第5話 旅立ち

 ――それから、一週間の月日が流れ。

 アルマが、レモナゼル地方へと旅立つ日が訪れた。


 ◇


「それでは、皆様。長い間、大変お世話になりました!」


 黄緑色を基調とした華やかなドレスに身を包み、衣類などが入った大きな鞄を携えたアルマは、見送りに来てくれた城の人々に向けてそんな言葉を送る。人々の中には、両親と兄の姿もあった。


「うっ……うう、うう……」

「こら、マキア。いつまで泣いているんだ。アルマが心配してしまうぞ」

「そうよマキア! ひっく、ひっく……そんなに泣いてたらだめよ、ぐすぐす」

「レミー、泣いている君が言っても全く説得力がないぞ」


 兄のマキア、父親のディン、母親のレミーのやり取りを聞きながら、アルマは笑う。


「もう、そんなに泣かないでくださいよー! 今生の別れじゃないんですし、笑顔で見送ってほしいです」

「ううう、そうだよね、アルマ。にこにこ」

「お、お兄様! 表情は笑っているのに、涙が目からどばどば溢れていますよー!」


 アルマは心配そうな顔付きになり、持っているハンカチでマキアの顔を拭いてやる。マキアは「うう……いい妹だね……」と嬉し泣きし始めたので、中々拭い終わらなかった。

 そんなマキアの様子を見て、セレンは呆れたように溜め息をつく。


「全く、貴方は本当にアルマのことが好きなんだから。そろそろ妹離れしなさいよ」

「ふっ……無理かな」

「何でちょっとかっこつけたのよ」

「まあ、ぼくのことはいいんだよ。セレン、アルマの付き添いをよろしくね」

「ええ、勿論もちろん! しっかりアルマを送り届けてくるわ」


「ふふ、セレンと一緒なんてとっても心強いですー! どれくらい心強いかというと、ショートケーキにおける甘酸っぱい苺くらいですよー!」

「貴女の頭の中って本当、甘いもののことばかりよね」

「そ、そんなことないですよー! 全体のうちの八割くらいしか考えていませんよー!」

「いや多いわよ! そっかあ少ないわね、とはならないわよ!」

「実はセレンのことも、二パーセントくらい考えています!」

「甘いものの四十分の一しか考えてないじゃない! ちょっとショックなんだけど!」

「ちなみにお兄様のことは、」

「怖いから聞かないでおこうかな」


 アルマの言葉を遮るように言ったマキアに、セレンは「逃げたわ、この兄!」という驚きの声を漏らした。

 それから時計を確認して、セレンは口を開く。


「そろそろ時間ね。それじゃあ行きましょうか、アルマ」

「はい、わかりました! 皆様、お見送りありがとうございます! わたし、精一杯頑張ってきますので!」


 笑顔で告げたアルマに、城の者たちから言葉が返ってくる。


「応援してますよー、アルマちゃん!」

「アルマ様なら大丈夫です、向こうでも楽しんでくださいね!」

「気を付けていってらっしゃい」


 幼少期からお世話になった人たちの温かな声に、アルマは嬉しそうに微笑んだ。

 そして、マキア、ディン、レミーの方を向く。


「お兄様、お父様、お母様! ちょっとまとまってくれますか?」

「まとまるって……近付けばいいってこと?」


 マキアの質問に、アルマは「そうですそうです!」と頷きを返す。アルマのお願い通り、三人は互いの距離を近付けた。


「ありがとうございます……そーれっ!」


 アルマはたんと地面をり、三人にぎゅっと飛び付いた。

 驚いた顔を浮かべている家族を、アルマは力いっぱい抱きしめながら、言う。


「今までわたしを側で見守ってきてくれて、本当にありがとうございました! わたし、三人の家族として生まれてくることができて、とってもよかったです。寂しいですが、わたし……しっかり、やってくるので! どうかこれからも、見守っていてください!」


 そんなアルマの言葉に、三人はそれぞれの表情を浮かべると、


「「「ア、アルマー!」」」


 彼女の名前を大きな声で呼びながら、おいおいと泣き出した。


「結局王様も泣くんかい……」


 セレンはそう言いながら、少し羨ましそうにアルマたちの姿を見つめていた。


 ◇


 からからと、車輪と地面のこすれる音が響いている。

 アルマはセレンと向かい合う形で、馬車のキャビンに座っていた。車窓から見えるのは、シルヴェークス地方の豊かな自然だ。普段は遠くから見ることしかできなかった山々は、今や樹々の輪郭りんかくをはっきりさせるほど近くにそびえ立っている。草原を揺らすように穏やかな風が吹いており、桃色や黄色をした小花が淡く揺れている。どこかでさえずる鳥の声を聞きながら、アルマは心地よさそうに大きく伸びをした。


「結構長い時間乗っていますね、わたしたち」

「そうね。シルヴェークス地方と言っても、普段私たちが過ごしているのはほんの一握りだもの。特にアルマは、こんな長旅は珍しいんじゃない?」

「そうですね、本当に! いやはや、綺麗な景色を見ることができて嬉しいです。この国の新たな魅力を、また一つ発見してしまいましたよー!」


 元気な声で言った後で、アルマはすぐに「ふわあああ」と大きな欠伸あくびをした。


「眠そうね、アルマ」

「うーん、そうなんです。実は今日、ちょっと寝不足気味で……」

「あら、そうなの。まあそれもそうよね、大きなイベントの前だし、そりゃあ寝付きも悪くなるわよね」

「いえ、そういう訳ではなく。『美味しいケーキの種類ランキング』を、考えていまして……」

「またそれ考えてたんかい! ケーキのランキングでそこまで悩めるなんて、逆に才能だと思うんだけど!」

「ちなみに今回も、一位は決まりませんでしたよー!」

「さっさと決めなさい!」

「いやはや、これが中々難しくて……ふわああああ」


 また一段と大きな欠伸をしたアルマに、セレンはふふっと笑った。


「まあ、そんなに眠いなら、着くまで眠ってたらどう? まだかなり時間掛かるだろうし」

「うう、そうしたらでも、セレンが話し相手いなくて暇になっちゃいますよ……」

「別に大丈夫よ。窓の外見てるだけで割と楽しいし」

「そうですね……では、お言葉に甘えて……」


 アルマはそう言うと、すやすやと眠り始める。

 彼女が体勢を崩しそうになったので、セレンははっとした表情になり、すぐにアルマの隣へと移動する。自身の肩をアルマに貸すようにして、セレンはふうと一息ついた。

 隣を見れば、目を閉じている可愛らしいアルマの姿がある。

 その安心しきった表情を見ていると、セレンまで何故だか穏やかな心地になる。


「……アルマが結婚、か」


 セレンはそうやって、ぽつりと呟いた。

 十年以上の付き合いがあるアルマは、セレンにとってかけがえのない存在だった。親友であり、仕えているお姫様であり、どこか手の掛かる姉のようでもあり。いつまでも隣にいるものだと勝手に思い込んでいたが、こうして結婚が決まり、アルマはセレンの元から離れていってしまう。


 その事実に確かな寂しさを覚えている自分に気付き、セレンは微笑んだ。

 寝息を立てているアルマの頭を、そっと撫でる。


「……幸せになりなさいよ、アルマ」


 そんなセレンの言葉は、シルヴェークスの大自然に溶けていくように消えていった。

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