第7話 葬式本番

「いよいよだな。」

田橋がこれから起きることを、心から楽しみにしている様子だ。

「お前はいいよな。見てるだけなんだから。」

僕の心臓は、今まで経験したことのない速さで鼓動を刻んでいた。余裕たっぷりの田橋を睨んだ。

「何言ってんだよ。俺だって緊張してる。今回の計画は俺が中心に考えたんだ。失敗したら、俺だって相当落ち込むよ。」

フォローしてくれる相方に少々感謝しつつも、完全には納得できていない。一つため息をついて、会場の中に視線を移した。本番がそこまで来ている。


手筈はこうだ。状況を見て、田橋が会場の電気を消す。その隙に僕は祭壇前まで移動する。それを確認したら、田橋は電気をつける。会場に明るさが戻った時、みんなの前に師匠が現れる。きっと全員僕に釘付けになる。そこで、今日まで練習してきた師匠のモノマネをかます。一般的には、非常識極まりないことだ。しかし、僕たちの職業、芸人としてのプライドが実行の引き金を引いた。葬式の場に集まったのは、師匠を弔うために集まった人たちだ。きっと、師匠を弔いたい気持ちで行った弟子たちの行動は、温かく見守ってくれるだろう。漫才が終われば、田橋も側に来て、全力で謝罪をする。どう受け止められるかは分からないが、やり切るしかない。


頭の中で流れを整理する。深呼吸し、勝手に行われていた体の硬直を解く。あとは、登場する最高のタイミングを引き当てるだけだ。田橋とそのタイミングをじっと待つ。

一瞬空気の流れが止まった。田橋はそこを見逃さない。

「いくぞ。」

小声ながらも気持ちが込もった相方の声。いつもステージに上がる際の声質と同じ。僕はいつも通りステージに上がるつもりで自分の向かう先を見据えた。

カチッ。

「停電か!」

電気が消えたことで会場が騒がしくなる。その間に祭壇前まで歩を進める。

いよいよだ。心の中で語りかける。師匠、僕たちの勇姿を見ててください。

カチッ。

部屋が明るくなり、会場の視線が一斉に僕に集まる。あまりの注目に背筋に汗が流れた。しかし、始めたからにはやるしかない。一人一人の顔を見ていく。お化けでも見たような顔。何が起きているんだという顔。その顔一つ一つを見ていくと、自然と喉から言葉が流れ出た。

「Hello everyone!」

このセリフと流れ始めた音楽で、数人が気付く。師匠の漫才と同じであることを。そこから察しが伝染したかのように表情が変わっていく。みんな気付いたのだ。師匠を模した漫才が始まると。あっという間に会場に拍手が広がっていた。

「みんな最近どうだい?」

笑いが起こる。僕はできる限り師匠の声質も練習した。

「俺はどうかって?いいこと尽くしだよ。この前さ…」

また笑いが起こる。拍手が大きくなる。すごい。師匠はやはり本物だったんだ。漫才は続く。僕の一言一言で、会場が揺れる。僕たちがいつか見たいと思っていた景色。僕と田橋はここを目指さないといけないんだ。いつもなら頭の片隅でこんなことを漫才中考えられない。でも、今僕の意識は会場を俯瞰して見ることができた。まるで、漫才を師匠が乗り移ってやってくれているように感じた。

さあ、いよいよだ。決め台詞を放つ。

「全て計画通りです。」

その瞬間、頭が軽くなる。田橋が袖から紐を引っ張り、帽子とカツラが落ちる。スキンヘッドが顕になる。これで師匠のネタは完全再現された。

爆笑の渦。万雷の拍手。これ以上ない達成感に笑顔が戻らない。何とか頭の中の思考を計画に戻す。この後、田橋が隣までやって来る。弟子として師匠の葬式を盛り上げたいとしてやったことを会場に伝え、師匠への思いを話す。ちゃっかり、僕たちコンビの宣伝もして、「すいませんでした。」と謝る。この雰囲気だ。会場のみんなも師匠も怒らないだろう。さあ、田橋やって来い。

カチッ。

「おお、まだあるのか!」

電気が消える。それに対して、また会場は湧いた。

おいおい。これは計画にないぞ。どうすることもできず、じっとする。会場も沈黙に陥る。

ドクドクドク。

さっきまでの高揚が急展開し、不安に体が支配される。田橋、どうなってるんだ。早く状況を知らせろ。

カチッ。

目の前が明るくなる。袖をもう一度見ると、田橋が両手を合わせて、ごめんのポーズでやって来た。僕の耳元で囁いた。

「すまん。終わった後電気消すと思ってた。違ってたな。」

ふざけるな。と睨みたい気持ちを抑えて、会場のみんなへ視線を戻した。

みんなの顔は嬉しそうだった。その様子を見て、僕たちも安心して話ができた。やったことは非常識だと思われるが、師匠への弔いの気持ちがあったことを語る。田橋が続き、師匠が弟子として受け入れてくれた時のこと、漫才を教え優しく導いてくれてことを話した。所々声が震える瞬間があった。田橋の目は赤くなりつつあったが、眉間に皺を寄せ涙を必死にこらえていた。田橋はこういうキャラじゃない。基本ヘラヘラしていて、熱く語ると言えば漫才だけで、人情深くもない。でも師匠に対しての想いを熱く語る姿を見て、僕の目にも涙が移る。会場の人も目にハンカチをあてていた。師匠への想いはみんな一緒なのだ。

田橋の話が終わった。僕たちは目を合わせた。最後に言うべきことがある。

「すいませんでした!」

葬儀場では聞いた事がないであろう大声を出し、二人で頭を下げた。会場の様子、みんなの表情は見えない。沈黙が走り、不安な思いが再度体を駆け巡る。

だが、会場に拍手が生まれた。僕たちはその音を頼りに、顔を上げる。みんなの表情は穏やかだった。

「ええぞ!師匠も喜んどる!」

「ありがとうな!師匠のぶんも頑張れよ!」

温かい言葉が飛び交う。よかった。二人揃って安心の笑顔で、袖に帰った。

「最高な舞台だったな!俺の考えは最強だ。」

「無事終わったからいいけど。考えたからには間違えるなよ!最後の電気落ちた時、終わったと思ったぞ。」

ドヤ顔の田橋を痛烈に批判してやったが、田橋の満足げの顔はずっと変わらなかった。まあ、結果が良ければ全てよし、か。廊下を進みながら窓に映った自分を見る。完全に師匠を再現した。これをきっかけに、僕たちが売れて…。そんなことが起きれば、師匠も天国から喜んでくれるはずだ。

とりあえず、今日は疲れた。田橋と一緒に潰れるまで呑んでやろう。

「田橋、この後って…」

言いかけた時、背後から慌ただしい空気に気付く。会場で何かがあったのか?

「ちょっと覗くか。」

田橋が興味ありげに言った。会場を覗き込む。聞こえて来たのは衝撃の発言だった。

「師匠の遺体がないぞ!」

さっき僕たちがやった騒ぎとは明らかに雰囲気が違っていた。大の大人たちが完全に慌てていた。

「誰か知らないか?」

「ここの責任者は?その人に聞くしかないだろう。」

師匠がいない?田橋と目が合った。お互い状況が飲み込めていないようだ。

「落ち着いてください!皆様はこちらでお待ちください。」

葬式関係者の声。その一言でようやく会場は落ち着きを取り戻しつつあった。

「師匠の遺体が無くなったってことだよな?」

あまりの意味の分からなさに、自分の認識が正しいか田橋に問いかける。

「そうみたいだな。」

よかった。僕の認識は間違ってはいなかった。

「でも、どうやって?」

師匠は棺の中で眠っていた。眠っていた、と言っても永遠の眠りだ。目が覚めて起き上がることなど、いくら師匠の仕事が漫才師と言ったエンターテイナーであってもあり得ない。では、誰かが動かしたのか?

考えを巡らせるが、答えなど出るはずはない。会場にいる人々も、同じ状況のようだ。

ガタッ。

「おい!これを見ろ!」

会場の一人が急に立ち上がった。その声に、周囲の人が反応する。今度は何だ。

「檜垣さんが買春?」

小さな声であったが、あまりの言葉に全員の表情が一変する。みんなが呼応するように自分のスマホに指を進める。僕と田橋も急いでネットニュースで探した。

「そんな…あの師匠が。」

ネット記事によると、師匠は海外で買春を犯した事が明らかになったようだ。現地の女性が声明を起こし、それを日本の記者がスクープした。

田橋が言葉を失っていた。思い返せば…師匠は以前連休をとって海外に行っていた。お金を稼いで優雅に旅行へ出かける師匠に憧れを感じていた。そんな憧れていた師匠が、現地でそんな悪事を働いていたなんて。

さらに悪い事態は続く。

「おい!Nowの生配信を見ろ!」

先程とは違う人が、会場のみんなへ知らせを送る。「Now」とは最近登録者を急激に伸ばしているライブ配信アプリだ。急いでスマホを操作する。

「もう一度言います。さっきお笑い芸人の檜垣星が走っていったんです!僕が道を歩いていたら、急にぶつかって。その人、尻餅ついた反動で頭のズラが落ちちゃったんです。面白くて顔見たら、あの檜垣だったんですよ!でも、あの人って亡くなったって報道があったけど…。あれ嘘ですよ!きっとまだ生きてるんです!」

画面越しの配信者は必死に師匠がいたことを熱弁する。同じ画面を見ていた田橋が呟く。

「もしかしたら…。」

田橋はこう言う時驚くほどの推理を見せる。

「何か分かったのか?」

「師匠の失踪。事件の判明。そして、この配信。全て繋がるじゃないか。」

繋がる?僕は全く分かっていない顔をしていたのだろう。田橋が半分呆れながら、もう半分は興奮気味に説明を続けた。

「師匠は犯罪に手を染めている。それが明るみになった場合、もう表舞台には戻れない。だから必死に隠していた。しかし、何かのきっかけでバレるかもしれない危険な状況になった。だからどうにかしたいと考えた。単純に逃げることにしたんだ。でも、普通に逃げてもいつかは捕まってしまう。だから、死んでることにしたんだよ。」

考えとしては理にかなっている。ただしそれは映画や小説のフィクションの世界の話だ。僕は異を唱えた。

「死んでることって。簡単にできるわけないだろ。無理に決まってる!」

「俺もそう思う。でも思い出せ。あの電話から、遺体を見るまでのことを。」

数日前に思いを巡らせる。師匠が急に亡くなったと連絡を受ける。僕たちは、弟子だからという理由で連絡が来た。二人一緒に急いで病院に向かう。そこで師匠が亡くなったと正式に告げられる。そこに違和感を田橋は感じたらしい。

「師匠は急に亡くなった。おかしいと思っていたんだ。死因は病死。病気のことなんて弟子の俺たちに何も伝えなかった。なぜなら、事件から逃げるためだったからだ。きっと俺たちが会った医者も師匠に買収されてたんだよ。」

確かに。田橋の説明には一定の納得感があった。ただし、逃げるために“死んだこと”にすることはあまりにもリスクが高い。警察を欺けるとは思えない。

僕たちの間で沈黙が走る。師匠の遺体が消え、師匠は生きているのではないかと言う仮説が出た。田橋も自分の考えが本当に正しいのか咀嚼をし、抜け漏れを確認んしている様子だ。僕としては、この事件の発端が誰なのかが気になった。師匠なのか。それとも、師匠を知る他の誰かなのか。他の誰かだった場合、考えられるのはここに集まった師匠と関係が深い人物に違いない。僕は会場にいる一人一人の表情を観察した。もし犯人…いや今回の僕の計画を邪魔する人物がいたとしたら、その人の表情は異質なはずだ。僕は注意深く、目を配った。すると、会場の端にいた人物が声を上げた。

「なあ。もしかして、さっきの漫才って。本物の檜垣じゃないのか?」

聞き流せない言葉が鼓膜を振動させた。漫才した人が本当の師匠?

「そうかもしれない!」

誰かが呼応する。

「あの檜垣だ。こんな手の込んだこともあり得る。」

「確かに。お金はあるはずだ。遺体のレプリカも簡単に準備できる。」

状況の変化が著しく、まだ追いつけていない自分がいる。ただし、決していい流れではないことは察した。

「許せない。」

一人の男性が立ち上がった。

「犯罪に手を染めて、それでもなおこんな芝居に付き合わされた。こんな裏切り行為があるか!」

見るからに正義感が強そうなその人の言葉に、皆が頷く。

「おい!探すぞ!」

「さっきの漫才した人物は、檜垣本人の可能性がある。探し出そう。」

田橋も僕も呆気に取られていた。そんなわけはない。僕が師匠の檜垣星なわけありえない。僕は弟子である庵屋だ。ただし、それが分かっているのは、今回のことを企てた僕と田橋だけだ。ここにいる参列者は全員知らない。今すぐ会場に入り身の潔白を説明したいが、面倒なことになることは予想がつく。どうする…。

「おい!庵屋。」

田橋の言葉で思考を現実世界に戻す。

「ここにいるべきじゃない。逃げるぞ。」

田橋が言葉を残して、走り出す。反射的に体が動いて、彼を追った。

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