第5話 交渉人ネレ
「まったく、ノクターンも大げさよね。ちょっと身体が六ケ所くらい切れただけじゃない」
緑髪の少女が愚痴っぽく呟きながら、ネレの右腕を台へ固定し、手をかざしている。
手の先からは穏やかな陽光を思わせるぬくもりが発せられ、次第に出血と痛みが治まっていくのを感じた。癒しの魔法による治療である。
ネレは自分の運び込まれた部屋を見回す。
並んだ白いベッド、カーテン、漂う消毒液の匂い。棚に揃った様々な薬品。
保健室である。ぱっと確認した限り、おかしなものは置いていないものの、電気は通っているのか、普通に照明がついていた。
壁の時計を見れば、すでに二十三時を回っている。面倒を見てもらっている叔父と叔母には、今日は遅くなるかもと言い置いておいたが、流石に心配させてしまっているだろう。
窓辺では、椅子に腰かけて頬杖を突いた、もう一人の少女が雨を眺めている。
「……なんか気持ち悪いわね。なによこれ」
少女が不快そうな声を発したため、自身の腕へ目を戻せば、赤黒い傷口の中で何匹ものゲルかナメクジめいた粘性の物体が、しきりにのたうち、蠢いている様子が見えた。
「……血液を傷の所へ送り込んで、細胞とかを活性化させて、早い回復を促してる」
「ふーん……血の魔法の一種なのかしら? 正直見た目はあんまり良くないわ」
とはいえ怪我一点へ血液を集中させる分、多くの魔力や体力を消費する。落ち着ける場面でしか使いにくい。
「……初級魔法じゃ全部は無理ね。魔力も尽きたわ。後は自分で治してちょうだい」
手を下ろし、少女が嘆息する。まだ二つもの裂傷が残るが、自力で処置できる範囲だ。
「ありがとう。ええと……?」
「……イツハ。そっちの子はイズルよ」
やはり、そうなのか。わずかな髪型の違い以外、ネレには見分けがつかない。
「別に、礼なんかいらない。嫌々やってる事だし」
と、そこまで黙っていたイズルが不満そうに口を開く。
何とも嫌な沈黙が降りた。イツハは雰囲気をとりなすでもなく、車椅子を器用に動かし、治療に使った器具をいそいそと片付けている。
――現状、こうして治療してもらっているわけだが、どうにも気が休まらなかった。
そんな時、堂々たる足取りが廊下から近づいて来たかと思うと。
「ファーハハハ! 待たせたな!」
勢いよくドアが開き――意識を失う直前に見かけた、黒マントの少女が姿を見せた。
「ちょっと、保健室では静かにしてって、いつも言ってるでしょ」
「わ、悪い……つい」
自信ありげな満面の笑みの、胸を張ったハイテンションで踏み込んで来たかと思えば、ぴしゃりとイツハに叱られ、しょんぼりと肩を落としたものである。
「い、いやいや! 気を取り直してだな……気分はどうだ?」
目を向けられ、ネレは頷く。
「おかげで、だいぶ楽になったよ」
「そうか。それは良かった。我ら六不思議は荒っぽい侵入者には控えめかつ非情な態度を取るが、別段命までもらいたいわけではないからな」
少女はイズルへも目をやり。
「イズルも、そうあからさまに不機嫌な態度を取るな。もしも何かあったら、どうするつもりだったんだ」
「死ななかったんなら、別にいいじゃん」
イズルが振り返り、目を細めて少女を睨む。
「さっさとそいつを追い出しなよ。敵でしょ? ノクピーがいつも言ってる、邪悪の手先。だったらどうして、いつまでも近くに置いてるわけ」
「今回に限っては、そうではないかもしれんのだ。むしろこちらの早とちりであった可能性も高い。事の次第を見極めるためにも、我としては対話を試みたいと思っている」
「じゃあ勝手にしなよ。――行こ、イツハ」
イズルは立ち上がると、イツハの車椅子を押し、二人して部屋から出ていってしまう。
「……不作法者だが、あれも心から仲間を思っての事なのだ。勝手な話だが、悪く思わないでもらいたい」
「別に、気にしてないけど……」
ネレは少女の背中へ話しかける。
「私は氷澄ネレ。あなたは……?」
「ふ――聞きたいか。ならば答えよう!」
瞬間、少女はマントを翻して振り返り、腰をひねりながら両腕を斜めに構え、それぞれの指先で天地を差した。
「我が名は闇の支配者、ノクターン・グリオンタード! 聖地の守護者にして闇の魔法を操りしスティグマの賢者であるッ!」
ネレは数秒、真顔で硬直した。
そうして、多大な苦労の下、口を開き。
「そう」
とだけ、どうにか反応する。
「我が真名は口にするだけで、常人にとっては呪毒も同然。よってノクターン、と気軽に呼ぶといい。……ああ、そう構えるな。お互い、フランクに語り合える関係を目指そうじゃないか。我は王にあらず。ただこの世の真理を探究する一求道者に過ぎんのだからな」
「う、うん」
少女――ノクターンのふるまいにはあまりツッコまない方がよさそうだ。ネレは本能的にそう悟った。
「ではさっそく、本題にとりかかろう」
ノクターンは笑みを引っ込め、突き刺すような眼差しを向けて来る。
「最初に一つ問いたい。あなたは敵か、それとも招かれざる客人か」
――数秒前まで、八重歯を見せて機嫌よく笑っていたと思ったら、今は降り積もる氷雪を思わせる、怜悧な表情。
刹那の温度差に面食らうとともに圧倒されたが、こちらも平静を装って答える。
「どちらでもない。私はただ交渉に来ただけ」
しんとした沈黙。ノクターンの目には一分の曇りもなく、ネレの方が狼狽しそうだ。
「ほう。交渉人とは、面白い!」
かと思えば再び、花が咲くような屈託のない笑みを浮かべ、ちらりと窓へ目をやり。
「……通り雨だったらしい。凄艶なる月が戻ってきた。よければ、少し歩かないか?」
促すように、右手を振った。
――ファッションか何かなのか、肘先から二の腕にかけて、白い包帯が巻かれている。
いずれにせよ、このわずかなやりとりだけで、ただ者ではない印象を受けた。
提案に応じ、ネレはノクターンの後について保健室を出て。
ドアのすぐ横。一切の気配を消し、影の如く控えていた鬼武者に気づき、瞠目する。
「オ供シマス。ノクターン様」
「いや、必要ない。客人と散歩するだけだ……物々しい事にはならん」
ノクターンと二人で連れ立ち、静かな廊下を歩いていく。
ネレは数歩後ろから続き、ノクターンを観察した。
年齢は、ネレと同じくらいに見える。鮮やかな鬱金色の髪と、赤みがかった黒い瞳。
黒マントには金の刺繍が施され、裏地は血のような紅色。上着とスカート、靴下から靴に至るまで、黒を基調とした品のあるフォーマルな装いである。
歩き方や組んだ腕、わずかに逸らされた胸。こうした所作一つとっても自信を感じる。
放たれるは何かの集団のリーダー的な役回りを務めていてもおかしくない、カリスマ性。
「まずは、あなたがここを訪れた用件を聞こうか」
ノクターンが口火を切り、水を向けて来た。
「その前に、聞きたい事がいくつかある」
ネレが逆に問い返せば、ノクターンは面白そうに口唇を歪めたものである。
「答えられる範囲なら、応じよう」
「ここは……この場所は、なに?」
「己が意志で足を踏み入れたのならば、察しはつくはず。現世と隣り合う、もう一つの名もなき世界――異界だ」
「異界……」
「現世の紅月高と似てはいるが、時間の流れや空間の広さ、あらゆる理がまったく異なる。例えば破壊されたり、失われた物は時間を置けば修復されるし、自由に魔法を使える」
「……私、結構暴れたような記憶があるけど。あれも全部、元に戻るの?」
「割れた窓、ヒビの入った壁、四散した机やら椅子。明日の四時四十四分を回れば、全て修復され、元の場所へ再配置されている。そういうルールが存在するのだ」
そこまで奇妙な法則の働く場所だったとは。
「だからといって、あまり大々的な狼藉を働かれるのは困る。我らにも秩序があるからな」
「……なら、あなた達は……何者?」
「我らは六不思議。この世界を守護せし戦士達であり、それ以上でも以下でもない」
「ここで起きている怪奇現象も、あなた達がやっている事? それに、一つたりてない」
高笑い、視線、鬼武者、家庭科室、音楽室、罠、鏡……怪異は総計、七つのはずだ。
「キョータ――鏡に入れる仲間がいてな。その者は鏡の中からこちらの物体にある程度干渉できるのだ。つまり実質一つの怪異が二つであるかのように、伝わっているのだろう」
「そうだったんだ。勘違いされてるんだね」
階段を上がり、三階へ。壁に配置された鏡に、一瞬人影が横切るのが見えた気がした。
「どうして、七――六不思議として、あんな真似をしているの? 私だから良かったようなものだけど……普通に危ないよ」
「噂を信じて訪れる者は、大抵は断りもなく、土足でこの地へ踏み込み、平穏と安息を乱そうとする。いくら警告しても、面白がるばかり。放っておけば荒らす、汚す、騒ぐ」
「だから……襲っている?」
「我らとてこの地を守護して長い。手の抜き方は心得ている。それなりに脅かし、怖がらせ、二度と入って来る気の起きないよう叩き出しているに過ぎん」
だが、とノクターンは肩越しに、ニヤリと笑い含みの視線を送って来る。
「稀に、あなたのように手強い訪問者がいるのだ。そんな時は、こちらも徐々に歓迎の程度を上げていかなければ礼を失するというもの。六不思議は楽しんでいただけたかな?」
「死ぬほどね」
「それは良かった。……まぁ、大事の起きぬよう我が監督しているのだが、他の者は精神が幼く無分別ゆえ、往々にしてやり過ぎてしまってな。悪気はあるのだ」
確かに、伊予原から聞いた限りでは、六不思議に返り討ちにされた者は大勢いるらしいものの、死人が出たという話まではない。さしあたり信じてもいいだろう。
「あなた達……六不思議の狙いはなに?」
「それを説明する前に、一つ質問がある。魔力というものの仕組みは知っているか?」
ネレは頷いた。魔法と密接に関係する魔力の概念は、義務教育で習う範疇だ。
「ヒトが身体の内側に備えている、生命エネルギーの事だよね。魔法を使う際には、魔力を消費しなきゃいけない。でも、魔力の総量はとても低いから、触媒や呪文で補助したり、後は大気中に漂っている魔力を利用したりして、消耗を緩和してる」
魔力と呼ばれる不可視の源泉を、触媒という器で必要な分だけすくいとったり、呪文というフィルターをかけて形を整える――そんなイメージである。
「なぜ魔力がヒトのみではなく、空気中にも存在しているのか――その理由は分かるかな」
教師のように人差し指を立てるノクターン。ネレは教科書の内容を思い返す。
「……えっと、昔、精霊っていう魔力が意思を持った存在が何人もいて、その人達の力で、たくさんの魔力が世界中に散らばっていた……って授業では聞いた」
「精霊はその有り余る魔力でもって、ヒトよりも遥かに強力な魔法を行使できたらしい」
彼らをニーメゲルが管理し、魔法が誰にでも使えるよう手を加えた代物が、電子魔法だ。
「同時に、各地に漂う魔力も希薄なものとなったが――全てが消滅したわけではない。とりわけ縁や思い入れの深い場所には、龍脈と呼ばれる、強い魔力が刻まれているという」
そこまで言われて、ネレは勘づく。
「まさか、その一つが……」
「察しの通り、この学校――というより、学校を含む周辺だな。このあたりは元々、闇属性を司る精霊の故郷であったらしい」
ノクターンは一旦足を止め、窓から見下ろせる裏門を見やる。
「各地に点在する龍脈のいくつかは、ニーメゲル政府が管理しているようだが、まだ未発見の地も残っている。無論、ニーメゲルに見つかれば厳重に監視される事になるが、そうでなければ……」
「先に見つけられれば、龍脈の魔力を好きにできる……?」
「電子魔法など及びもつかん、忘却されし旧き大魔法すら自在となるだろう」
「なら……もしも、龍脈の力を手に入れようとする人がいたら」
「大抵の侵入者は何も知らず、物見遊山目当ての可愛い客だが――中には全てを把握した上で、龍脈を奪わんとする邪悪な者もいる。ゆえに我らは、この地を守り続けているのだ」
そういう事だったのか。ようやく六不思議の目的が理解できた。
「それにしても、よもや今宵の客は、本物の吸血鬼とは!」
と、ノクターンが声を弾ませながら、さらに上階――屋上へ続く階段へ足をかける。
「氷澄ネレという名と窺ったが、それはワホン側の名前を使っているのだろう? 本来の血筋はいかなるものか。もしやかの『鮮血の三公爵』の直系では……!?」
屋上のドアを開ける段階で、目を輝かせて振り返って来たが、ネレはかぶりを振って。
「できれば……答えたくない」
「うん? なぜだろうか?」
「この国にいる間は、吸血鬼としてではなく、人間のネレとして過ごすつもりなんだ。あなた達と同じように、私も平和に暮らしていたいから……」
もうとっくに、そんな試みはほとんど失敗しているも同然だし、ノクターンは別に、吸血鬼だからといって差別する様子はない。
それでもネレにとっては譲れない部分というか、信念だった。
本当なら、血の魔法だって使いたくないくらいなのである。
「そうか。少し無神経な質問だったようだな、失礼した。考えてみれば当然か」
特に今の世では、とノクターンは呟くように続けながら、屋上へ出る。ネレも続いた。
雲間が晴れ、ちょうど満月が出ている。空を見上げ、月夜に照らされるノクターンの後姿は、貴族めいた佇まいや基本的には知的な言動もあいまり、一枚の絵のようだった。
「あなたは遊び半分で来たわけではないらしい。他の思惑があるはずだ」
無機質な目で月を見上げながら、ノクターンが問いかけて来る。
ネレは昨日の出来事を説明した。
学校に『シルバーブレット』なる不良集団が乗り込んで来た事。彼らの後輩とやらが、恐らく異界へ侵入し、六不思議によって撃退されたらしい事。
……八つ当たりそのものの報復で、多くの怪我人が出た事。
「――もしかすると、一週間前の連中か」
ノクターンは顎へ指を当ててうつむき、思い出すようにしながら告げた。
「飛びぬけて話の通じん無法者どもだったから、少しきつめにお仕置きしてやったのだが……どうやら恥すら知らん手合いだったらしいな」
「彼らの仲間がまた、学校を襲うかも知れない」
「ではあなたは、傷つけられたクラスメイト達の復讐のため、ここに来たのか?」
違う、とネレは否定した。
「……お願いに来た。これ以上は、何もしないで欲しい」
クラスメイトも、その他の生徒も、ネレなんかに復讐してもらいたくなどあるまい。
それに、六不思議が好き好んで人を襲うような悪党だったら別だが、ただ龍脈を守っているに過ぎない。
なぜニーメゲル政府に異界の事を知らせないのかは謎だが、その理由にはまだ足を踏み入れるべきでないとも感じる。
だから何かを押し付ける権利も権限も、ネレにはない。できるのは、懇願がせいぜいだ。
「あなた達が戦う事で、不当にとばっちりを受ける人もいる。好奇心をそそられる人も。でも逆に何もしなければ、噂もきっと広まらなくなって、訪れる人もいなくなる……」
「過剰な反撃を行う事で、おのずから厄介事を呼び込んでいると。……一理はあるな」
と、ノクターンはネレの言葉へ共感する姿勢を見せてから。
「我々とて無用な争いは望まんが、この地を守るという使命のためであれば戦いは厭わん」
「その結果、嫌な人達がずっと入って来ても……?」
「まず、前提として。我々は、現世……氷澄ネレのいる世界へは出られない」
「……そうなの?」
「校舎と校庭までは自由に出入りできるが、門――すなわち敷地から外へは行けないのだ」
よって、とノクターンは校庭を見下ろし。
「仮に噂そのものを根絶できるなら、訪れる者もなくなる……が、行き来すら不自由な我々では、現実的に不可能。水際で食い止める他はないし、これからもせざるを得ない」
「それも……異界のルール?」
「もっとも強固な、絶対の理だ。異界と現世には、崖よりも厳然とした隔たりがある」
今までは大丈夫だったかも知れない、とネレは食い下がる。
「けれどもし、あなたの仲間達が、傷ついたら?」
一瞬、ノクターンは口ごもった風に見えた。
「もしも――」
ネレがさらに続けようとした段階で、目前からノクターンの姿がかき消える。
「……え?」
バスがライトを発しながら、道路を走っていく。
背後で酩酊したサラリーマン達の話し声や、笑い声が聞こえた。
ガードレール越しに並ぶ民家の窓には、まばらに明かりが灯っている。
前触れもなく。
ネレは大通りに面した歩道のど真ん中に、ぽつんと一人で立っていた。
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