第8話 レモナゼル城

 アルマの視界は一瞬だけ暗闇に閉ざされ、でもすぐに新しい景色へと切り替わる。

 彼女はミスフィーズと共に、ほのかな灯りの点いた部屋に立っていた。四方を鏡に囲まれており、二人の姿が薄く反射している。足元には塔にあったものと同じ魔法陣が描かれており、段々とその輝きが失われ、部屋の暗さが少しずつ増していく。


(ほ、本当に違う場所に来ていますよー! これが魔法の力ですか……)


 アルマは感動しながら、きょろきょろと部屋を見渡す。


「こっちだ。付いてきてくれ」


 ミスフィーズに微笑まれ、アルマは「はいっ!」と返事をして彼女の背中を追った。

 開かれた扉の先に広がるのは、美しい城の回廊かいろうだった。シルヴェークス城は建物内に白色を多く使っていたが、この回廊は藍色を基調としており、静謐せいひつな気品が余すところなく感じられる。


 設けられた大きな窓から見えるのは、どこまでも続く壮大な青空と真っ白な雲、そして城を囲むようにして広がる町の情景だ。ミニチュアのように立ち並ぶ建物は、今までアルマが過ごしてきた場所のものとは異なる形状をしている。遠くで飛翔ひしょうする鳥の声がふと聞こえ、見ればそのシルエットは目新しい。アルマは息を呑みながら、その光景を立ち止まって眺めていた。


「綺麗だろう?」


 ミスフィーズの言葉に、アルマは我に返ったように瞬きしてから、楽しそうに笑った。


「はい……とっても綺麗でした! すごく素敵な場所ですね!」

「ふふ、ありがとう。ちなみにこの城は、地方の名を取ってレモナゼル城という。これから貴女が過ごすところだよ」

「おおお、わくわくします……!」


 目を輝かせるアルマに、ミスフィーズは「そうだろう?」と微笑んだ。

 再び歩き出したミスフィーズに付いていきながら、アルマは城の色々な箇所に視線を彷徨さまよわせる。やがてミスフィーズは、一つの部屋の前で立ち止まった。


「アルマ。ここが貴女の部屋だ」


 そう言って、ミスフィーズは扉を開ける。

 アルマの目に飛び込んできたのは、品があり、それでいて可愛らしくもある部屋だった。テーブル、椅子、ベッド、クローゼット、ドレッサー、本棚、時計――そうした生活に必要な家具は一通り揃えられており、どれもが新品特有の美しさを放っている。透明なレースカーテンの向こうには大きな窓があり、そこから温かな陽光が差し込んでいる。壁紙は小さな花々があしらわれたデザインで、とても素敵だった。


 ミスフィーズは頬の辺りをきながら、少し恥ずかしそうに笑った。


「どうだろうか? 貴女がどういったインテリアの好みかわからず、無難ぶなんな感じにしておいたのだが……気に入って貰えただろうか?」


 その問いに、アルマはミスフィーズに向かって、勢いよく何回も頷いた。


「いやはや、とっても気に入りましたよー! ありがとうございます、お義母様かあさま! この部屋でスイーツを食べるのを想像しただけで、胸が高鳴ります!」


 ミスフィーズは、安心したように笑う。


「貴女は本当に甘いものが好きなんだな。喜んで貰えてよかったよ」

「いえいえ! こちらこそ、めっちゃ素敵なお部屋を用意してくださり、感謝でいっぱいです! やっほいやっほいですー」

「はは、踊り出してまでいただけるとは」


 アルマの謎のダンスを、ミスフィーズは微笑ましげに眺める。

 それから、思い出したように口を開いた。


「そうだ、貴女の婚約者のレアだが、今は学校に行っており不在だ」

「学校……? 王族の方も行かれるんですか?」

「ああ、そうだよ。アルマは行ったことがないのか?」


 その問いに、アルマは少しばかり寂しそうな顔をする。


「そうです、ないんです。わたくしの住んでいたところでは、王族には独自の教育制度があって。だから、ちょっと憧れがあったりします」

「そうか。……覚えておくよ」


 ミスフィーズは優しい表情で頷いて、再び話し始める。


「レアが帰ってくるのは、夕方頃になると思う。それまで貴女は暇になると思うが……長旅で疲れているだろうし、よければこの部屋で休んでいてくれ。本棚に幾つか小説を入れておいたから、暇潰しになると思う。もしかするとこの地方独特の表現が入っていて、少しわかりにくいかもしれないが」

「わかりました! ありがとうございます、お義母様。ゆっくり休もうと思います!」

「ぜひそうしてくれ。わたくしは片付けなければいけない仕事があるので、一旦失礼するよ」

「はい! お忙しい中お迎えに来てくださり、感謝ですよー!」


 ミスフィーズは微笑んで、アルマの鞄を部屋に置くと歩き出した。

 ぱたんと扉が閉まって、アルマは部屋に一人きりになる。彼女は取り敢えず靴を脱ぐと、勢いを付けてふかふかのベッドに飛び込んだ。


「ふわあああ……幸せです……」


 しばしの間ベッドの柔らかさを堪能たんのうしたあとで、アルマはベッドに座り込む。


(うーん、何をしましょうか。行きの馬車で寝たので全く眠くありませんし、おすすめされた小説でも読んでみましょうかね……)


 思い立って、アルマはベッドから腰を上げる。

 本棚に近付きかけたところで、とんとん、と扉の叩かれる音がした。


(あれ……? お義母様、何か伝え忘れたことでもあるのでしょうか)


 不思議に思いながら、アルマは方向転換して扉の方へ歩み寄る。


「入って大丈夫ですよー!」


 アルマの声に呼応するかのように、ゆっくりと扉が開かれる。

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