純連編⑦ 人間嫌いの鬼

 * * *

 

 「あれ、こっち遠回りじゃないの?」

 

「いいよいいよ、少しでも純蓮と長くいたいからね。」

 茹だるような暑さの夏。空は青く、高く、立体的な入道雲が浮いている。葉の匂いとミーンミンミンミンと鳴く音が住宅街の交差点を満たす。

 

「青だ、わたろ?」

 

「うん。」

 

 なびいた髪はツヤがあって柔らかい茶色だ。振り返ってにこりと笑う笑顔は、私のくすんだ世界で一番輝いていた。同じ制服を着ているはずなのに、彼女が身にまとうとおしゃれなドレスに見えた。

 一枚の絵画のような美しさに見惚れていた。そんな世界に似つかない金属音がひしゃげる音が耳をつんざく。キーンと耳鳴りがした。何が起こったかわからなかったが目の前からあやめが消えていた。耳鳴りの中にざわざわと人の声が混じる。声の方を見ると前方が潰れた白いボックス車があった。なんとなく近づくのが怖くって目線を前に戻すと、上の方で思い出したようにチカチカした緑は、やがて赤に変わった。

 

 二〇十九年八月十二日。あやめは十三歳の若さでこの世を去った。


 ——ひとりぼっちだった私に声をかけてくれた。手を引いてくれた。裏山の小川で水をかけて遊んだ。本当はいけないのに、学校の帰りに寄り道して、コロッケを買って帰った。「顔が見えた方が可愛い。」と言って私の前髪を、あやめのお気に入りのヘアクリップで留めてくれた。クリップを返そうとすると二つあるから一つあげる、と笑って手を振った。

 

「また明日。」

 

 そんな約束を誰かとするなんて初めてだった。嬉しかった。この世界でたった一人の親友だった。彼女がいないなら生きていけないと思った。

 

「あやめのいない学校なんて楽しくない。」

 

 夏休みが明けると、嫌な噂を囁かれた。

 

「自分が目立ちたかった。」

「同じ人を好きになった。」

「嫉妬して殺した。」

 

 あいつのせいだと後ろ指を刺される日々。持ち物は無くなるし、見つかったと思ったらボロボロになっている。元々コミュニケーション能力が高いわけでもなかったから、親や先生に相談もできなかった。友達なんて無論いない。それに、本当に私のせいだと思った。私が友達になったから、だから死んでしまった。


 * * *


 泣きながら走った、どこに行くでもない。逃げても苦しさは消えない。全部わかっている。それでも冷月の前にはいたくなくて、純蓮は居場所を求めるように走った。

 涙で視界がぼやけてたせいもあって、通行人に盛大にぶつかってしまった。純蓮は目を腫らしながらすみませんと謝った。顔は上げられなかった。


「辛いことでもあった?」


 優しい男性の声だった。冷月とはまたちょっと違う。


「大丈夫かい?」


 涙で顔がぐちゃぐちゃなのだから、そんな心配をされても仕方なかった。それでも、今は誰とも話したくなくて、「すみません。」とまた謝った。もう話しかけないでください、の意味を込めたが、相手に伝わったかどうかはわからなかった。

 頭を下げたまま通行人の横を通り過ぎようとすると、


「青か。いいね。」


 すれ違いざまにそう囁かれた。

 視界はぼやけたまま後ろを振り返ったが、純蓮がぶつかった人は人混みに紛れて探せなかった。


 ひとしきり泣いて心が落ち着いた純蓮は行くあてもなくぶらぶらと川沿いを歩いた。

 三途の川なのだろうか、なんて考えながら、少し日が落ち出して柔らかなオレンジに染まる雑草を踏んだ。


「あ。」


 日向ぼっこをするように、白い制服を着た少女が体育座りをしている。後ろ姿だけ見たら温かくて気持ちよさそうだが、逆光に照らされた横顔には元気がないように思えた。


「なに?」


 だいぶ遠くにいたのに目が合った。バレずに踵を返そうと思ったのに、そう上手くはいかなかった。


「いや、えっとあの。」


 純蓮は反射的に半歩後ずさったが、待ちなさいよ、と声をかけられて、渋々桃子に近づいた。


「あのアホ……冷月は一緒じゃないの?」


「あ、はい。」


「そう。」


「……。」「……。」「……。」「……。」「……座れば?」「はいっ。」


 沈黙を破ったのは桃子だった。西日も眩しく、座っている桃子をじっと見下ろしているのも、なんだか申し訳なかった純蓮は少しだけ安堵した。

 言われるがままに桃子の隣に座ると、「怒ってないの?」と声をかけられた。


「おこ、え、なんで。」


「私、結構強く言ったから。」


 「あ、いや、むしろ私が、悪いので……。」と言いかけたところで、純蓮はハッと口を塞いだ。また同じことで怒らせてしまう。


 ——それにしたって、私が怒るなんて筋違いだ。逆に桃子さんはどう思っているんだろう。


 そんなふうに考えて、冷月に言われたことを思い出した。

 自分に自信を持つとか、気にしないでいいとか、簡単に言うが、実践しようとしてもすぐにはできなかった。

 しかし、ここでまた自分を下げるようなことを言えば、また怒られてしまう。もう一日にこれ以上怖い顔をされるのは耐えられそうになかった。


「気にしてません。」


 キッパリと言った。純蓮は口を横に結んで、少し胸を張ってみせた。


「本当は?」「嘘ですめちゃくちゃ気にしてました。」純蓮は一息で返した。


 あまりの潔さに桃子はフッと表情が柔らかくなった。


「桃子さん、は、怒ってないん、ですか?」


 勇気を持って聞いてみた。冷月が言ってた「相手はそこまで気にしていない。」と言う趣旨の言葉を信じてみた。


「もう怒ってないわよ。」


 それを聞いて安心した純蓮を横目に、桃子は続けた。


「なんか、イライラしちゃった。昔の私見てるみたいで。」


「え?」


冷月あいつが持ってたでしょ。浄玻璃の手鏡。あんたの今までの行動全部筒抜けよ。」


「うう。」


 居た堪れなくなって、純蓮は眉尻を下げた。でも同時に疑問も生まれた。

 芯があるように見える桃子と純蓮は正反対だと思った。「昔の私」と言う言葉が純蓮の中で引っかかった。

 深呼吸をする桃子は、ピンクに染まる空を見て、過去を懐かしむような表情をした。

 「ちょっと長くなるけど、」と前置きした桃子はおもむろに語り出した。


「もう随分と昔の話。鬼ってね、昔は人間と同じ此岸に住んでいたのよ。共存はしていなかったけど、それぞれが棲家をわけていたの。」


 純蓮は黙って桃子の話を聞いていた。


「桃太郎伝説って知ってるでしょ。元々、お互いが干渉しないように暮らしてきたのに、鬼側が人間の生活圏に土足で踏み込んだせいで、私たちは此岸では暮らせなくなったの。」


「そう、なんですか?」


「ええ、鬼の中でも悪名高くて強い連中が一人残らず退治されたから、その後の鬼ヶ島に残りの宝を奪おうとする人間に太刀打ちできなかったのよ。」


「でも、鬼って強いイメージがあるんですけど。」


「島に残されたのが女子供ばかりだとどうもね。力のある鬼はみんな桃太郎に滅ぼされちゃったから。」


 純蓮の知っている桃太郎とは英雄そのものであったが、鬼側の視点だとそうなのかと、少し寂しくなった。


「当時、幼い私があんたみたいにメソメソ泣いたって、誰も助けてくれなかったから、自分が変わるしかなかった。強くなるしかなかった。名前のせいもあって、鬼の中でも白い目で見られてたから。」


 桃のような柔らかいピンク色の髪の毛を、その名前と相まって羨ましいと思っていた純蓮にとって衝撃だった。


「なんとか生き残った鬼は彼岸にきた。もともと獄卒として働いていた鬼は私たちを受け入れてくれたからよかったんだけどね。それから、自分たちが迫害された恨みを晴らすように、人間に罰を与え続けている。今も。」


 でも、と空を仰いだまま続けた。

 純蓮は名前と同じ髪色で素敵ですよ、と伝えるタイミングを逃してしまった。


「みんながみんな悪い人間じゃないのに。当時襲ってきた人はもうとっくに転生しているのにね。」


 含みのある言い方だった。そんなことを人間に話している時点で、人間嫌いだとは口ばかりなんじゃないかと思った。


「人間のこと、好きなんですか?」


「……嫌いって言ったでしょ。初めて会ったときに。」


 それでも、純蓮にとってそうは思えなかった。純蓮のいない右側をプイッと向くと、顔が見えなくなった。しかし、表情はわからなかったが、尖った耳の先がほんの少し赤いのは隠しきれていなかった。


「嫌いだけど、別に救いたくないとは思ってない。」


 回りくどい言い方だった。そっぽを向いたまま桃子は独り言のように呟いた。彼女のことを何も知らないのに怖い鬼だと決めつけて、苦手なタイプだと忌避していた。


「全部自分次第よ。冷月あいつも言ってたと思うけど。」


 きっと今の力をつけるまで壮大な努力をしたのだろう。自分が置かれた環境に抗った結果、今の桃子がいるのだ。


「自分次第……。」


 今まで背けて、諦めて、逃げてきた。このチャンスを逃せば、一生向き合えないような気もした。

 純蓮はゆっくりと立ち上がった。


「ちゃんと、話、してきます。冷月さんと。」


 今のままだと、真剣に向き合ってくれている冷月に、申し訳が立たない。

 純蓮は「すみませんでした。」と頭を下げると、来た道を引き返した。



 


「——別に謝んなくていいのに。」


 純蓮が去ったあと、一人河原に座り込んでいた桃子がポツリと呟いた。

 幼い頃の何もできなかった自分と重なり、つい冷月の前で不満を爆発させてしまった桃子は、どうしてもいたたまれなくて、ここまで一人で逃げてきた。


「私の方がよっぽど。」


 桃子は大きなため息を吐いた。膝の間に顔を埋めても、暗い気分は晴れなかった。


「まあ、あいつがいるならなんとかなるでしょ。」

 

 しばらくして桃子は立ち上がると、ひと足先に、純蓮が去って行った方の反対側、厚生課の事務所へ歩みを進めた。

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