第10話 推理
瞼にうっすら光が感じられる。
「…朝か。」
路地裏。身を屈めて一夜を越した。着替えた時は気にならなかったが、身に着けている服装はこの季節に万全ではなかった。夜を越すには寒く、厳しかった。しかし、不満を言っている場合ではない。僕はすぐにスマホの画面に指を走らせた。
「…嘘だろ。」
状況はさらに深刻化していた。師匠の買春事件はほぼ確実だということ。それに続いて、口封じで関わった人物に賄賂を渡していたこと。そして、その一部が事務所から横領されていたこと。事務所はそのことを知らなかったようで、完全に師匠を弾圧していく姿勢を示している。これはまだまだイモ釣り式で悪事が暴かれそうである。
「田橋、早くしてくれ。」
連絡は田橋からするから、僕は待つ以外なす術がなく、ただただ祈りを捧げた。
…いや、田橋以外に連絡を取ってもいいのではないか。そう思い、リュックから自分のスマホを取り出す。だが、「スマホの電源は切っておいた方がいいかもしれない。電源が入っていたら居場所を突き止められるらしい。」と忠告を思い出す。有り得る話ではあるが、少しの時間なら問題ないのではないか。僕にはもう気力が底をつきかけていた。何かに縋りたかった。誰でもいい。僕の話をただただ聞いてくれる人が欲しい。それがどれだけありがたいことか…。スマホの電源をつけることを試みる。指を電源ボタンに這わる。その時、あるものが目に入る。咄嗟に指を離した。自分のスマホのストラップ。
「二人に合うと思ってな。結構高かったから無くすなよ。お守りがわりだと思ってつけとけ。」
師匠から貰ったプレゼントだ。外国で買ったものらしく、独特なデザインだった。田橋も同じものを貰った。丸い形で外周をゴム素材が覆っている。真ん中部分は深みのある青色だ。田橋と相談して、お互いスマホにつけた。
田橋もこれを見て何かを感じているだろうか。必死になって事件解決に奔走している姿が想像できた。
師匠から貰ったストラップを眺めながらそう思った。師匠は社会的にいけないことをしていた。もしくはしている。これは僕も許すべきことではないと思う。しかし、僕たちの前では、そんな姿は見せなかった。どの瞬間も立派な師匠としてあり続けていた。
「2人が弟子になってくれて嬉しいよ。頑張る理由ができた。」
そう笑顔で話していた師匠の顔を思い出す。師匠は心底優しい。そんな師匠の大事な葬式を誰かに邪魔された。これは…弟子として許せない。
逃げることしかできないわけではない。僕にもできることはある。
「どこに居たって犯人の推理はできる。」
情報量は乏しいが、事件が起こった現場にいたんだ。もう一度ゆっくりと考えれば、何かに気付けるかもしれない。事件の瞬間を思い出す。
師匠を追悼したい思いで、師匠のモノマネをした。それも、再現度を限界点まで上げるために、自分はスキンヘッドにした。そのせいで、師匠と勘違いを受け、追われている。だが、師匠はすでに亡くなっている。葬式だって現に行われた。その最中に遺体が消えた。さらに、師匠が生きていると配信があった。続けて、師匠の犯罪が明るみに出た。
挙げていくとキリが無い。論点を整理しよう。
・師匠は本当に死んでいたのか?
・遺体をいつ、どこに、どうやって移したのか?
・あの配信は真実だったのか?
・師匠の犯罪も本当なのか?
・全ては師匠の計画なのか?それとも、誰かの策略なのか?
・犯人の目的は?
・僕や田橋に恨みがあるのか?
問題点を列挙した。が、あまりにも謎が多すぎる。まずは、どこから手をつけるかだ。一つは、ある程度明らかになっている。師匠の犯罪。ニュースで取り上げられているだけで、師匠本人が認めているわけではない。ただ、正直その兆候は感じられていた。師匠は半年に一回以上は、海外に行っていた。僕たちはそんな裕福な遊びに憧れを抱いていた。しかし、一度師匠が電話をしていたのを聞き、違和感があった。
「一週間後に行く。準備できてるか?」
「それは楽しみだ。」
「ヘマするな。バレたら色々と面倒なんだ。」
最後は、他言語の挨拶らしき一言で電話を切った。何を話しているか分からないが、今考えると買春が一応当てはまる会話ではある。もし買春ではなくとも「バレたら色々と面倒になる」から悪事を働いていたことは想像がつく。その瞬間は師匠への憧れから、偉くなるとちょっと悪さしたくなるよね。それこそ、売れたからこそできること。かっこいい。と思っていた。師匠に対して、心底惚れ込んでいたからだ。しかし、人間というのは簡単に変わるものだ。あれほど信頼をして、惚れ込んでいたのにも関わらず、師匠のせいでこんな羽目になったと思うと、時間が経つにつれ師匠への憧れが薄れてしまっている。師匠の悪事も全面的に守ろうとする精神など消えかけ、社会の声と共鳴して糾弾する勢いだ。僕が必死に白色で塗り潰していた思いが、とうとうその限界が訪れた。一旦この問題はここまでだ。
次は、遺体が消えたタイミングだ。自分が祭壇の前に現れる直前には、まだ棺の中にあった。登場のために電気を消し、漫才をした。そして…。
頭の中で戦慄が走る。計画外のことが起きたではないか。
「…まさか。」
そんなはずはないと思いたい。しかし、自分への何か復讐的なものがあるとすれば、近しい存在に犯人がいる可能性が高い。もちろん、あの会場にいる人に限られる。
だとすれば…。僕の脳内はいくつもの紐が絡まっていた。それが次第に解かれていく感覚がある。
次の瞬間には、紐は一つになっていた。一本の紐がただ絡まっていた。答えは明白だ。
「田橋しか考えられない。」
意味もなく自分の口を手で覆った。ここは路地裏。自分独りだ。誰も聞いていない。口を押さえる必要などない。しかし、口から出た言葉があまりにも信じられなかった。
田橋は計画になかった消灯をした。彼は間違えたと言っていたが、師匠の遺体を隠すための計画内のことだったのかもしれない。さらに巻き戻る。今回の師匠のモノマネをする計画したのは誰だ。田橋ではないか。僕が全面的に彼に託していたから、田橋は自由に計画を立てられただろう。そして、事件後師匠の遺体を探す役を勝手出る。もちろん探すつもりなど鼻からなく、僕が捕まるその時を待っているのかもしれない。
僕が知る中で犯人という仮定で考えると、田橋しか考えられなかった。ただし、動機が分からない。ここまでの大事件に陥らせるような動機を僕は彼に与えただろうか?
僕ができることはただ一つ。
「田橋を探す。」
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