第3話 出会い

「頼む!檜垣星さんに弟子入りしよう!」

人生でこれほど相手を説得しようと試みたことはなかった。頭を下げていたため、田橋の表情は読み取れない。

「…弟子になってどうすんだよ。」

田橋が最低限の言葉を選んだことを察した。本心は最初から断りたいのだろう。

「あの人は絶対、さらに売れる。近くで見て確信したんだ。みんなを魅了する力がある!」

僕は諦めない。何としてでも、田橋を説得したい訳があった。勢いに任せて今日の衝撃を話した。


僕たちは新米の芸人だ。地道に賞レースや営業に回り、地道に知名度を上げていくしかない。そして、お客さんにウケるネタの研究も大事な仕事の一つ。芸人仲間と共に、勉強のためお笑いライブに行った。出演者を見ると、テレビに出るような芸人はほとんどいない。つまり、僕らと同じように笑いに貪欲で、熱い闘志を燃やしている人たちが集結したライブなのだ。僕は片時も彼らの勇姿を見逃してはいけないように感じ、一瞬一瞬を切り取るように目に焼き付けようとした。ただし、そんなことはできるはずもなく、頭の中をネタが通過してはフィルターの網目の隙間を抜けていった。どうやら今日の僕は集中力があるが、ネタの学習意欲は低かった。不思議な精神状態だった。

ビラを見て次の芸人を確認する。ピン芸人だ。それまではずっとコンビ、もしくはトリオの芸人が並んでいた。この会場の雰囲気の中で、たった一人でどんな演技を見せてくるのか楽しみだった。と言っても、僕の中で期待はない。僕は田橋とのコンビ芸人であり、ピン芸人とは全然違う。参考にはならないだろう。

「お前、ずっと見入ってたな。」

隣に座っている芸人仲間が小声で囁く。

「ああ…研究してたんだよ。生かせるネタないかなって。」

「流石だな。」

僕の返答に満足したのか、彼は舞台に顔を戻した。確かに、少し疲れた。ずっと働かせていた脳内を一度休める必要がある。背もたれにゆっくりと身体を預けようとした。

その瞬間、舞台が輝いた。会場にテンポの良い音楽が流れる。

「Hello everyone!」

海外風の音楽とそれに合った野太い声。自然と拍手が沸き起こる。

「皆さん、最近どうだい?」

スーツ姿にハット。その容姿に合わせた振る舞いに、皆の視線が釘付けになる。

「俺はどうかって?いいこと尽くしだよ。この前さ…」

落語のような前振りではあるが、ジェントルマンの装いが相待って斬新な漫才。言葉巧みに皆の心を掴んでいく。徐々に皆の心が彼に惹かれていくのが分かる。会場が一つになっていく。

「全て計画通り!」

指を頭に当てたポーズ。そして、そのタイミングで被っていたハットが飛ぶ。締めの一言か。それで終わりかと思った。次の瞬間、髪の毛も飛んだ。一瞬頭の中で「?」が現れたが、それがカツラだと認めると、顕になったスキンヘッドを見て笑いが起こる。さっきまで格好良い方に向けられていたベクトルが一気に滑稽な姿に向く。そのギャップに会場が今日一番の笑いに包まれた。

この人は本物だ。絶対大物になる。そう確信した。僕にとってなくてはならない存在だ。


出来事を一通り説明し終えると、田橋は考え込んだ。

「庵屋。お前の気持ちは分かった。会場が一つになったような雰囲気の感動は、俺も分かる。」

田橋からの同意を得た。これはいけるか…期待で胸が高鳴った。

「でもな、所詮一度だけのライブだ。俺らも経験済みだが、一度ライブが成功したからってその次も成功するなんて分からない。すごい力のある先輩なのに、ずっと燻ってる人たちを俺たちはいくらでも知ってる。その人も、その中の一人なのかもしれない。それに、俺たちはコンビだ。ピン芸人の弟子になるなんて、意味ないんじゃないか。」

強烈な田橋からの返しに、僕はもう説得する術がなかった。

「分かった。無理言ってすまない。」

一言謝り、その日は解散した。


しかし、話は180度切り返す。


数日前に出会った人物を前に、緊張感を隠せずにいられなかった。今から、僕らはこの人に弟子入りして、漫才のイロハを教わろうとしているのだ。師匠として適正な人物なのか。師匠肌だったとしても僕たちと会うのかも分からない。けど、僕らは自分たちの直感を信じて動くしかなかった。

「檜垣さん!僕たちを弟子にしてください!」

二人揃って頭を下げる。数分前に出会い、その人たちから急に弟子入りを申し込まれる。檜垣さんの心境はいかがなものだろうか。喜んでいるのか。それとも迷惑と感じているのか。僕らは、その姿勢のまま、檜垣さんの返答を静かに待った。

数秒後、檜垣さんが暖かい口調で言った。

「とりあえず、ありがとう。率直に嬉しいよ。」

自分たちの唐突な申し出に対して、真摯に向き合ってくれている。しかし、

「でもね、僕はまだまだ売れっ子ってわけじゃない。たまに、テレビに呼ばれることはあるけど、まだ賞レースで燻っている身だ。僕はまだ弟子を持つほどの資格はないよ。」

僕たちは顔を上げた。叶わなかった。この人についていけば何かが変わるという確信があったのに。

不穏な空気が流れた。が、次の瞬間、檜垣さんから予想外の言葉が続いた。

「いやあ…そんなに凹むとはね。うん、気に入った。やっぱり弟子にしよう。」

僕は耳を疑った。

「いや、ただの冷やかしなんじゃないかなと思って。最近よくあるでしょ?テレビ番組とかで。後から実は嘘でした。どう対応するのか隠し撮りしてましたみたいな。それを疑っちゃってたんだよね。」

あり得そうな話だ。時代というものか。そういうところまで気を付けないといけないのか。僕たちは、なるほどと何度も頷いた。

「特に、君。名前は何だっけ?最初に自己紹介してもらったのに…もう一回いい?」

檜垣さんに指を刺されて、一瞬ドキッとしたがすぐに答えた。

「庵屋哲です。」

「いおや…すごい名前だな。庵屋君、君さ、結構僕と顔が似てると思わない?」

僕は田橋と顔を見合わせた。田橋が檜垣さんと僕を交互に見つめる。

「…確かに。そうかもしれませんね!」

田橋が檜垣さんに笑顔で顔を向けた。僕はポカンとしたままだ。

「だろ?でも、当の本人は全くって感じだな。ほれ、手鏡。しっかり見てみろ。」

僕は檜垣さんから手鏡を受け取り、そこに映る自分と檜垣さんを見比べた。

「眉毛の太さと、まあこの髪型のせいでもあると思うけど、目や鼻、口、顎のラインも似てると思うんだよな。」

檜垣さんの言葉に合わせて、僕は鏡と檜垣さんを見比べていく。確かに…。そうかもしれない。

「…本当ですね。結構似てるなと、自分でも思いました。」

「でしょ?」

そう答えて、口角を上げた。皆を幸せにするような笑顔。そう感じた。

「いやあ、弟子を取れるなんてまだまだ先だと思っていたけど、まさかね。でも、本当に嬉しいよ。師匠として何ができるかわからないけど、精一杯頑張るよ。よろしくお願いします。」

そう言って頭を下げた。僕たちはその腰の低さに驚いたが、師匠に頭を下げさせているという現実に気付くと慌てて体を戻すように伝え、より低く頭を下げ返した。その姿を見て、また檜垣さん…師匠は笑顔になった。その温かい雰囲気に僕たちは確信した。僕たちの将来は明るいと。


ただし、この選択が、大きく人生をかき乱すことになるとは知らなかった。

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