第8話 決意

田橋の車に乗り、急いで逃げ出した。後部座席で息を整える。未経験の事態に、どうすればいいか脳が混乱している。

「田橋。これからどうしたらいいと思う?」

田橋は僕よりも確実に賢く、英断ができる。信頼しているからこそ、この状況の決定権を委ねた。田橋は運転に集中しているのか、しばらく口を閉ざしたまま質問に答えなかった。

数分の沈黙を破ったのは田橋だった。

「結論から言うが、暫くは逃げ切るしかないと思う。」

やはりか。覚悟はしていたが、実際にそうなると思うと不安になる。

「どうして?」

追われている身として、納得できる理由が欲しかった。

「正直、逃げ切るのは難しい。捕まってしまったとしても、いずれは本当の事実が明るみになって、庵屋の無実は証明されるだろう。」

「じゃあ、逃げないほうがいいじゃないか。身分証明だってしっかりすれば、僕を師匠と間違えるなんてあり得ない。」

「ああ、俺もそう思っている。警察をバカにしているわけじゃない。」

じゃあ…と言いかけたところで、あることに気付く。

「もしかして…売れるためか?」

背中越しでも、田橋の口角が上がったことが分かった。

「さすが俺の相方だ。俺たちは芸人。注目を集めることが一番の宣伝効果ってことは理解している。もし、今から「人違いです。僕は庵屋哲。師匠の真似をしただけです。」と警察に打ち明ければ、無実が明らかになる。庵屋、お前自身は大丈夫だろう。ただし、檜垣は違う。師匠は社会的には大犯罪者だった。それの一番弟子なんて、人気が出るはずがない。一生芸人として食っていくためには、今捕まることは絶対にダメなんだ。」

田橋の語気が強くなる。絶対に芸人として売れなければならない理由。僕も理解している。

「お母さんのことだよな?」

田橋が強くハンドルを握った。母親の病気を治すためにお金が必要だってことは前から聞いている。

「じゃあ、結局どうするんだ?」

「師匠の遺体を見つける。そうすれば、お前が追われる理由はない。追われる理由が無くなれば、濡れ衣が着せられることもなくなる。今回の状況をマスコミが面白いように扱ってくれれば、芸人としての知名度は爆上がりだ。こんな事態に巻き込まれたんだ。せめて知名度を上げるために利用しないと損だろ。」

思っていた通り、僕が求めていた納得感を田橋は十分に与えてくれた。僕がやることは明確だ。逃げ続ける。田橋が師匠の遺体を見つけるまで。

「分かった。僕は何とか逃げ続けよう。田橋は、師匠の遺体を探すんだよな?」

「そのつもりだ。その頭のお前よりも、俺の方が明らかに動きやすいからな。」

師匠に酷似するために決意したスキンヘッド。それがこんな状況になるとは。

「田橋も気を付けろよ。弟子は僕だけじゃない。僕が見つからないってなったら、田橋を追うかもしれない。」

この計画を進めていくためには、田橋が捕まることはあってはならない。田橋は十分理解していると思うが、念のため忠告した。

「もちろんだ。よし、次のコンビニを曲がったらお前を降ろす。まずは服を調達してバレないようにしろ。そして、どこか身を隠せるところを探してくれ。」

「分かった。」

逃げ続けれるのか…。自信は全くない。分かり切っているのは、見つかって捕まった瞬間、僕たちの芸人人生は終了することだ。それはつまり、田橋の母親の命も終わりだということに繋がる。

もっと売れたい。母親を救いたい。やるしかないんだ。

車の速度が徐々に遅くなり、完全に止まった。田橋が久しぶりにこちらを見た。

「庵屋。この大事件が終わったら、盛大に飲もう。」

そうだった。ほんの数十分前は、田橋と飲み明かそうとしていた。普段の何気ない会話だが、この言葉に勇気をもらった。

「この機会を僕たちのものにしよう。」

気持ちが自然と手に力を込めさせた。ドアを開けて、周囲を確認する。あたりは誰も居ない。

「最後に。これは刑事ドラマの見過ぎかもしれないが、スマホの電源は切っておいた方がいいかもしれない。電源が入っていたら居場所を突き止められるらしい。」

見たことはある。ただし、連絡手段が無くなることはしたくはない。

「そうだな。でも…。」

苦渋の決断だったが、逃げ切ることが一番だ。田橋の前で電源を切った。

「大丈夫だ。師匠の遺体を見つけ出したら、すぐに情報を流す。そうすれば、スマホなんかなくたって庵屋のところまで届くさ。」

田橋が笑顔で励ます。だが、声は震えている。きっと、今からする大事件への挑戦に田橋も不安なのだろう。隠された師匠の遺体を探すことは、逃げ切る僕よりも遥かに難しいことだ。

「あとこれ。」

田橋がメモを差し出してくる。

「ここのロッカーに後で荷物を預ける。今の服装より、何かに着替えられたほうがいいだろ?2時間後までには準備しておく。それと、もし準備できたらスマホも入れておく。それで連絡を取ろう。」

田橋の頭は、僕のそれよりも何倍も働いている。その頼もしさに改めて感謝を伝える。

「ありがとう。田橋が相方でよかった。絶対、笑顔で再会しよう。」

「当たり前だ。」

決意を込めて、車のドアを閉めた。

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