第6話 邂逅と別れ

「ほら、起きて、アルマ」

「ん、うぅん……」


 セレンに身体をゆさゆさと動かされて、アルマはぼんやりとした意識の中で、少しずつ目を開いていく。


「ふわああ、おはようございます、セレン……」

「おはよ、アルマ。レモナゼル地方に着いたみたいよ」

「ええっ! 本当ですかー!?」


 アルマはセレンに寄り掛かるのをやめて、がばっと上体を起こす。

 車窓から見えるのは綺麗な自然の情景だったが、どこかシルヴェークス地方とは異なるように感じられた。色合いの違う草原、見たこともない花々、不思議な形をしている大きな樹――見ているだけで、アルマの心臓の鼓動は段々と早まってゆく。声を発することも忘れながら、アルマは赤紫色の瞳にその光景を映していた。


 やがてアルマが御者ぎょしゃと馬のいる前方を見ると、そこには一つの塔があった。

 美しい装飾の施された大きな時計と、等間隔で存在する幾つもの窓。眠るように佇んでいる灰色の塔は、荘厳そうごんな雰囲気を漂わせている。


「おおお、かっこいいです……」


 心奪われているアルマの様子を見ながら、セレンは「そうね、本当に」と頷いた。


「取り敢えず、馬車を降りましょうか。待ち合わせの場所はここで合っているはずよ。誰が迎えに来てくれるのかは、まだわからないけど」

「そうですね! うう、どきどきします……!」

「私もいるから大丈夫よ」

「心強いです、セレン!」


 二人はそんな言葉を交わしながら、キャビンの扉を開いてゆっくりと馬車を降りる。

 地面に降り立ったアルマは、大きく息を吸った。自然の中の空気はやはり美味しくて、それでいて今までとは違う香りのような心地がする。


(本当に遠くに来たんですね、わたし……)


 そんなことを考えながら、セレンに付いていくようにして、塔の入り口へと足を進めた。

 ――そのとき、だった。

 塔の扉がゆっくりと開き、そこから一人の女性が出てくる。

 歳の頃は四十歳ほどだろうか。黄金色の髪は高い位置でまとめられ、切れ長の蜜柑色の瞳には陽光が反射している。尖った耳に付けられているのは、髪と似た色合いをした幾つものイヤリング。随分と背が高く、立居振る舞いには隠し切れない気品がある。


(すごく……美しい方、ですね)


 アルマは息を呑みながら、その女性のことを見つめていた。

 女性もまた、切れ長の双眸そうぼうでアルマを見つめ返す。それから、落ち着いた微笑みを浮かべた。


「初めまして、アルマ=シークレフィア」

「ひゃっ、ひゃい!」


 自分の名前を呼ばれたことに驚きながら、アルマは返事をする。女性は頷いて、セレンへと視線を移した。


「そして、そちらの方は……」

「セレン=ルルエンスと申します。アルマ様の付き添いのため、ここまでご一緒させていただきました」


 にこっと笑いながら返すセレンに、アルマは(敬語モードのセレン、とっても可愛いですよー!)と思ったものの、流石に口に出すことはしなかった。


「セレンと言うのだな。よろしく頼む」

「はい、どうぞよろしくお願いします」

「ああ、わたくしの自己紹介を忘れていたな。失敬」


 女性は軽く頭を下げてから、綺麗な赤さに染まった唇を開く。


「わたくしの名は、ミスフィーズ=タシェラート」


(ん、どこかで聞いたことがあるような名前ですね……)


 そんなアルマの記憶を確かにするかのように、女性――ミスフィーズは、さらに続けた。


「レモナゼルの女王だ。どうぞよろしく頼む」


 その言葉に、アルマはひゅうっと息を吸い込んでから、



「おっ、お義母様かあさまあああああああああああああああああ!?」



 そう、大きな声で叫んだ。


「ちょっとアルマ、いきなり叫ばないでよ! 心臓に悪いんだけど!」


 素のセレンにツッコまれて、アルマは「だ、だってだって!」と彼女の方を向いた。


「わたし、色々考えていたんですよー! お義母様との最初の挨拶あいさつは、すっごく感じよくしなきゃなあ、とか!」

「最初の挨拶、叫び声になってるけど大丈夫そうかしら?」

「ま、全く大丈夫じゃないですよー! どうしましょう、セレン!」

「その相談を女王様の前でしたらだめだと思うんだけど!」

「はっ、確かに! そうしたらセレン、一旦馬車まで戻って作戦会議と洒落込しゃれこみましょうか!」

「女王様を置いて作戦会議の方がだめに決まってるでしょうが!」

「た、確かにー!」


 二人のやり取りは、「ふっ……はははっ」という笑い声にさえぎられる。

 見れば、ミスフィーズが可笑おかしそうに笑っていた。

 ぱちぱちと瞬きを繰り返しているアルマを見ながら、ミスフィーズは言う。


「いやあ、雪桜の民の王女がどんな娘なのかと色々想像していたんだ。だが、こんな面白い子だとは予想外だったな。嬉しい誤算だよ」

「セ、セレン! なんか高評価をいただけましたよー!」

折角せっかく奇跡的に面白がって貰えてるんだから、私じゃなくて女王様と会話しなさいよ!」

「そ、そうですね! え、えっとお、お義母様……今日はいい天気ですね」

「下手かっ! 急に会話下手か!」

「そうだな、本当にいい天気だ。こんな日に貴女を迎えることができ、とても喜ばしく思っているよ」

「え、えっとお……照れますね……」

「いつもの元気なアルマはどこに行ったのよー!」


 俯いて顔をほんのり赤くしているアルマに、セレンは大きな声を出した。

 それからセレンは、ミスフィーズへと頭を下げる。


「すみません。アルマ様は若干……というかかなりマイペースですが、根はとてもいい子です。なので、どうかよろしくお願いしますね」

「ああ、勿論もちろんだ。余り心配しないでくれ……というのも、貴女の立場からすると難しいかもしれないが。でも、これだけは伝えさせてほしい。わたくしは雪桜の民の王女を、心より歓迎している、と」


 優しい微笑を浮かべて言うミスフィーズに、セレンは唇をきゅっと結んで、力強く頷いた。

 そうしてセレンは、アルマに向き直る。


「それじゃ、私はシルヴェークス城に帰るわね」

「はい! 付いてきてくださり、どうもありがとうございました、セレン」

「どういたしまして。いい、アルマ? 魔族の皆さんに、余り迷惑を掛けないようにね」

「ぜ、善処します!」

「そこは『わかった』でいいのよ。……全く」


 セレンは呆れたように笑ってから、一歩アルマに近寄った。不思議そうに目を丸くしたアルマの背中へと、セレンは華奢きゃしゃな腕を回す。

 お花の香り、とアルマは思う。ずっと昔からセレンが漂わせている、花に似ていて、けれどどんな花とも一致しない甘くて優しい匂い。セレンの温かな体温に包まれながら、アルマはそっと目を閉じた。


「……何か大変なことがあったら、すぐ知らせなさいよね。駆け付けるから」

「……わかりました。本当にありがとうございます、セレン!」

「こちらこそ、私なんかとずっと仲良くしてくれて、ありがとね。アルマ」


 少しして、二人の身体が離れる。

 セレンはアルマへとどこか気恥ずかしそうに手を振って、ミスフィーズにもう一度会釈えしゃくして、そうして馬車の方へと戻っていった。


 馬車が、動き出す。


 キャビンの後ろの車窓から身を乗り出して、セレンはもう一度、大きく手を振った。

 アルマも、両手を思い切り動かして振り返す。

 馬車が小さくなってしまって、ほとんど見えなくなってからも、アルマは懸命に手を振り続けた。

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