものを安堵の息とともに吐いた。
だが、彼らはネレをちらりと見やるなり――顔を背ける。
「ねぇ、氷澄ネレが来たわよ……」
「吸血鬼って、マジなの?」
「異種族だったのかよ……気持ち悪……最初に言えや」
「黙ってたんだろ。バレるのが怖かったから」
あちこちで囁かれる声を、人間よりも優れた、吸血鬼としての聴覚は拾ってしまった。
昨日、仲良くなったグループの方へ視線を移すも――彼女達は揃って、ことさらな大声で、白々しい談笑を続けている。
ネレは孤独になった。
皆、ネレに話しかけて来る事はなくなり、学校の用事などでこちらから接触しないといけない場合も、会話はよそよそしく、必要最低限以下に抑えられる。
ネレが吸血鬼という事実は一夜にして学校中に広まったらしく、どこへ行っても似たような扱いを受けた。
面と向かって嫌がらせを受けているわけではない。
目を合わせてくれない。ネレが近づくと静かになる。あるいはその場から離れる。
真綿で首を締めるかのような、緩慢な隔離。
同じ空間にいるのに、触れてはいけないし、視界にも入れてはいけないもののよう。
「えー、では今回は、迫る中間テストに向け、改めて魔法についてのおさらいを行う」
魔法学を担当するニーメゲル人の教師が、チョークを手に、黒板へ魔法に関する基礎的な情報を書き込んでいく。
「魔法を使うには、魔力、呪文、触媒の三種が必要になる。魔力とはすなわちヒトの持つ生命力。生命力を呪文で魔力へ変換し、触媒を通じて魔法として放つ。これが古来より受け継がれて来た、基本的なメカニズムだ」
「なんかめんどくさいですね。ふるくっさくてアナログな感じで」
ぼやく生徒に、教師も同意見だと頷いて。
「魔法の種類にもよるが、用意するのが特に大変なのは触媒だ。専用のレアな素材を調達したり、難解な魔法陣を描いたり、呪文書を徹夜詠唱したりと、正直手間がかかる」
だが、と教師は更に、黒板へニーメゲル、電子魔法、すごい! の順で書き加えていき。
「聖なるニーメゲルが開発した『電子魔法』は、それら多くの煩雑な手続きをぶっ飛ばし、ボタン一つで魔法を使えるよう改良した、人類史上初の極めて画期的な発明なのだ!」
電子魔法とは魔法をデータ化して内部構造を組み換え、誰にでも簡単かつ自由に扱えるようにしたものだ。
「発動条件にも手が加えられたため、使用感もより簡便になった。例えば魔力の消費量が減ったり、一つの魔法に対して、用意する触媒も一つのみで済むようになった。かくいう先生はこないだ杖を新調したぞ。最近は小型化も進んで教鞭と区別がつかんな」
と、教師が樫の素材で製作された杖をひょいと見せる。
「異種族の中には己の体組織を触媒として、魔法を行使する技術もあったって噂ですよ」
眼鏡をかけた頭の良さそうな女子学生の言葉に、教師は鼻白んだ風に肩をすくめる。
「そんなもののほとんどは、埃をかぶった古臭い因習やら程度の低い伝統やらが重荷となった、魔法局に認可すらロクにされていないはぐれものばかりだろう。いずれは消え去る定めだ。気にしないでいい」
「時代に取り残されてるんですね。異種族ってかわいそー」
「自分の皮膚とか肉を代償にするとか、野蛮すぎっしょ。滅んで当然」
これみよがしのやりとりを聞いたネレは、授業内容をノートへ写す手を止めた。
背中に視線。クラスメイト達の。――そう感じるのは、きっと気のせいではない。
とにかく、と教師がすっかり熱の入った調子で結びにかかる。
「大戦が起きる以前の時代には、魔法はまさに物語の主役さながらに扱われていたが――電子魔法へその形態を変えてからは、限られた熟練者を除き、往時ほどの威力は失われた」
百年前の歴史について軽く触れながら、ばしばしと黒板にも書き込んでいく。
「魔法はロマンと発展性を忘れた代わり、我々の助けとなり、親身に理解してくれるパートナーへ生まれ変わったのだ。豊かで便利な生活を営むため、活用していきたいものだな」
と締めくくった。
「これが一年間続くんだぜ? たまったもんじゃないよな」
放課後になり、帰り支度をしていると、隣の席の男子生徒が不意に話しかけて来た。
――そうやって声をかけてもらえるのが、実に数十年ぶりみたいな錯覚を覚え、ネレは目を丸くして見返し。
「あ、隣の席の人……」
「ま、学校が休校にならなかったのは何よりだ。山場はランク3の土魔法使いだしな。壁とか天井、よっぽど頑張って修理したんだろ。まだ窓は枠だけで風とか入りまくりだけど」
「そ、そ、そうだね」
「なんだよ、その鳩が豆鉄砲食らったよーな顔」
「鳩が……何?」
「あ、ワホンの例えだから分からないか。悪い。とにかくさ、見てていたたまれなかった」
男子生徒は肩をすくめる。でも、とネレは目を伏せ。
「……異種族と話してると、隣の席のあなたも一緒の目にあうかも」
「あー、いいよ別に俺は。スルーされるのには慣れてるから、気持ちが分かるっていうか」
「そうなの……?」
「おう。なんか嫌われてんの、俺」
はは、と彼は屈託なく笑い。
「あのさ……誰も言わないから、俺が代表して言うよ。――守ってくれて、ありがとな」
思っても見なかった言葉を受け、ネレは口を開けて目を瞬かせる。
「みんなも本当は、感謝の気持ちはあると思うんだよ。けど、それより異種族への忌避感? とかが勝ってるのかもしれないっていうか……」
シルバーブレットは去ったが、異種族はまだ目の前にいる。そういう事なのだろう。
「自分も仲間外れにされるかもって、誰も言えないのかもしれない。同調圧力。学校って小さな社会の縮図だから」
「そう、なのかな」
「きっとそうだって。むしろ守ってなかったら、もっと大々的にいじめられてたかもな?」
笑い含みに言われ、ネレは肩を落とす。
「……あんまり喜べない」
「それにこんな田舎だから、この程度で済んでる。ニーメゲルの都市部とかもっとヤバイらしいぜ? こえーな」
男子生徒が、ネレの包帯で巻いた右目や、松葉杖へ視線を流す。
「……結構な大怪我に見えたんだけど、大丈夫なのか?」
「一応、人と比べて治癒力は高いから。むしろ大量に血を使って、貧血の方が大変」
「手術受けてなかったら、もっと早く治ってるんだろ? 不便だよな……」
人間以外の異種族は、老若男女問わず遺伝子改造手術を受け、能力は人とごく近いランクまでスポイルされている。
エルフは自然と共鳴し調律する能力を奪われ、ドワーフは頑強な肉体や細工のための器用さを失った。
「確かに力は弱ってるけど、太陽が苦手な因子も一緒に減って、日中でも動けるから……」
「良し悪しってやつか? 俺だったら絶対耐えられねー。ニーメゲルに反旗翻してレジスタンスにでもなってる」
「そういう事、あんまりおおっぴらに言わない方がいいよ」
ニーメゲルといえば、と男子生徒が話題を変える。
「昨日の不良連中、警備の人や警察になだめられて、帰ったみたいだぜ」
「じゃあ、もう来ない?」
「『シルバーブレット』は悪名高いからなぁ。ほとぼりが冷めたら、また来るかも」
許せない、とネレは眉根をひそめた。
「どうしてあんな人達が野放しに……」
「ひでぇよな。あんだけの頭数に、バイクに、武器に、裏魔法まで揃えてる」
裏魔法とは、公的機関に認められていない、非合法に売買されている魔法を指す。
けど、と男子生徒は肩をすくめる。
「ニーメゲル人のやる事には、ワホンは強く言えねぇのよ」
百年前、人間種のみで構成された国ニーメゲルは七つの異種族国家へ向けて、征服戦争を引き起こした。
異種族達は協力して抵抗したが、圧倒的な軍事力の前に敗北を喫する。
ワホンもまた人間種の国に該当するが、異種族とは友好関係にあり、またニーメゲルの野心と横暴を良しとせず、他の人間種の国とも手を結び、異種族の味方へ回った。
しかし纏めてニーメゲルに撃破され、異種族のように遺伝子ごと改造されたり、国土を植民地にされない代わり、あらゆる不利な条約を結ばされ、現在に至る。
「角を曲がればニーメゲルの店、ってわけじゃないけど……ここ数年でまた増えたよなぁ」
男子生徒は自分の机へ寄りかかり、遠い目をした。
「というわけだから、下手につっかかっていかない方が身のためだ。あんまり心配しなくても、もう来ない可能性だってあるし」
ネレは納得できなかったが、そこでふと別の疑問が湧き上がる。
「そういえば……あの人達の後輩って、何をしに学校に入って来たのかな」
「何って……七不思議を暴くためじゃねぇの?」
「ななふしぎ?」
「うんと昔……五十年くらい前から、この学校に言い伝えられてる、七つの怪談ってやつ」
名前くらいはみんな知ってるんじゃないか、と男子生徒は続けて。
「それだけ有名なんだけど、実際に過去に起きた出来事なのか、正体とかは、誰も暴けていないんだ。噂の出どころももちろん不明。――分かってるのはただ一点、魔法を使うって事だけで」
「魔法、を……」
「だからこそ余計知りたくなるし、謎を解ければ一躍ヒーロー間違いなし。そういう名声目当ての奴とか、度胸試しのためとかで、他校からもこっそり忍び込む奴がいるって話」
では今回の件も、七不思議が端を発しているのだろうか。
「他校の生徒が、七不思議を調べに来たけど失敗して、お礼参りに私達が襲われた……」
「因果関係はそうなる、よなぁ……とんだとばっちりだぜ」
「七不思議って、どういうのがあるの」
「俺は別に興味ないから、知ってるのはほんのさわりだけだぞ」
男子生徒は肩をすくめる。
「まず、七不思議と出会うには、ある条件を達成する必要がある。それは放課後、四時四十四分ぴったりに、校門を越えて敷地内に入る事だ」
「四時四十四分……」
「その前でも、後でも駄目だ。時間きっかりに入ると、異界と呼ばれる不思議な世界で、七不思議と会えるらしい」
「割と、簡単なんだね。時間だけ合わせればいいなんて……どうしてだろう」
「知らねぇ。七不思議に聞いてみてくれよ」
斜め上へ視線を振り上げ、指折り数えながら説明してくれる。
「えーと、一つ目は……誰もいない校舎で、闇に響く高笑い。二つ目は、誰もいないのに感じる、背後の視線。三つ目は、誰もいない家庭科室から漏れる光と、極上の香り。四つ目は、誰もいない音楽室で響く音色……」
「基本的に、誰もいない感じなんだ」
「まぁそりゃ、誰かいたらただのそいつのイタズラってオチじゃん」
続けるぞ、と男子生徒は一つ咳払い。
「ただこっからは、ガチで危険度が高そうなラインナップだ。五つ目は、薙刀を手にさまよう、甲冑を纏いし鬼武者。六つ目は、校舎を縄張りとする闇の獣達。――そして七つ目は、鏡の中で笑う少年……」
「……ざっと聞いただけでも、人為的なイタズラなのか、本当に超常的な現象なのか、判断がつかないね」
「ま、普通誰もいないのに楽器が鳴るわけないし、鏡の中に人が入れるわけもないからな」
科学や魔法で説明できる範疇なのか、はたまた噂に尾ひれがついて語り継がれているだけか。それとも。
「……実際に自分で、確かめてみるしかないかな」
え、と男子生徒が目を瞬かせる。
「もしかして氷澄、お前も七不思議解明に挑戦するのかよ?」
「うん」
「い、いやいや! 七不思議と会うための条件は緩いけど、今まで挑戦した奴は全員、逃げ帰って口を閉ざしてるんだぞ?」
「うん」
「マジで厄ネタかもしれない。それでもなのか?」
「おおむねそう」
「どうして、そこまでして……」
「七不思議のせいでまた、今回みたいな事が起きたら、多くの人が怪我をするかも知れない。私にできるのなら、そんな得体の知れない噂は、解明しておいた方が絶対にいいよ」
それに、とネレはやや目を伏せ。
「――七不思議を暴けたら、みんな見直してくれるかも知れない。昨日みたいに、普通に喋ってくれるようになるかも知れない、から……」
「そっか……やっぱしんどいよな、こんなのが続くのって」
「うん。もう一秒だって、耐えられない」
「ま……上手くいくかは分からねぇけど、なんつーかロックな考え方だな」
男子生徒の目線は、同情すればいいのか笑えばいいのか、言い知れない温度だった。
「それに単独だと不良集団には勝てないけど、七不思議の謎を解くだけならできるかも」
「お、おう……色々とツッコみたいがまぁ、頑張れよ……」
「ありがとう。隣の席の人」
すると男子生徒は、ちょっと恥ずかしそうに頬を掻いて笑い。
「あー、そういや名乗ってなかったよな。俺、伊予原幽也。改めてよろしくな」
ネレはその名を口の中で小さく復唱し、かすかにはにかみながら頷きかける。
「よろしくね……伊予原くん」
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