第20話 不思議同盟

 翌日。午後六時。

 ネレが家庭科室に足を踏み入れると、すでに六不思議のメンバー全員が集まっていた。

 机の上には巨大かつ豪華な柄の施された、円形のパックがいくつも置かれている。

 中身には彩り豊かな寿司が詰め込まれていて、中トロや大トロに至っては電灯の光を照り返し、煌びやかに輝いていた。

 一流の職人が盛りつけたのか、並べ方一つをとってもそれぞれのネタが目立つようになっており、実に食欲をそそる。

 近くには小皿と醤油さし、そしてお茶のボトルやジュース類、エナジードリンクなど、アルコール以外の飲料ががっつり揃えられていた。


「ファーハハハ! どうやらゲストもご着到のようだ!」


 ノクターンはネレが現れたのを一瞥するや、手を叩いて注目を集める。


「皆の活躍により、ならず者どもはこの聖地より追放された! ここに祝勝会を開きたいと思う!」


 ぱちぱち、とまばらに拍手が響く。イズルはノクターンの話などどうでもよさそうに、どの寿司から手を付けるべきか、箸を手に机の周りをぐるぐる回っていた。


「本来であれば、六不思議が誇る料理人イツハが満貫全席フルコースを用意してくれるのだが、彼女は負傷者の手当てのため魔力を使い尽くし、残念ながら回復しきっていない!」


 そこで、とノクターンはマントを翻し、両腕を大きく広げ、声高に叫ぶ。


「今回は寿司パーティで代替する事とした! さぁ、狂い飢えし魔の眷属達よ! 今宵は酒池肉林……捧げられし供物を存分に喰らい尽くすがいい! 無礼講だー!」

「あ、このマグロおいしい」

「ってもう食べてるー!? こらイズル、話の最中ではないか、水を差すな!」

「てか、ノクターンは演説長いのよ。みんなお腹空かせてるのに」

「ノクさんって自分に酔いすぎて、ちょっと空気読めないですよねぇ」

「だーもう! 今回の寿司、全部我の自腹なのに! どう考えてもここは歓喜の声で始まる場面だろう!? なんで文句言われなきゃならんのだ!」


 ノクターンの抗議にはろくに誰も耳を貸さず、好き好きに寿司を食べ始めている。

 グダグダな空気だが、祝勝会には違いなく。

 鏡の前でバイオリンがひとりでに浮かび、アップテンポでリズミカルな曲を演奏し、楽しげな雰囲気を演出してくれている。


「ほう、キョータが今回の余興係か」

「余興係……?」


 ネレが尋ねると、ノクターンは顎を反らして腕組みした。


「祝勝会では、六不思議の誰かが一発芸を披露する習慣があるのだ。ただ飲み食いしながらダベるだけでは退屈だからな」

「ノクターンが、マジックショーやりたいのだー! とか言い出したのが始まりよね」


 イツハが会話に加わって来る。


「ふっ……懐かしいな。思えばあの時の参加者は我一人であったが、構うものか。この闇に呪われし手管にて怪異達を楽しませられるのなら、いくらでも道化となろう!」

「とか言ってるけど、この子ホントは、練習した手品の腕を自慢したかっただけなのよ」

「……だって普段はみんな相手にしてくれないし、ああいう場じゃないと見てもくれない」


 ノクターンは人差し指同士をこすり合わせながら回し、少しいじけている。


「まったく、手品が成功した時の愉悦とみんなの冷たい目との温度差が、今でも胸を突くほど懐かしいなぁファーハハハ!」

「てな感じで、なんとなく続いているのよ」

「そうなんだ……」


 キョータは鏡の中で、楽しそうにバイオリンを弾いている。ピアノだけではなく、様々な楽器の使い方にも精通しているのだろう。


「キョータの分は、残しておいた方がいいんじゃ」

「キョータ――というか余興係は、後でちゃんと食べるから平気よ」

「そもそも……六不思議の祝勝会なのに、私が参加していいのかな」

「って遠慮する割には、もう結構食べてるじゃないあんた……それよりシーラとイズルがお礼を言いたがっていたわ」


 ネレは目を白黒させた。

 確かに結果的には二人を助ける格好となったが、シーラはともかく、イズルまでとは。


「え……どうしよう」

「いいから声かけてあげなさい」


 イツハにせっつかれ、とりあえず近くの壁に背を預けていた、シーラの方へ向かう。


「シーラ……食べないの?」


 ノクターン達は寿司を取り合ったり大声で浮かれ騒いでいるが、シーラは甲冑を外さず、薙刀も横に立てかけている。

 その佇まいから、このような時でも気を緩めず、警戒に当たっているのは明らかだ。

「……四時四十四分からは、いつ侵入者が踏み込んで来てもおかしくない。逢魔が時より、私は六不思議を守る鬼となるのだ」


 食事は後で取るのだろうが、なんという責任感。


「それよりも……まだ礼を言っていなかったな。危うい所を救われた」

「別に、いいよ。無事でよかった」


 けれどどうしてか、シーラの声色は優れない。

 普段であれば引き絞られた鋼糸めいた気配にも、今は暗い影を落としている。


「……心理の裏をかかれた。奴の魔法が想定を超えて強大だった。……理由などいくらでもつけられるが、結局は私の未熟さ加減に集約される。我ながら失態だった」

「たまには負ける事だってあるよ」

「そうはいかん。――私に敗北は許されないのだ、決して……!」


 シーラは語気を強めたかと思うと、今度は深くうなだれ、大きくかぶりを振った。

 そこまで強い思いを抱く理由は分からない。まだ踏み込んではいけない領域とも感じる。

 だから。


「……シーラのおかげで、思いつけたんだよ。弱点を克服するやり方」


 あの新血剣は、シーラとの戦いで視野が広がり、編み出せた回答に違いないのだから。


「氷澄……」

「感謝してる。だからまた勝負しよう。今度は勝てる気がするし」

「ふ……それこそ百年早い」


 面の奥で、シーラがわずかに笑った風に感じた。

 踵を返して進んだ先で、ヤクモとサギリに道を塞がれる。


「な、なに……?」


 問いかけると、二体はちらちらと神経質に背後を振り返り、何事か伝えたい風だ。

 最近は少しは仲良くなれたのか、ネレを吠えたり無視したりしては来なくなった二体。

 意思疎通が完全とまではいかないものの、その意を察し、視線を先の方へ送れば。


「むー……」


 口元を真一文字にしたイズルが、しかめっつらのジト目でこちらを睨んでいた。

 何かをこらえるみたいにうなり声を漏らし、時々ぷくーっと頬を膨らませたり。

 待っていると、やがて顔を真っ赤にしながら、早口で叩きつけるように。


「……ありがとう!」


 手近にあった寿司パックを丸ごと引っ掴み、廊下へ飛び出す。


「お、おいイズル! それ我のなんだが!? 我のウニなんだがッ!?」


 困惑するノクターンにもイズルは応じず、足音は遠ざかっていく。


「ええい、待たんか! ってサギリ! ヤクモ! なぜ邪魔を――のわぁぁっ!?」


 照れ隠しか八つ当たりか、ノクターンには気の毒だが、ネレはふっと笑みをこぼした。

 メアの様子を見に行くと、さっきから黙々と寿司を食べ続けている。

 否、黙々というのは語弊があった。無言であるのは確かだが、とにかく音が汚いのだ。


「はぐっ……むしゃむしゃっ……ずちゅるッ!」


 メアはたっぷり醤油を注いだ小皿へ寿司をつけ、真っ黒にしてから口へ放り込んでいた。

 さらに一気にエナジードリンクで飲み干す。


「んぐっ……ごきゅごきゅっ……ンッ、ン~ッ! サイケデリック!」


 全ての行動が身体に悪く、見ているだけでも口の中が粘つくような錯覚がせり上がる。


「あ、氷澄さぁんじゃないですかぁ。このタコ美味しいですよ、どうですか~お一つ」


 突き出されたネタは醤油まみれで、タコと呼ばれるまで原型が分からなかった。


「遠慮しておくよ。……そういえば、素朴な疑問なんだけど」


 ネレは周りで食事中の六不思議を見回す。


「一度、死を体験したって聞いてるけど……みんな、普通にお腹が減るんだね」


 勝負のため、幾日かともに過ごしてみたが、基本的には常人と変わらないように見える。


「まぁ生理現象とかはありますよ。お腹空きますしトイレも行きたくなりますしムラムラしますし」

「そこまでは聞いてない……」

「あ、そういえばこの間ぁ、特製のバイブを開発しまして。自信作、お一つどうですか~」

「遠慮しておくよ……」


 やはりこの人は危険だ。色んな意味で。


「もし……もしだけど、何も食べなかったら、どうなるのかな」

「衰弱しますね~」

「……その後は」

「死ぬんじゃないですかぁ?」


 なにげない口ぶりのメアを、ネレは真顔で見据える。


「……死んだら、死ぬんだね」

「厳密には、どうなるかは検証できてません。無機物とかと同じく再生するかも知れませんし、存在ごと消えちゃう可能性もありますねぇ」

「あなた達にとっての死の概念って……どうなってるの?」

「分かりません。こんな感じになってから、誰も死んでないんで」


 その返答を聞いたネレは、複雑な思いでノクターンの所へ行った。


「おお、氷澄ネレ。宴もたけなわといった風情だが、楽しんでもらえているだろうか?」

「うん。お寿司、おいしい」


 それは良かった、とノクターンはお茶のボトルを飲み干し、ハンカチで口を拭きながら。


「よければ、屋上まで少し付き合ってくれないか? あなたと話したい気分なんだ」

「いいよ。私も……ノクターンと話したかった」


 二人で家庭科室を抜け出し、廊下を進む。


「こうして二人きりで歩くのは、あなたが現れた日以来か? 随分久しぶりに感じるな」

「そうかな。私にとっては昨日の事みたいに感じるよ」


 それにしても、と先頭をゆくノクターンが感じ入った風に、声を弾ませる。


「あなたの翼、めっちゃかっこよかったな! もしや、クラスメイトを守ったという時も、アレを使ったのだろうか?」

「……見ていたの?」

「カメラで撮影した映像は記録されているゆえ、後日に拝見させてもらった。血で翼を作るという発想、その澄んだ色合いと洗練された形状……感服したぞ、琴線が震えた」

「家に伝わる魔法は……一通り覚えてるから」


 他者を一度に複数守れる魔法は、あの血翼のみ。消耗も激しいが、やむを得なかった。


「機会があれば、ぜひにとも血の魔法について知りたいものだ。同じ闇に生き、瘴気の根源を操る者として……な。フッフッフ……!」

「う、うん」


 他愛もない会話をしながら、屋上へ出る。今日の空は曇っており、月や星は隠れていた。


「……さて。六不思議を代表して、改めて礼を言わせてもらおう」


 いつかの時のように、ノクターンは振り返り、微笑みを向けて来る。


「おかげで助かった。借りを作ってしまったな」

「別に……私は」

「しかし一方で、解せない点もある」


 と、ノクターンは目線を無人の校庭へ流す。


「あの時のあなたは、メアとカメラで様子を見ていたという。直前のシーラは、防戦に徹してはいたものの、まだ余裕があっただろう」


 そう。シーラとイズルがピンチになったのは、本当に最後の一分程度。


「特別棟から本棟へ至るには、例え隠し通路を使おうと、数分を要する。実際、もっと離れた体育館にいた我は、メアからシーラ救援の知らせを受けても、間に合いはしなかった」


 つまり、位置的にネレは、シーラが窮地に陥るよりも先んじて、動き出していなければいけない。


「先ほど言ったように、あの時点では敵の自滅で、シーラが勝つ可能性は高かった」


 うん、とネレも同意する。実際、同室のメアも、同じ分析を口にしていた。


「にも関わらず、どうして奴の奥の手を読み、決断できたのか」

「……直前で、思い出したんだよ」


 ネレは説明する。『シルバーブレット』が紅月高を襲撃した時、手下達とともにリーダーが使ったのは、破壊的威力の風魔法であった事を。


「いくつも裏魔法を利用していたけれど、あの風魔法だけは使わなかった。それが少し……ほんの少しだけ、引っかかったから。それに」

「それに?」

「六不思議に何かあったら、六不思議の噂を解決できなくなる。結局は自分のためだよ」

「――逆ではないか?」


 にぃ、とノクターンは口の端を歪める。逆、とネレは呟き、眉根を寄せた。


「あなたにとっては、むしろ我々が全滅でもしてくれた方が、都合が良かったはず」

「……なぜ」

「簡単だ。この世界で、我々が消えた事を知るのはあなただけ。ならば六不思議は『解決』したと、現世で吹聴し放題ではないか」


 ……その発想はなかった。だが、確かにそうだ。


 もし六不思議側がそれ以上、活動できなくなれば。


 ――人々を恐れさせた噂は、解決したと表現しても過言ではあるまい。


「だからこそ問いたい。一体何がきっかけとなって、その足を踏み出させた?」

「……メアが言っていたよ。やっぱりその、あなた達は、命を失う事もあるかもって」

「傷、病、衰弱……その果てに何が起きるのかは、我にも分からん。ただ、今のようなお気楽な暮らしはできなくなるだろうな……」


 まぁ、とノクターンは肩をすくめる。


「あなたが善人なのは承知の上だ。不躾な質問だった事は認めよう。許してもらいたい」


 ネレは沈黙で応じた。ノクターンが許せないわけではない。

 ただ、ノクターンに思わぬ『解決法』を提示された一瞬、何も答えられなかった事実が、細い杭じみたつっかえを感じさせていた。


(……私の心配は思い過ごしで、あのままシーラが勝っていたかも知れない)


 少し嫌な予感がしたという程度で、ただちに己の足が動いたのは、なぜなのだろう――。

 釈然としない空気を忘れるように、ノクターンが声色を変え、両腕を胸の前で交差させながらポーズを取る。


「闇の底にて、我らの間で百年あまりも続いた、長き闘争の件だが――二つ提案がある」


 恐らく、ネレと六不思議の間で取り交わされている勝負の話だろう。


「まずは一つ。休戦協定を破棄する」


 思わぬ発言に、ネレは狼狽した。


「どうして……そんな、いきなり」

「このような代物はもはや、必要ないからだ。今回の件で、それがよく分かった」

「……二つ目は?」

「六不思議と氷澄ネレ。双方に新たな取り決めを作ろうと考えている。休戦協定に代わる、革新的約定をな」

「新たな取り決め……?」


 ふっ、とノクターンは笑みを浮かべ、その場でターンし、空を仰ぎながら諸手を広げる。


「そう、これより我らは同盟者だ! 争う事なく、困れば助け合う、目的を一致させた同志となろう!」


 ノクターンの大仰な動作はいつもの事だが、今回の宣言っぷりには、あっけにとられた。


「えっと……つまり、過激な活動はもう、控えてくれるの?」

「その願いを即座に実現するのは難しい。我々にも使命がある事は、すでに伝えた通りだ」


 だが、とノクターンは清々しい顔つきで振り返り、ネレをひたと見つめる。


「同志となった氷澄ネレが、これまでに見せてくれた意思と覚悟! そして受けた恩は、決して無下にはしない! 我々もできる範囲で、あなたに協力しようッ!」


 ネレは口を開け、ぽかんと見つめ返す。


「六不思議が、私を助けてくれるの……?」


「現世では吸血鬼だからと弾劾され、不当な扱いを受けているらしいな。我らの高潔にして勇敢なる同盟者にそのような真似は許しがたい! 六不思議の総力をもって、あなたを苦悶の孤独から救い出す事を約束するッ!」


「……それは、うん。すごく、嬉しい、よ……びっくりした」


 どうにも反応の薄いネレに、ノクターンは目を瞬かせ。


「む……このサプライズ、流石に戸惑わせてしまったかな」

「ううん。嬉しいのは嬉しい、んだけど……。みんなって、現世には来られないんだよね」

「……まぁそうだが? その通りだが!? その辺の方策は、おいおい考えていくさ。さっきも言った通り、さっさと解決する問題でもないだろうからな、うんうん」


 ちょっと吹き出してしまう。しっかり予防線を張られていた。

 この辺、ノクターンは抜け目がないというか。


「本当に……驚いたよ。休戦を破棄っていうからには、てっきりまた戦うのかと」

「……我は、六不思議には新たな色彩が必要だと考えている」


 ノクターンは語調を穏やかなものにし、屋上を歩きながら語り始める。


「この地を守るという大切な役目。安定してはいても、変化のない日々。イズルあたりはそれでもよいと考えているが……外の世界、すなわち現世は常に変わり続けている」


 ぽた、ぽた、と。気づけば曇天が深まり、少しずつ雨滴が降り始めていた。


「その証拠が、氷澄ネレ――あなただ。道理をわきまえぬ不届き者は討伐するに限るが、あなたのように善良な者も、時には巻き込んでしまう。そして新たな戦いをも呼び込み、仲間を危険にさらす結果となった」

「ノクターン……」

「我々も変わらねばならない。これはその絶好の機会なのかも知れない。だから氷澄ネレ」


 ノクターンが足を止め、ネレへ真摯な眼差しを注ぐ。


「力を、貸して欲しい。お互いの目的のために。……幸せのために」

「……私は」

「――降って来たな。中に戻ろう」


 言い淀むネレをよそに、ノクターンは手のひらで雨を数滴、受け止め。踵を返す。

 ネレも、後に続く。空模様は初めて六不思議に会った時と同じ、どしゃぶりになった。

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