第20話 父親

 ティルゼレアは時折、父親と会うことがある。

 父親はもう亡くなっているので、現実ではなく不確かで忘れてしまいやすい夢の中で、だけれど。


 父親はいつも楽園のような場所にいる。とても優しい風が吹いていて、美しい花々を、草原を、湖を、淡く揺らしているのだ。それが死後の世界だったらいいと、ティルゼレアは思っている。少し寂しいかもしれないけれど、とても心地よさそうで、苦しさなんて無縁に思える場所だから。


「レア、何だか表情が重いな。もしかして、何か悩んでいるのか?」


 父親は笑いながら、ティルゼレアにそう尋ねた。


(……この人は、いつも俺のことを見透かすな。親だからか? それとも……本当は全て俺がつくり上げた幻で、だから知っているのだろうか)


 悲しい想像を振り払うように、ティルゼレアは口を開く。


「……父さんには、伝え忘れていたけれど。俺、雪桜の民の王女と結婚することになったんだ」

「へええ、そうなのか。面白い時代が来たものだな」


 そう心から言える父親のことを、ティルゼレアは尊敬せずにはいられない。


「で、レアはその人とうまくやれているのか?」

「……いいや」

「そうなのか。それはどうしてだ? その人がめっちゃ性格悪いとかか?」

「いや……違う。むしろ、とてもいい人なんだと思う。まだ、関わり始めたばかりだけれど」

「ほうほう。だとしたら、どうしてうまくやれていない?」


 父親の瞳は、真っ直ぐにティルゼレアを見つめている。


「……俺の問題なんだ」


 ああ、この人は不思議だ、とティルゼレアは思う。

 素直に伝えることのできない自身の思いが、父親の前だと溢れてしまうのだ。

 もしかするとそれは、現実でこうしたかったという願望なのかもしれないけれど。


 そう考えながら、ティルゼレアは言葉を紡ぎ続ける。


「その人そのものを見なければならなかったのに、もっと大きな……別のものにとらわれてしまって、ひどいことを言ってしまった。彼女はきっと傷付いただろうし、俺も後悔している。……どうすれば、ちゃんとその人を見ることができるのだろう」


 なるほどな、と父親は頷いた。

 少しの静寂があって、彼は柔らかく笑う。


「いいか、レア。それは実は、すごく簡単なことなんだ」

「そうなのか?」

「ああ、勿論もちろんだ。こうするだけでいい――その人が今お前に伝えたいと思っている言葉を、真っ向から受け止める努力をするんだ」


 ティルゼレアは、ほのかに目を見開いた。

 父親はそんな息子の姿を見ながら、話し続ける。


「他者の言論に惑わされるな。過去や未来に怯えすぎるな。言葉を伝え合って、受け止め合うだけでいいんだよ。それを誰もができるようになれば……きっと世界からは、もう少し悲しみが減るだろう。僕はそう思うよ」


 ああ、確かにそうかもしれない――そう、ティルゼレアは思った。

 それを知らない人間は、簡単にお互いを殺し合ってしまう。それはかつての魔族と雪桜の民の話でもあり、そして今なお続いている他国の話でもあるのだ。


 ティルゼレアは、優しく微笑んだ。


「ありがとう、父さん。俺……頑張ってみるから。だから、その……これからも、見守っていてくれたら、嬉しい」


 顔を伏せたティルゼレアを、父親はそっと抱きしめる。

 夢の中だけれど、温度はあるような気がした。これが幻ではなくて、現実とは離れたどこか遠くの「現実」だったらいいのにと、ティルゼレアは薄れゆく意識の中で考えていた。


 ◇


 ティルゼレアは、少しずつ目を開く。

 顔を上げ時計を見て、短い時間机に突っ伏して眠っていたのだと気付いた。目元の辺りに残る湿り気を指で拭き取る。父親の夢を見たとき、彼はきまって泣いてしまう。


 ――その人が今お前に伝えたいと思っている言葉を、真っ向から受け止める努力をするんだ。


 夢の中で聞いた言葉が、ティルゼレアの脳裏に蘇った。これだけは絶対に忘れないようにしよう――そう思いながら、椅子から立ち上がる。

 扉を開けて部屋の外に出ると、何やら騒がしい声が聞こえた。疑問に思って、ティルゼレアは声のする方へ歩き出す。

 角を曲がると、ジュネ、フィティリナ、ミスフィーズの姿があった。


「どうかしたのか?」


 声を掛けると、三人がばっとティルゼレアの方を向く。

 代表するように、ジュネが言った。


「……実は、部屋にアルマ様の姿がなく」

「そうなのか? 確か早朝に、朝の散歩に行くと言っていたが……」

「レア、それは何時間ほど前のことだ?」

「確か……二時間半前、くらいだと思うが」


 記憶を辿るティルゼレアに、フィティリナが焦ったように言う。


「そうでした……きっとねえさまは、フィクデーズの花畑に行ったのですわ!」


 フィクデーズの花畑――そんな懐かしい場所の響きに、ティルゼレアは目を丸くした。


「どうして急に、そこへ」

「……アルマ様は、ティルゼレア様について知ろうとしていたのですよ」

「俺について? 何故だ?」


 瞬きを繰り返すティルゼレアの身体を、フィティリナがぺちんと叩く。


「もう、にいさまは鈍感すぎますわ! ねえさまはずっと、にいさまと仲良くなろうとしていたんですのよ!」

「…………え」


 ジュネとミスフィーズも、ティルゼレアに向けて頷いた。


「にいさまの思い出の花畑に行くことが、ねえさまにとってきっと重要な意味があったのですわ。でも、あそこは危ないからって、昨晩フィティとジュネは止めましたのに……!」


 嗚咽おえつを漏らし始めたフィティリナを、ティルゼレアはそっと撫でた。


「教えてくれてありがとう、フィティリナ」


 それから彼は、ジュネとミスフィーズを見据える。


「アルマを探そう。俺はフィクデーズの方に行ってくるから、二人は城の付近を頼む」

「大丈夫なのですか? あの辺りには魔獣が」


 心配そうなジュネの言葉に、ティルゼレアはそっと笑った。


「大丈夫だ。……魔法の鍛錬なら、誰にも負けないくらいしているから」

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