第7話 塔の中で

 アルマとミスフィーズは、塔の内部にある螺旋状らせんじょうの階段を歩いていた。


「ぜえ……ぜえ……ぜえ……」

「なあ、アルマ。本当に休憩を取らなくて大丈夫か? まだ半分も歩いていないから、先は結構長いぞ」


 全身に汗をかきつつ息を切らしているアルマに向けて、二段ほど先にいるミスフィーズは心配そうに首を傾げる。アルマは顔を上げると、にこやかに親指を立てた。


「全然大丈夫です! お義母様かあさまに心配を掛ける訳にはいきませんよー!」

「いや、既にかなり心配しているんだが」

「あはは、わたしのことなどお気になさらないでください! 何なら今、この階段を駆け上がっちゃいますよー!」


 アルマはそう言うと、勢いを付けて階段を走り出す。そして五段ほど昇ったところで、体勢を崩してがくんと前のめりに倒れ掛け――


「ひゃあっ!」


 ――颯爽さっそうと駆け寄ったミスフィーズに、後ろから抱きしめるように支えられた。


「大丈夫か? アルマ」


 女性にしては低めのハスキーな声で耳元に囁かれ、アルマは途端とたんに顔を赤くする。


「なっ、なんかどきどきのシチュエーションですよー!」

「何を言っているんだ? というか、こうした方が早いかもしれないな」


 ミスフィーズはひとり頷いて、アルマが持っていた鞄をさっと自身の肩に掛ける。そして、不思議そうにしているアルマの背中と足に手を回すと、彼女の身体を楽々と抱きかかえた。所謂いわゆるお姫様抱っこだ。

 アルマは先程よりも顔を赤くして、口を開く。


「さっ、さらにどきどきのシチュエーションですよー! こういうのは婚約者さんにやって貰うのかと想像していましたが、まさかのお義母様でした!」

「ふう、やはりこの持ち方は楽でいいな。さくさく昇るとするか」

「わたしのお義母様が、とってもクールで力持ちで頼もしい件について……」


 アルマの呟きにくすりと笑いを零しながら、ミスフィーズは全く疲れた様子を見せずに、楽々と階段を上がってゆく。


「そういえば、お義母様。一つ、聞きたいことがありまして」

「構わないよ。何かな?」

「ありがとうございます! その……わたしの婚約者さんのティルゼレアさんって、どんな方ですか?」

「ああ、レアのことか?」

「多分そうです!」


 ミスフィーズは少し上を見ながら、「うーん、あいつは……」と言う。少し悩んだ後で、楽しげに笑った。


「あいつは、ツンデレだな」

「つ、つんでれ……? 魔族の方たちに人気のスイーツのお名前ですか?」

「その理論でいくと貴女はスイーツと結婚することになるが、大丈夫そうか?」

「…………。ちょっと想像してみましたが、スイーツとの結婚はかなり嬉しいですよー!」

「そうか。この数秒でどんな結婚生活を考えていたのか、わたくしはとても興味があるよ」


「ええとですね、『ご飯にする? お風呂にする? それとも俺?』というシチュエーションがあった場合、三分の二が食べ物でハッピーだったんですよー!」

「なるほど。その場合、ご飯を『ケーキ』にして、風呂を『チョコレート風呂』にすると、全部スイーツになるな」

「てっ、天才ですか、お義母様!?」


 驚愕きょうがくしたように目を見張るアルマに、ミスフィーズは「そうかもしれないな」と笑う。

 それから、思い出したように口を開く。


「話が逸れたな。ツンデレというのは……まあざっくり言えば、普段はつんけんとしているけれど、心を許した者には甘えてくる――そんな性質のことだ」

「へええ、なるほど……。つまり、ティルゼレアさんが甘えてきたら、それはもう『らぶ』ってことですかね!?」

「そうするとあいつは色々な人に『らぶ』を振り撒いていることになってしまうが、まあ結婚相手となる貴女の場合は、そうかもしれないな」


 目を細めたミスフィーズに、アルマは「なるほどです」と頷く。

 幾らか経って、ミスフィーズは長い螺旋階段を昇り終え、アルマを丁寧に下ろした。


「ありがとうございました、お義母様!」

「お気になさらず」


 微笑んだミスフィーズに、アルマも眩しい笑顔を返す。

 二人が少しの時間通路を歩くと、扉の近くに一人の守衛が立っていた。彼はミスフィーズに一礼すると、アルマの姿をしげしげと眺める。その視線に気付いたアルマは、恥ずかしそうにさっとミスフィーズの後ろに隠れた。


 濃淡の違う幾つかの金色で塗られた美しい扉を、ミスフィーズは開ける。アルマは彼女に続くようにして、その場所に足を踏み入れた。

 正方形の部屋だった。余り広くなく物さえ何も置かれていないが、特筆すべきは、地面に描かれた円と五芒星ごぼうせいをモチーフにしている美しい模様だろう。雪のように白いその色合いは、濃い灰色の場所に描かれているからか、随分ずいぶんと際立って感じられた。


 アルマは何度か瞬きをした後で、不思議そうな声を漏らす。


「お義母様……これは何ですか?」


 その問いに、ミスフィーズはきょとんとした顔をしてから、「ああ、そうだった」と微笑った。


「雪桜の民は、魔法を使わないんだったな。となれば、知らないのも頷ける。……これは、『転移魔法陣』。様々な場所を繋ぐ便利なものだよ」

「へえええ……どうやって使うんですか?」

「焦らずとも、すぐにお見せするさ」


 ミスフィーズはそう言うと、身に付けている羽織物のポケットから一つの鍵を取り出す。花のような形をしたキーヘッドが印象的な、静謐せいひつな銀色をしたものだった。ミスフィーズは左手でそれを持ちながら、そっとアルマの方を見た。


「アルマ。行く前に、一つだけ伝えておきたいことがある」

「はっ、はい。何でしょうか?」


 緊張した面持ちのアルマに、ミスフィーズは優しくて、それでいて淡く悲しげな表情を湛える。


「寂しい話ではあるが……魔族の中には、未だに雪桜の民への偏見を持つ者も多い。だが、それは歴史を眺めれば、仕方のないことだとも思っている。人間は誰かを憎むことを、簡単にはやめられないのだろう」


 しかし、とミスフィーズは言う。


「簡単にはやめられないということは、裏を返せば、難しくはあるがそれを終わりにすることもできる、ということだ。……アルマ。貴女には、これから色々な苦労を掛けると思う。でも、わたくしたちのことをすぐには見限らないでほしい。魔族の女王として、頼ませてくれ」


 そこまで述べて、ミスフィーズはアルマに向けて深く頭を下げた。

 アルマはあわあわとしながら、口を開く。


「かっ、顔を上げてください! お義母様!」


 ミスフィーズは言われた通りに、礼をするのを終わりにする。

 アルマはそんなミスフィーズを見上げながら、花が咲いたように微笑んだ。


「すぐに見限ったりなんかしません。わたしこそ、頼みたいです。わたしは至らないところが沢山あると思いますが、精一杯頑張りますので、改めてどうぞよろしくお願いします!」


 アルマはミスフィーズに向けて、さっと右手を差し出す。

 ミスフィーズは安堵したように笑って、彼女の右手を取った。


「ありがとう」


 そう告げてから、もう片方の手に持っている鍵を少し強い力で握る。


「〈銀の鍵にこいねがう――き民への感謝を忘れず〉」


 ミスフィーズの唱えた言葉に呼応するように魔法陣は深い輝きを発し、その光に包まれて、二人の姿は塔の中から消え去った。

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