第20話 まだ終わっていない

「映画の成功おめでとう。」

岸日夏帆がグラスをコチラに近づける。僕は手に持っているグラスを、シンメトリーのように動かした。心地よい音が響いた。

グラスに唇を近づけ、ワインを飲む。その動作でさえも、映画のワンシーンのように輝いている。

「こんな売れっ子が彼氏なんて、私心配。」

目が合うと、意地悪そうに笑った。

「ああ。ありがたいことにね。女性ファンも大勢できたよ。」

意地悪の波に乗る。彼女の眉間に皺が寄った。コロコロ気持ちが変わるのが彼女。それが可愛くて仕方がない。

「うわー。彼女の前でそんな発言するんだ。哲も悪くなったね。映画撮り始めた時は、超純粋派だったのに。」

視線をグラスに戻し、もう一度口をつけた。僕はその所作にまた見惚れていた。いつもより綺麗と感じるのは、窓から一望できる夜景のせいだろう。そんな環境のせいか、普段は口にしないセリフが流暢に口から出ていく。

「今言ったのは、周りの話だよ。大事なのは僕自身の気持ちだろ。君みたいな素敵な人とこんな場所にいられる。幸せだよ。」

彼女の目が大きくなり、頬が赤く染まる。

「それ、みんなに言ってるわけじゃないよね?いつも言わないじゃんそんなこと。」

彼女が確認してくる。

「君以外の人に言う訳ないだろ。本当はいつも思ってるよ。恥ずかしいから言わないだけ。」

僕の説明に納得したのか、満面の笑顔を作った。僕も笑顔で返す。幸せな時間が流れる。

彼女と出会ったのは、映画の撮影だ。僕の計画は「世間からの注目を集めることが最終の目的」で全て終わった。しかし、予想を遥かに超えた注目を集め、映画化には驚きを隠せなかった。「時の人はタイミングを逃せば、次はない」そんなセリフを売れなくなった先輩が言っていたと思い出し、勇気を出して映画を了承した。すると、制作スタッフからぜひ本人にと提案があった。なんとしてでも話題を作り上げ、ヒット作を世に出したい制作会社。僕としてもここまで来たら計画を立てるよりも、身を任せていけるとこまで行ってやろうという気になり、会社の意向と馬があった。承諾すると次々と話が進み、キャストが出揃った。その中にいたのが彼女だ。撮影を始めた当初から、ある程度知名度はあったが、僕みたいな世間に疎い人からしてみるとただただ綺麗な人だった。知らないからこそ、僕も気負いせずに会話ができた。何気ない僕との会話が楽しかったらしく、「さすが芸人さんですね」と毎日褒めてくれた。順調に撮影が続くと、僕と彼女の親密さは増した。僕が「この一時期の波だけでなく、長年活躍できる芸人になって成功したい」と決意を飲みの場で彼女に打ち明けると、「私も頑張る」と影響を受けていた。撮影の合間の仕事にお互い熱を入れ、着実に有名になっていった。

映画がクランクアップする時、勇気を出して告白した。彼女は涙を流して頷いてくれた。美しい涙だった。

映画が公開され、彼女と祈るように世間の様子を見守ったが、心配は不必要だった。ネットで話題になり、今年の日本映画の中であっという間に売り上げ一位となった。それに後押しを受け、僕も彼女もさらに仕事が増えた。そして、今こうやって高級レストランにいるわけだ。


僕のポケットには、今日渡したいものがある。彼女が快く受け取るだろうか…。

「夏帆。受け取ってほしいものがある。」

僕は両手に収まるほどの箱を彼女に向けて開けた。結婚指輪だ。

彼女は指輪を眺めた後、視線をテーブルに落とした。ずっと固まっている。僕は99.9%成功する勢いだった。まさかの展開に対応しきれない。すると、ふと彼女の前にあるお皿が濡れているのに気づいた。

「そんな焦らないでよ。かっこよくして。」

涙を指で拭いながら顔を上げた。

「結婚するに決まってるじゃん。」

彼女のその涙は、以前見た時よりもさらに美しかった。


店を出て僕は彼女を家に誘った。今夜は一緒にいたい。

「私も一緒にいたい。けど、ごめんなさい。今日は帰ってくるように言われてるの。」

彼女は実家暮らし。今後、彼女の親との関係のために、ここは紳士的に返そう。

帰り道、僕はもう一度あの計画の始まりを思い出す。田橋と師匠には悪かった思いもある。しかし、あのときは母親への執念に突き動かされていた。事件後、母親は手術を受けた。無事に健康的になったが、しばらくして病気が再発し一年も経たずに他界した。最愛の母親を亡くしたが、過ごした時間が短すぎた。僕は涙を流すことなく別れることとなった。母親との生活のためにあれだけ練った計画が、あっけなく終わったことへの気持ちの方が整理できなかった。しかし、映画の話や彼女との出会いによって、その気持ちを払拭することができた。


家が見えた。今住んでいる家は、前とは比べ物にならない。一人では十分すぎる広さではあるが、今後彼女と一緒に住むとなると引っ越すべきだろう。どんな部屋がいいか…。自分の気持ちの高振りを自覚する。計画当初はここまでのことなど全く考えられなかった。映画の話があった時は、計画外だから断ろうとしていた。今の状況を予想できていなかったからだ。でも、やって良かった。


先ほどからの興奮が冷め止まず、水を飲もうとキッチンに向かう。

彼女との未来を想像しては、笑みをこぼさずにはいられない。

水を一気に飲み、長く息を吐く。その時、テーブルの上のある物に目がいった。

師匠からもらった土産物だ。最近スマホを買い替えたことで、外していたが計画が終了してからもお守り代わりとして身につけていた。利用させてもらった身として、師匠に対して悪いと思う気持ちもあった。ただ、師匠のおかげで今がある。感謝を今一度心の中で呟く。

「あっ。」

テーブルに戻そうとした時、手からするりと床に落ちた。慌てて拾おうとしたが、完璧に割れてしまった。


僕の中で時が止った。正確には息の仕方を忘れた。

…割れた中に、小さな機械が見えた。

「…盗聴器?」

なぜか分からない。でも、ふと彼女の名前が頭に浮かんだ。

岸日夏帆。きしびかほ。きし゛ひかほ。


僕の体に衝撃が走る。

ピンポーン。

チャイムの音。これは下のオートロックではない。すぐそこの玄関のインターホン。


ガチャ。

鍵が開く音。鍵を持っているのは亡くなった母を除けば、彼女しかいない。しかしこの状況は…。


脳が気づく前に、体が勝手に玄関へと向かった。ゆっくりと扉が開かれるのが見える。

現れた姿は、あの日見たシルエットだった。

「全て計画通りにいったのかい?」

僕の意識はそこで途絶えた。

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