竜也編⑤ 背負う
「大丈夫か、竜也?」
「うん。」
とは言ったものの、竜也の脳内ではずっと先ほどの光景が映し出され、自身を
それが自分の思い違いだったなんて、五年間ずっと悩んできたなんて、そんな事実を受け入れるしかない竜也は、自分自身がどうしようもないやつだと嘆息を漏らした。
「まあ、誤解が解けてよかったじゃん。」
冷月は肩を叩いて声をかけるが、竜也は素直に喜べなかった。冷月は何も悪くないのに、「何も知らないくせに。」と、心の中でつぶやいた。
自分に対して募らせた、やり場のない怒りや失望が残り、また、ため息を吐いた。
「次行こうぜ。」
こんなところで悩んでいても仕方ないと割り切る竜也は大きく深呼吸をした。そのままサッカーコートを後にすると、もう一度赤い扉を開けた。
開けた先にはずっと進んできた石畳みの地下迷宮が広がっている。
青い芝の匂いからまたホコリとカビの混ざった空気に変わり、竜也は思わず肘で口元を覆って咳き込んだ。
「あれ、扉は?」
桃子が驚いた声を出した。右腕を下ろすと竜也も顔を上げた。
目の前にあったはずの赤い扉はすっかりなくなり、奥にはまた同じような石畳の道が続いていた。その真ん中にはじっと動かない無機物が佇んでいる。
「なるほど。試練をクリアするごとに記憶が見られるってことか。」
クリア条件わかりにくいな、と文句を言いながら歩く冷月について行った。
不意に足を止めた冷月が声をかけた。
「桃子、竜也。先に行っといてくれないか。」
「どうしたの?」
道には右から紺色のスクールバッグ、薪の詰まった
「なにこれ。」
「あ。」
竜也は一番右に置かれていたスクールバッグに目を止めた。紺色の布地に、グレーの肩紐が付いたシンプルなバッグは、竜也が通う高校のものだった。
近寄って見ると、「竜也様」と書かれたプレートが置かれていた。目印につけていたお気に入りのストラップや、砂埃で汚れた表面に、駅の階段の手すりに引っ掛けてできた傷が残っていた。
竜也は自分のものだと理解すると、おもむろにカバンを拾い上げた。
なんでこんなところに私物があるのか疑問に思っていると、後ろから桃子の声がした。
「何か、書いてあるわよ。」
竜也はカバンを抱えたまま、桃子の方へ近づいた。彼女の視線の先には、文字が刻まれた鉄の板が壁に貼り付けられていた。美術館にあるような小綺麗な展示プレートには、「背負う」と書かれている。
「『ここは、自分の罪を背負う場所。己の罪を背負い、出口へ向かえ。さすれば道は開かれん。』……罪を背負うって。」
並べられた荷物は巨岩を除いて、背負えるように肩紐が付いている。プレートを読まなかった竜也は、すでに手にしていたカバンを、背中に背負うように抱え直した。
「これが罪? 名前が書いてあるけど……これ、背負うだけでいいの?」
桃子は重そうな薪がいっぱいに詰め込まれた背負子を軽々と持ち上げる。竜也は思わず目を見開いて、桃子の怪力ぶりに驚いた。
「ああ、多分な。さっきの場所もこういうのが書かれてたんだろうな。見落としてただけで。物理的に仕事に追われる、とかかな。」
「で、あんた何やったのよ。さっきからペラペラと説明してるけど、これ、背負えんの?」
桃子は一人何も背負っていない背中を見つめた。
「私がこっち持ってもいいけど。あんたより力あるだろうし。」
桃子が冷月の前に置かれた岩に触れると、バチリと静電気が発生するような音が聞こえた。反射で手を引っ込めた桃子は全てを察すると、立ち尽くす冷月の顔を覗き込んだ。
「まあ、これは俺の問題だからなんとかするって。」
荷物を背負う二人を安心させるように冷月はにこりと微笑んだ。竜也は岩と冷月を交互に見比べて、
「いや、でもこれはさすがに、」
「行くわよ。」
「え、冷月さんは。」
「平気よ。ここで私ら突っ立ってたって仕方ないし。」
すぐ追いつくんでしょ、寸歩進んだところで桃子は冷月を見やった。
「ああ、任せとけって。」
太陽のような笑顔に期待して、竜也と桃子は奥へと進んでいった。
* * *
「ふぅ。」
冷月は二人が見えなくなるのを確認すると、目の前の巨岩に右手を当てた。岩はひんやりと冷たく、黒曜石のように尖っていた。
「そりゃ、人殺せばこのくらいにもなるか。」
そのままなぞると指先に鋭い感覚が走り、冷月は思わず手を離した。人差し指の腹から赤い鮮血が流れると、思わず口に含んだ。不快感に顔を歪め、口内に広がる鉄の味を感じながら攻略方法を探す。
——罪を背負う場所、ね。
目の前の巨岩はどう考えても常人が背負える大きさや重さではなかった。荒く削られた表面も、触れるだけで怪我してしまうほど鋭利で、とても運べる代物ではなかった。
——罪は自分で背負うもの。罪は肩代わりできない。背負えるようにするには、どうすべきか。重さ、大きさ、これらを軽く、小さくすればいいのか。その方法はなんだ。
冷月は口から指を離すと、岩の周りをぐるぐると周回した。背負えるような紐は見当たらず、運ぶヒントのようなものもどこにも書いていなかった。
「わかんねぇ。」
今まで犯してきた罪が多すぎる。竜也はもちろん、桃子にも自分が前世で何をしてきたかは話したことがなかった。
冷月は大きなため息を吐くと、岩の前で土下座をするように地面に手をついた。項垂れて地面についた両手に力を込め、握り拳を作った。
「人殺しなんて、そりゃ許されるはず、」
——許す?
顔を上げて岩を見つめる。今のところ特に変わった様子はなかったが、冷月は一つの可能性にかけた。
もう一度両手を床につけて、さらに額も地面につけて目を閉じた。擦れた額がじわりと熱くなる痛みに構うことなく、冷月は口を開いた。
「五郎、犬彦、与次郎、太助、菊、鶴、千代丸、ヤス、吉兵衛、嘉助、サエ、太郎、」
ぽつりぽつりと、迷うことなく一定の間隔で名前を呼ぶ。
「——花子、治一郎、美江、貴敏、幸弘、夏菜子、紘子、敦、遥、楓、夢美、博彦、早苗、美由紀、鷹斗、瑠璃、悠介、絵梨。これで、全員だ。」
地面から離した額が心臓の鼓動に合わせてズキズキと痛んだ。
「忘れもしない。俺が殺した人間は、これで全員だ。俺は、転生するたびに、人を殺してきた。」
いかなる理由でも許されない。それは冷月が一番自覚していた。しかし、罪を滅し身を清め、自身の心を救う方法もある。
「もう、二度と人は殺さない。俺は、人を救けるために、この手を差し伸べるから、だから。」
殺めた人間の顔が冷月の脳裏にチラついた。目に溜めた熱い雫が頬を伝う。拭うことなく石を見つめると、
「お願いします……こんな俺に機会をください。」
膝をついたまま、声が裏返ることも気にせず冷月は懺悔した。
すると、眼前の岩がみるみるうちに小さくなっていった。表面も段々と丸みを帯びる。そんな岩を見つめながら冷月は立ち上がった。
いつのまにか冷月より小さくなった岩に触れると、少し前まで指を切ってしまうほど尖っていた表面はつぶらかになっている。
冷月は膝下くらいの高さになった岩をおんぶするように背中に担ぐと、桃子や竜也の後を追った。
「ちょっと待って、それにしてもまだ重くないか。」
血を流して懺悔しても、担いで歩けるほど軽い岩ではなかった。
——いやまあ、その程度で許される罪なわけないよな。
自嘲するように息を吐くと、額から流れた血の混じった汗が、メガネのレンズに落ちた。
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