第19話 庵屋哲の計画

父親と二人で暮らす毎日。父は社長の息子、つまり自分にとって、祖父は社長。父子家庭だったが、お金に困ることはなく、むしろ裕福と捉えられる生活だった。しかし、どれだけ裕福でも生活に満足できなかった。僕は「愛情」が欲しかった。父親は最低限のことしかしなかった。

高校を卒業する時に、父親が初めて家族について口を開いた。母親と離婚した原因は、お互いの価値観が合わなかったから。また、すぐにパードナーにしたい人とも出会ったのだが、一度離婚を経験したこともあり、結婚への踏ん切りが付かずにいた。すると、相手から待てないと別れを告げられたらしい。つまり、元奥さんには自分から別れたにも関わらず、新奥さん候補には振られたと言うことだ。そんなこともあり、父は仕事にのめり込んだ。せめて仕事だけでもステータスを上げたいと思ったんだろう。

僕は家の中を基本一人で過ごし、寂しかった記憶しかない。大学を卒業するころ、さらに父親は新事実を告げた。なんと自分には血のつながっていない兄弟がいると。僕は必死になって調べた。でも、卒業までに見つからなかった。僕はどうしてもその兄弟を見つけ出したかった。決まっていた内定を辞退し、大学院に進み、捜査を続けることを決心した。

そして見つけた。僕より一つ下にあたる年齢で、専門学校を出てから芸人の道に進んだ人物を。名前は田橋優。会ってみたい。その気持ちが僕を突き動かした。大学院を辞め、自分も芸人の道に進むと決めた。父にはかなり怒られたが、社会勉強として数年やってみたいと何とか理由をつけて説得した。

そして、ついに出会った。自分が父親似のせいなのか、顔は全く似ていない。でも、一歳差という年齢が近いこともあり、すぐにコンビを組むことが決まった。いつか本当のことを伝えたい。田橋と家族として接したい。そしたら、田橋と家族と一緒に暮らすのも楽しいかもしれない。僕は日に日に夢を膨らませていった。

だが、考えが変わってしまった。

「俺の母親、いつ死んでもおかしくないんだよね。」

ドキッとした。田橋からはいつか母親のことを自然に聞き出そうとしていた矢先に、彼から話をしてくれるとは思わなかった。しかし、その内容…「死にそう」というワードにさらに驚きが増した。

「死にそうって…どういうこと?」

「…病気なんだ。」

年齢的には自分の親と同じくらいだとしたら、加齢が原因で病気になってもおかしくない。

「治る見込みはないのか?」

「手術ができれば助かる可能性が上がるらしい。ただ…金がかかる。俺はまだ売れない芸人。金なんて持ってない。母子家庭だったから、母親にも貯金なんてない。どうすることもできないんだよ。」

なら僕がお金を出す。なぜって?実は、僕と田橋は兄弟なんだよ!僕も家族の一人だ。助けさせてくれ!

そう言いたかった。喉元まで言葉が現れた。でも、次の一言が全てを塗り替えた。

「正直、あいつのせいで売れないのかなって思うんだよね。ここまで育ててくれたことには感謝してるけど、定期的に病院にはいかないといけないし、そのせいで賞レースに万全の集中ができないし。いいことがないんだよ。だからさ…死んでくれてもいいかなって。」

彼は自分のグラスを見つめながら言った。グラスにはもう酒は残っていなかった。金がない彼にとって、おかわりでさえも考えなければならない。そんな苦しい生活だからこそ、出てきてしまった愚痴なのかもしれない。そう思おうとした。

でも、無理だった。田橋の母親…つまり自分の母親をそんな風に言う人間を許していいはずがない。こんなやつと一緒にいるよりも、自分といた方が母親はずっと幸せになれる。

そう思ってしまうと、頭の中は母親と自分、二人で暮らす平和な日常を望んでいた。その願望はずっと続いた。賞レースや営業でクタクタに疲れ果てていても、ずっと頭の中を駆け巡った。


そして、決心した。許せない人間、田橋を追放して、僕が母親を奪おうと。いや、正確には田橋が奪っていたのだ。僕の大切な母親を。だから取り戻すのだ。


では、どうやって田橋を追い出すかだ。正直に言えるわけはない。脅すのも違う。だからと言って殺すのは自分の地位が危ぶまれる。自分は安全だが、彼を陥れる方法…。

彼に犯罪を犯してもらう。ただし、自発的でなければならない。強制的に犯罪を犯させてしまうときっと足がついてしまう。むしろ、僕は被害者で彼が加害者のような立ち位置を築けば、世間的にも僕の地位は安心だ。

では次に、その状況にどうやって持っていくことができるかだ。田橋にとって僕が憎い存在になればいい。そうするためには…。


毎日考えを巡らせていたある日、賞レースを眺めていた。頭はずっとフル回転。背もたれに背中を預けることなく、ずっと考えていた。

「お前、ずっと漫才見入ってたな。」

隣に座っている芸人仲間が小声で呟く。

「…研究してたんだよ。なんか生かせるネタないかなって。」

「流石だな。」

僕の返答に満足したのか、彼は舞台に顔を戻した。ネタなど考える暇などない。僕は完璧な計画を立てなければならないんだから。でも、少し疲れた。背もたれにゆっくりと接触させている時、舞台が輝いた。


「Hello everyone!」

海外風の音楽とそれに合った野太い声。自然と湧き起こる拍手。

「皆さん、最近どうだい?」

スーツ姿にハット。キリッとした雰囲気が作られた容姿に合わせた振る舞い。

「俺はどうかって?いいこと尽くしだよ。この前さ…」

落語のような前振りではあるが、ジェントルメンの装いが相待って斬新な漫才。言葉巧みにみんなの心を掴んでいく。


みんなが惹かれている。会場が一つになっていく。

「全て計画通り!」

締めの一言。指を頭に当てたポーズ。そして、そのタイミングでまずハットが飛ぶ。それで終わりかと思いきや、次の瞬間、髪の毛も飛んだ。一瞬頭の中で「?」が現れたが、それがカツラだったのだと気づくと、顕になったスキンヘッドを見て笑いが起こる。

その状況に、同じ芸人として感動している仲間が隣にいた。

でも、僕は違う感動を得ていた。「計画」というワード。僕の中の琴線に何かが触れた。そして、舞台の上の檜垣は…僕と顔が似ていた。


家に着き次第、急いで彼について調べた。

檜垣星。ピン芸人。年は15歳ほど上になるが、見られる職業なだけあって、かなり若く見える。ただし、頭部以外に限るが。

数年前から現在のネタの型が作られ、徐々に人気に。今では、テレビ放送のお笑いだけでなく、バラエティー番組でも少々活躍しているらしい。金が貯まるようになり、趣味は海外旅行と本人が公言している。苦しい若手時代にも負けず…などと彼の今の活躍を支持する人が多いように思われた。苦労した時代があるからこそ、多くの人が共感し、人気をものにしているのだと感じた。しかし、僕が欲しいのはこんな情報じゃない。

僕は海外旅行に目をつけた。もしかしたら、訪れた海外先で何か掴めるのではないか。海外のサイトに飛び、手当たり次第檜垣の情報を探った。

そして、彼が犯罪に手を染めているのかもしれないという海外からのコメントが一件だけあった。僕はそれに賭けてみた。


僕はもう一つ動かざるえないことがあった。母親に会うことだ。田橋の発言があって以来、田橋への憎悪はもちろんだが、母への執着が強くなった。冷静に考えてはいたが、どうしても会いたい気持ちを押し殺すことはできなかった。

病院は田橋からうまく聞き出せた。後は簡単。面会に来たと受付で問い合わせ、病室を教えてもらう。今の世の中、不用心だと思うかもしれない。細心の注意を払って女装までした。香りは、ローズだ。幼い頃、一度だけ父親が「母さんはローズの香りが好きだったなあ」と呟いたことを覚えていた。些細なことだが、僕にとっては知らない母を知る、大事なキーワードだった。

扉の前に立つ。病室番号の下に「田橋照沙」と書かれてある。この先に、僕が会いたかった母親が待っている。

ドアノブを握る。ゆっくりと力を入れてドアを動かす。不思議なことに、なぜか自然にドアが動いているような感覚があった。照沙はベッドで横になっていた。

ゆっくりとこちらを見る。僕はベッドの脇まで進む。

「よく来たね。」

その一言で涙が出てきた。自分は女装をしているのに、一瞬で全てに気付いた母親。

「僕が誰か分かるの?」

「当たり前じゃないか。忘れたことなんてないよ。それに…目を見れば分かる。」

もう一度母親と目が合う。この瞬間をずっと待っていた。

「哲。来てくれてありがとう。」

さらに流れる涙。僕にはもう止めることはできなかった。ベッド脇に崩れ落ちた。母親はそんな僕の背中を優しく撫でてくれた。

どれくらい時間が経っただろう。母が口を開いた。

「優とコンビを組んだらしいじゃないか。」

「え?」

「優がね嬉しそうに話してくれたんだ。相方ができたって。どんな人って聞いたら、庵屋哲って答えてね。もしかしたらとは思ってたんだ。」

母は気付いていたのだ。そして、僕のことをずっと覚えてくれていた。嬉しかった。

「優には家族についてあまり話をしていないんだ。だから、父親のことも知らない。もちろん、哲、あなたという兄弟がいることも知らない。」

田橋は何も知らない…。頭の中でその事実と他の事柄が並ぶ。僕はゆっくり目を閉じた。

自分と似ている檜垣。さらに、彼は海外で犯罪に手を染めている可能性がある。自分と兄弟に当たる田橋。しかし、田橋は母親を独り占めしているだけでなく、母に死んで欲しいと思っている。病気に苦しむ母親。母親を助けて二人で暮らしたい自己願望。父親のことを教えられていない田橋。田橋に犯罪を犯させたいと思っている自分。


全ての点が結ばれていく。僕は目を開けた。

全てを繋ぎ合わせるには、まず母の気持ちを知る必要がある。

「母さん。僕は母さんと一緒に暮らしたい。お金が必要ならいくらでも出せる。」

僕は人生で一番の決心を口にした。僕の思いが伝わってほしい。

「…。」

母親は黙ったままだった。正確には何かを言いたい様子だったが、適切な言葉を探しているようだった。いくら時間が経っただろうか。母親がゆっくりと思いを綴った。

「本当は…私も早くここから出たいさ。哲が望んでくれるのであればお金を出してほしい。でも、何も知らない優には申し訳ない気持ちもある。私には選べない。選ぶ権利がないのよ。」

涙が頬を伝う。その横顔は今まで見てきた人の中で一番美しかった。

「母さん。自分を責めないで。僕は今、こうやって母さんに出会えたこと、話ができたことが幸せだよ。母さんだって自分が思う幸せを掴んでいいんじゃないかな?」

そっと母の背中に触れた。母は震えながらに、本音を漏らした。

「…いいのかな?本当に…。私は、あなたと過ごしたい。ずっと一緒に居られなかったから。」

僕は心の中で決心した。母親と過ごす未来を想像した。何としてでも実現してみせると。そのためには、まずは母親に協力してもらうことが必要だ。


「母さんお願いがあるんだ。」

目元に溜まる涙を拭きながら答える。

「…何かしら?」

僕は母親の目を見つめ、淡々と告げた。

「田橋に檜垣星が父親だと嘘をついてくれない?」


母親は不思議な顔をしていた。しかし、程なくして大きく頷いてくれた。

僕は病室を出た。来た時と同じ女装を身に纏って。廊下に視線を上げると田橋が立っていた。バレるわけにはいかない。僕は絶対に母親を手に入れるんだ。


全て計画通りに。

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