第18話 田橋照沙(旧姓 庵屋照沙)の計画

私の人生は最悪だ。楽しい時期、幸せな瞬間は確かにあった。でも、今は毎日が苦しくてたまらない。病院のベッドで、ただただ時が過ぎることを待つことしかできない。時々息子が心配して来てくれるが、正直放っておいて欲しい。お金があれば私の病気は治る可能性があるらしい。しかし、私自身も息子もお金がない。息子の仕事は芸人だ。売れてくれれば安心なのだが、賞レースや営業に回る毎日らしく給料は自分の生活でやっとのようだ。

息子とはずっと一緒に暮らしてきた。正しくは、二人目の息子。他の家庭を持っていた時間もあった。私が初めて結婚したのは裕福な男性だった。ある結婚式を通じて知り合い、あっという間にゴールインを果たした。すぐに子宝に恵まれ、幸せな生活だった。でも、長くは続かなかった。私は低学歴、相手は高学歴。愛でその差を埋めていたのに、日を増すごとにその差が開いていった。そして、突如相手から離婚届を突き出された。前触れもなく。おかしいと抗議したが、「お前と俺はつり合わない。もう次の相手は決まっている。」と衝撃の事実を告げられる。せめて子どもだけでもと思ったが、それも叶わなかった。生活の状況を考えて、相手に託さざるを得なかった。幸せな生活から、独りの生活に。

それでも私は負けなかった。絶対人生は明るくなるって、若い時の私は挫けなかった。そして、すぐに運命の人に出会った。その人は私と同じ生活水準で、贅沢な暮らしからはかけ離れていた。でも、幸せだった。そして、神様は私を見離さなかった。ありがたいことに子どももすぐ産まれた。同じ価値観を持つパートナー。そして、愛する息子。これが私の求めていた生活だ。

でも、やっぱり私には不運が続いた。相手が悪事に手を染め、捕まった。近所にそれが知れ渡り、私は息子と逃げることとなった。一層苦しくなった生活。何とか息子を育てようと、休む間などなかった。必死に働き、専門学校まで卒業させた。これでやっと息子も立派な社会人になると確信した。その姿を見て、私ももう一度自分の人生をと心を奮い立たせた。

しかし、息子は専門学校で学んだことなどすぐに捨て、芸人の道に進んだ。息子の人生だから、と自分を納得させようとも何度もした。でも、できなかった。正直、体が限界な中で働き続けた。私のような苦しい生活をさせないために、息子の将来のためにと思って必死に働き、自分の時間とお金を息子に捧げた。なのに、息子はそれを裏切った。さらに、体を酷使しすぎたせいで病気にもなった。病院からは出られない生活。こんな人生を送るはずなんてなかった。

息子が芸人の道を選んだ日から、私の中で昔の生活が思い出された。ずっと心の奥にしまい込んでいた開けてはならない箱だ。いけないと思った。昔に思いを馳せても、現実は何も変わらないと。でも、思ってしまった。もう一人の子ども…息子に会いたいと。

そんな時、病室のドアが叩かれた。優が来たのかと思ったが、扉の前には息子と同じくらいの年齢の女性が立っていた。

「…母さん?」

神様は私を見捨ててなどいなかった。やはり、最後は微笑んでくれたのだ。

哲。会いたかった。

哲は言った。母さんと暮らしたいと。

私もすぐにでもそうしたかった。哲が言うには、お金はいくらでも用意ができるそうだ。すぐに手術を受けて退院しようと。そして、二人で暮らそうと。


すぐにでも首を縦に振りたかった。でも、やっぱり優に申し訳ない気持ちが残った。涙を堪えながら、哲に断りを入れた。

「母さん。大丈夫。一緒に計画を立てよう。」

哲は言った。優に「檜垣星」と言う人物がお前の父親だよと言えさえすればいい。それだけだと。良く分からなかった。でも、それだけで僕と一緒になれる。安心してと言う。だから、優に伝えた。


「檜垣星って人知ってるかい?それがあなたの父親だよ。」


優には申し訳ない気持ちもあった。我が子に嘘をつく。特に、彼は父親に対して気になっている様子だった。優を困らせるのではないか…。でも、私の心は決まっていた。もうこんな生活は嫌だ。一刻も早く抜け出したい。残りの人生を楽しく生きていたい。


全て計画通りに。

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