第18話 ティルゼレアとジュネ

「それで、ジュネ。話とは何だ?」


 ティルゼレアの問いに、ジュネはそっと目を細めた。


「アルマ様からお聞きしましたが……貴方は、雪桜の民を嫌っているそうですね」


 ティルゼレアのまゆがぴくりと動く。それから彼は腕を組んで、「別に嫌っている訳ではない」と告げた。


「嫌いなのではなく、苦手意識があるんだ。……自分でも、愚かだと思うが」

「ふむ……その理由について、お聞きしてもよろしいですか?」


 ジュネの言葉に、ティルゼレアは目を伏せる。どうやって伝えればいいかを悩んでいるようだった。少しの沈黙の後で、ティルゼレアは口を開く。


「……歴史を、ずっと学んできた。この国の成り立ちを知ることは、王族としての務めだと思うから。そうやって学ぶほどに……魔族と雪桜の民の間にある確執かくしつを、嫌というほど知ってしまう。なあ、ジュネ……君は、『サズラウスの虐殺ぎゃくさつ』を知っているか?」


 その単語に、ジュネは淡く悲しげな表情を浮かべる。


「ええ……知っていますよ」


 歴史の授業で、聞いたことがあった。

 それは、魔族と雪桜の民の二度目の大きな戦争で起きた出来事だ。まだ魔法文明が未熟だった頃の魔族の小さな町――サズラウスが、雪桜の民によって壊滅させられた。老若男女関係なく、尊い命が悪意によって滅ぼされたのだ。


 ティルゼレアは、悲しみと怒りを混ぜ合わせたような顔付きになる。


「人は皆、強い部分と弱い部分がある。だから、簡単に『弱い』という言葉を使いたくはないが……それでも、力のなかった弱い民を殺した人たちを、簡単に受け入れていいのかわからないんだ」


 そう言って、ティルゼレアは悔しそうに歯をみ締めた。

 そんな彼の姿を、ジュネは見据える。


「そうなのですね。けれどそれは、ずっと昔の話ではありませんか……過去にとらわれすぎていると、永遠に前に進めなくなってしまうと思います。それに」


 ジュネはそこで一拍置いて、優しそうな微笑を湛える。


「……アルマ様は、弱い者を助けようとする方です」


 その言葉に、ティルゼレアは淡く目を見開いた。

 彼の真紅の瞳に、微笑んでいるジュネの姿が映り込んでいる。


「どうして、そう言い切れるんだ?」

「昨日、アルマ様と町を訪れたのです……そこで一人の少年が、三人の青年から暴力を受けておりました」 


 その出来事を聞き、ティルゼレアは辛そうに眉をひそめた。


「俺が学校に行っている間に、そんなことが」

「はい……それを発見したアルマ様は、どうしたと思いますか? ……立ち向かったのですよ、暴力を振るう青年たちに。自分の非力さを弁えず、果敢かかんに正義を振りかざす彼女は……少しだけ傲慢ごうまんで、でもとても、」


 微かに震えた声で、ジュネはティルゼレアへと告げる。



「……優しかったのですよ」



 ティルゼレアが浅く息を吸ったのが、ジュネにはわかった。

 そんな彼を見つめながら、ジュネはほのかに笑う。


「ティルゼレア様のお気持ちも、痛いほどわかります……でも僕は、そんな貴方にこそ伝えたいです。アルマ様も貴方も、途方もなく優しい人で……だからこそ、お互いが歩み寄れば、わかり合えると思います」


 ジュネは言い終えると、一礼して部屋を後にする。

 残されたティルゼレアは、部屋に置かれている数多あまたの本を見渡した。それから大きく息をついて、考え事を始めるようにベッドに倒れ込んだ。


 ◇


 夜、アルマの自室にて。

 ジュネとカードゲームに興じていたアルマは、部屋の扉を勢いよく叩かれてびくりと身を震わせた。

 扉が開き、長い髪をお団子結びにしたフィティリナがなだれ込んでくる。


「ねえさまねえさまねえさま! 先程おっしゃっていたフィティに聞きたいこととは、一体何でしょうか! フィティ、わくわくが止まりませんわ!」


 お風呂上がりらしく石鹸せっけんのいい香りがするフィティリナに抱きつかれながら、アルマは「よ、夜なのにすごい元気ですよー!」と驚きの声を漏らした。ジュネは持っていたカードを一旦床に置いて、眠たげに欠伸をする。


「ええと、取り敢えずフィティは、そこのクッションに座ってくれますか?」

「いいですわよ」


 フィティリナが言われた通りにクッションへと腰を落とし、アルマ、ジュネ、フィティリナは円形に向かい合った。

 アルマが、口を開く。


「その……ティルゼレアさんの部屋に家族写真が飾られていること、フィティは知っていますか?」

「にいさまの部屋……ああ、あれですわね! フィクデーズの花畑の!」

「フィクデーズ……?」


 聞き返したアルマに、フィティリナはお団子の髪を揺らしながら頷く。


「そういう地名ですわ。こちらの地方に『バルシエンユ』というすごく綺麗な白い花があるのですが、とても希少で、フィクデーズの花畑でしか見ることができませんの。だからあの辺りは昔は有名な観光スポットで、かつてフィティたちも訪れたのですわ。まあフィティは赤ちゃんだったので、全く覚えていませんが」


 すらすらと説明するフィティリナに、アルマは相槌あいづちを打つ。


「なるほどです! あれっ、『昔は』ということは、今はもう人気じゃなくなっちゃったんですか?」


 アルマは首を傾げながら問う。

 フィティリナは物憂げな表情を浮かべて、言った。


「あの辺りには、魔獣まじゅうが住み着くようになってしまったのですわ」

「魔獣?」


 耳馴染みみなじみのない言葉を、アルマは繰り返す。

 フィティリナは人差し指を立てながら、すらすらと説明を始めた。


「簡単に言えば、魔法を扱う獣の総称ですわ。元来魔法は魔族の人間しか使えないはずでしたが、空気中に蓄積された魔力を長きにわたって浴びたレモナゼルの獣は、進化の過程で独自の魔法形態を築いてしまいましたの。そのため、普通の獣よりも危険度がずっと高いのですわ」

「へえええ。そんなやばそうなのがいるんですね、レモナゼル地方……!」


 怖さを振り払うように自身の腕をさするアルマに、フィティリナは笑いかけた。


「でも、魔獣の生息地帯は限られているので、その辺りに不用意に近付かなければ大丈夫ですわ。ご安心くださいまし、ねえさま!」


 フィティリナの笑顔を見て、アルマはどこかきまりが悪そうに視線を逸らす。


「ちなみに……フィクデーズの花畑は、どの辺りにあるんですか?」

「場所ですの? えーと、レモナゼル城のほぼ真北ですわ」

「ほうほう。歩くとどのくらい掛かりますか?」

「うーん、そうですわね……三時間ほどは掛かるのではないでしょうか? 歩いたことがないので憶測ですけれど」

「なるほど、ありがとうございます!」


 ぺこりと頭を下げたアルマに、今まで黙っていたジュネがじとっとした視線を向ける。


「アルマ様……まさかとは思いますが、行こうとはしていませんよね?」


 その問いに、アルマはとても微妙な笑顔を浮かべる。


「そ、そそそそんな訳ないじゃないですかー! あっ見てくださいジュネくん、こんなところにカードゲームの痕跡こんせきが残っていますよー!」

「あの、幾ら何でも話の逸らし方が雑すぎるでしょう」

「あんなところには、夜空が広がっていますよー!」

「そりゃあ夜ですからね……」


 二人のやり取りに、フィティリナがアルマへと抱きついた。


「ひゃあっ! 何ですか何ですか!?」

「ねえさま……だめですわよ!? 魔獣はとっても危ないんですの! 非力なねえさまでは太刀打ちできませんわ!」


 うるうるとした目で告げるフィティリナを、アルマは優しく撫でる。


「だいじょぶです……何とわたし、足がかなり速いんですよー!」

「心配すぎますわあああああああ!」


 叫んだフィティリナと、「確かに速いですよね、アルマ様……」と半眼で呟くジュネを交互に見ながら、アルマはまた微妙な笑顔を浮かべた。

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