第17話 シルバーブレット 上
さらに数日が経過した。
「ほら、大量出血少女さん。いっぱい食べて、血を作りなさい」
ネレの前に用意されたのは、出来立てのミートソースパスタである。
フォークで巻き取り、一口食べれば肉の旨味と、甘いトマトの香りが広がっていく。
「美味しい……」
「そう? まぁ褒められて悪い気はしないわね」
近頃のネレは、他の六不思議――もっぱらシーラ、イズル――との勝負の後、家庭科室へ立ち寄り、イツハに傷を癒してもらった後、料理を振舞われるのが日課となっている。
「こんなに毎日、あたし達の所に来て不審がられない? あんたのその……親とかに」
「部活だから、ってごまかしてる」
「部活扱いされても困るけど……一応、恐怖の存在として君臨しているわけじゃない?」
ネレにとっては、六不思議はもう、必要以上に警戒すべき対象ではなかった。
イツハのレパートリーは多岐にわたり、和風洋風、イタリアン風となんでもござれ。
「……ごちそうさま」
「ちょっと、口にソースついてるわよ。拭いてあげるからじっとしてて」
「ん……」
別に、餌付けされているわけでは決してない。
「ところで、キョータとは仲直りできたの?」
イツハは向かいのテーブルにつき、湯気の立つお茶を飲みながら、そう尋ねて来た。
「……できたと思う。音楽室に行ってみたら、笑顔でフルートを渡してくれて、また二人で演奏したよ」
キョータは何事もなかった風に振舞った。以前の授業が彼をひどく動揺させたものなのは分かっているから、ネレも深入りする事なく、一緒に遊んで過ごした。
(ただ、その時は、あの感覚はなかった……)
意識だけが過去を遡るかの如き、不可思議な体験。いまだその全容は掴めていない。
「ノクターンも顔を出してくれて、楽しかったよ」
「それは良かったじゃない。もしもキョータが本気で怒ってたら、ノクターンが許してても、あんた今頃ただじゃすまなかったわよ」
「……ノクターンは、私をどう思っているのかな」
ノクターンが何を思い、ネレを懐へ招き入れたのか、意図は不明のままだ。
「そうね……あんたにとって、ノクターンはどんな風に見える?」
イツハはネレの疑問をあしらう事なく、逆にそんな問いを投げかけて来る。
「……ノクターンは六不思議の代表者、と思ってる。みんなをとりまとめるだけの統率力があって……その一方で、突然子供っぽい所も見せてきたり」
親切な人物かと思えば、巧妙にミスリードされたり、言葉や行動で試して来るような底知れぬ側面もあったり。
「翻弄されるっていうか……つかみどころがない、って感じだよ」
「言いたい事は分かる。ノクターンのあれは昔からよ。……ああならざるを得なかったの」
「やっぱり、迷惑に思われていないかな。ノクターンの計算だと、私はキョータの得意属性当てに失敗して、そこでオシマイにするつもりだったのだろうし」
いいえ、と意外にもイツハは、後ろ向きなネレの言葉を否定する。
「授業の戦略は、どうせメア子の入れ知恵もあったでしょうけれど、ノクターンは本質的に食わせ者よ。だからこの結果も案外、予期していたんじゃないかしら」
「……そうなの?」
「――あの子は多分、この世界に新しい風を入れようとしているのかもしれないわ」
「新しい、風」
「……いえ、忘れて。独り言だから」
忘れられるわけがなかったが、イツハはこれ以上語る気がないようだ。
むしろ、ここまで心境を話してくれた事自体、それなりに親交が深まっている証拠なのかもしれない。
みんなと、もっと仲良くなりたい――ネレは少し、前向きな気持ちになれた。
四時四十四分。校舎を睨み、校庭へ集まったのは五十人もの不良。
一人一人がバットやバール、レンチを携えた屈強な男達で、物々しい雰囲気だ。
「いいかお前ら! 千狩市は俺ら『シルバーブレット』のシマだ! 俺らがルールだ!」
その中でリーゼントのリーダーが、どすの利かせた号令を発する。
「ルールを破ったこの紅月の奴らにはけじめをつけさせた! だが肝心の、可愛い舎弟をいじめてくれた七不思議の噂はそのままだ!」
「ジョンくんとマッピーはまだ家から出られないって話です!」
側近の男が上体を反らして叫べば、リーダー格はさらに大声で檄を飛ばす。
「仲間ん心を傷つけられて、許せるわけねぇよなぁ!? 怪談だかなんだか知らねぇが、俺らの手できっちり締めてやらねぇとよォ!」
うおぉぉ! と不良達が雄叫びめいた喚声を上げる。
リーダーはこの日のために斥候を立て、異界への入り方を調べさせた。
今回集めたのも、グループの中では選り抜きの精鋭どもである。
「な、なぁ……ホントに別世界って感じだよな、ここ……なんか静かだし、暗いし」
「こ、校門を抜ければ、ガチで元の世界に帰れるのか……?」
しかし、隊列の奥で二人の不良が不安げに身を寄せ合い、こそこそと下がり始め。
「……お、オイ、リーダーが言ってただろ、勝手に出るんじゃねぇ!」
他の仲間が校門の向こうに消える二人に気づくが、もう遅い。
「あぁっ!? も、戻れねぇ! やっべ……もう四十五分じゃん!」
「すいやせん! ちょっと外の様子を見たかっただけで……っ」
焦る二人。慌てて言い訳や謝罪を連ねるが、もはやリーダー達には届かない。
「あんのバカども……この件が済んだら軍法会議だな」
この体たらくには流石にリーダーもこめかみをビキビキさせたが、気を取り直し。
「手分けして本棟と特別棟を制圧すっぞ! 妙な野郎がいたら構わねぇ、ぶちのめせ!」
「うおぉー!!」
こうして総勢五十人――否、厳密には早くも四十八人に減った悪漢の群れが、大挙して押し寄せていったのだった。
「カチコミだぁ! 天下御免の『シルバーブレット』様が全部ブッ壊しちまうぞ!」
「怪談なんぞシャバゾウどもが広めた噂なんだろぉ? 今日限りで俺達が暴いてやるぜ!」
十数人の不良が、息巻きながら特別棟の廊下を突き進む。
窓、机、ロッカー、妙に多い鏡。
目に付く全てを手にした得物で叩き壊し、傲然と肩をそびやかし、ガニ股で進む。
気に入らない奴には、その場のルールや秩序など関係なく、怒鳴りつけ、暴力を押し付け、永久に屈服させる――それが力のみを信奉する、彼らのやり方だ。
ここでもその暴力性は十全に発揮されていた。この『世界の校舎』は以前に襲撃してやった紅月高とは幾分様子が違うらしいが、関係ない。
何が立ちふさがろうと、この進軍は止まらない――かと思われたその矢先。
「立チ去レ……」
薄闇に沈む廊下に、気配もなく、突如鬼武者が現れたのである。
「な、なんだ、こいつ……どこから現れた……!?」
一本道の廊下。これだけの人数がいて、忽然と出現する瞬間を目撃できなかったのだ。
「立チ去レ……早ク……」
鬼武者の掲げた薙刀が、鈍く光る。
妖怪変化を描いた名画から飛び出して来たかのような、隙のない佇まいは堂に入ったもの。ニーメゲルの威光を笠に来ていた不良達でさえ裂帛の気迫を感じ、たじろいでしまう。
「ど、どうせコスプレだ! 何が七不思議だよ、ただの人間のイタズラじゃねーか!」
「そうだ! 相手は一人、畳んじまえ!」
いくつもの他校との抗争を切り抜けてきた、数にものを言わせての蛮勇を奮い、不良の何人かがわっと飛び掛かる。
「愚カナ……警告ハシタゾ!」
ところが鬼武者の技量は、彼らの想像とは段違いであった。
一振りで数人が薙ぎ払われ、返しの一撃で残りが吹き飛ばされる。
「ち、ちくしょう……これでも食らいやがれ!」
後ろに残っていた数人が、手のひらを向け、炎の弾や土くれを生成して発射。
「付ケ焼刃ノ……裏魔法如キガ! ――ウインド・スピア!」
しかし鬼武者もまた、薙刀に旋風を纏わせ、前方へ一閃。
抜群の膂力と熟練の魔法から繰り出された突きは、不良達の魔法を纏めて弾き飛ばす。
砕けて拡散した魔法の残骸は乱反射し、廊下のあちこちを傷つけただけに終わった。
残心を取った鬼武者が、そこで初めて、重々しい一歩を踏み出す。
「あ……あぁ……っ」
不良らは腰を抜かし、たじろぎ、狼狽し――誰かが身を翻し、駆け出した。
「に……逃げろぉ! 化け物だぁ!」
最初の威勢はどこへやら、統率もなくてんでばらばらに逃げ出す不良達。
「く、くそ……! ここに隠れてれば、大丈夫か……?」
そのうちの一人が、理科室へ逃げ込んだ。愛称はバリーちゃんである。
幸か不幸か、彼は鬼武者とは遭遇せず。代わりに、狂暴な犬型ロボ二体に襲われたのだ。
「クソッ! なんなんだよあの犬ども……! 数人で束になってもかなわねぇなんて!」
廊下をそわそわと見回し――ふと、背後に人体模型が置かれているのに気づく。
「うわ! な、なんだよ、こいつ、いつの間に……」
だが、おかしい。確か理科室に入って来た直後は、この人体模型、きちんと壁際に配置されてはいなかっただろうか。
疑問に思った途端。なんと人体模型は無造作に動き出すや、がしんがしんと模型のパーツを揺らしながら、こちらへ突っ込んで来たではないか。
「う……うわあぁぁぁ!?」
とっさに得物のバットを振り回し、人体模型を殴りつけた。
するとどうだろう。その衝撃で模型のパーツが飛び散ったかと思うと、その裏に仕込まれていた大量の粉らしき何かが、バリーちゃんめがけて降り注いだのである。
「ぎゃあああ! 目、目が痛てぇぇぇ! 口も……か、辛っ、辛えぇぇ!」
それらは、粉末状にされたタバスコや唐辛子など、香辛料の数々だった。
正面から思い切り顔にかかり、驚きでさらに吸い込んでしまい、七転八倒。
「この声は、バリーちゃん!? 大丈夫か!?」
その後に、もう一人の不良がドアを開け、駆け込んで来る。
だがロッカーの前を通り過ぎようとした刹那、どういう仕掛けかひとりでにロッカーが開き、中からネットが飛び出し、彼を捕らえたのだった。
「ち、ちくしょう! 急にネットが……! 取れねぇ!」
もがくほど手足が絡まり、ロッカーの中へぐいぐい引き込まれていく。
「お、おい、助けてくれ! バリーちゃん! おいぃぃ!」
必死に手を伸ばして助けを求めるも、全身香辛料で真っ赤に染まったバリーちゃんは苦しみあえぎ、とてもそれどころではない。
「ど、ドアが閉まっていく……! や、やめてくれ! 閉じないでくれ! うわぁぁ……」
懇願むなしく、ロッカーのドアは無情にも閉ざされ――彼は時刻が零時を迎えるまでの間、緊縛され、仲間達の悲鳴を聞きながら、冷たい暗闇の中に囚われるのだった。
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