竜也編④ 門番と悪魔

「わかりやすいね。」


 否定しないところを見ると、事実なのだろうと、ヴィセはニヤついた。アウラはというと、悪魔の二の腕を掴んだままプルプルと震えている。掴む手にいくら力を込めても、ヴィセは動じなかった。


「あれかい? ずっと一人ぼっちだったから急に現れた爽やかイケメンくんに心奪われちゃった? ずっと棚の隅の方に置いてあった黒電話が、なぜか最近テーブルの上に置いてあるのもそれが理由だろう。早く次の依頼来ないかなってずっと待って——」


「ヴィセくんだって! 冷月くんのこと好きなくせに!」


 扉がたくさんある空間にアウラの声が反響する。それは表情豊かな甲高い声色だった。

 肩を掴んでいた手を離し、ギュッと握るとヴィセの胸元に叩きつけたが、悪魔は鎌を下ろし、相変わらず落ち着き払った様子で答えた。


「違うね。僕はあくまで彼の魂が美しいと言っているだけで、顔性格その他諸々に関してはなんとも思っていないよ。むしろ嫌いまである。」


 無感情のまま、一息で話す様子は事実を述べているようで冷めた顔をしていた。あんなやつのどこがいいんだか、と手を広げると、

 

「だったらなんでちょっかい出すんですか。」


 ピクリと眉毛が動いた。よく子供が好きな子に意地悪するという話を聞く。ただそれは人間の話だ。誰かを好きになって子孫を残す人間に与えられた感情であり、悪魔にそんな心はない。ヴィセは冷月の魂に心酔しているだけであり、人柄に関しての興味はなかった。ただそれならさっさと魂を刈り取ってしまえばいいものの、その手段に出ないのは、もう少し狩りを楽しみたいというなんとも悪魔らしい享楽だった。

 

「頑張っている人間の邪魔をするのは楽しいじゃないか。」

 

「うわ、悪魔! サイテーです。」


 アウラから一歩距離を取ったヴィセは余裕そうに微笑んだ。そんなヴィセを軽蔑するような鋭い目が睨むが、子供のように見上げる顔にはあどけなさが残り、悪魔にとっては痛くも痒くもなかった。


「実際悪魔だからね。なんと言ってくれても構わないよ。」

 

「そんなんだから冷月くんに勝てないんですよ。」


「ぐっ……。」

 

体に鉛玉を打ち込まれたかのような一撃を喰らったヴィセは胸を押さえるフリをした。


「……別に負けてないよ僕。」


「負けたとは言ってないです。勝てないって言ったんですよ。」


 前回、冷月の邪魔をしに行ったときも、完全に優勢を保っていたはずだった。実際負った傷も冷月の方が多かった。それなのに、純蓮は冷月の言葉を信じた。熱い友情の尊さを眼前にすることができたのは良かったが、納得のいっていないヴィセは、不服そうにアウラから目を逸らした。


「結局顔か。」


 そこまで興味はないと口にしているが、冷月が整った顔をしているのは不本意ながら認めざるを得なかった。柔らかい茶髪も、男性らしい上がり眉も、均等な二重幅も、通った鼻筋も、常に上がった口角も、女性にとっては魅力的に見えるのだろう。一つ一つ分析すると冷月がイケメンと称される理由もわからなくはなかった。

 別にヴィセは自分のことを醜いと思ったことはないが、あまりにも比較されたり、冷月が褒められたりするのを目の当たりにすると疎ましさが残った。


「あ、でも、冷月くん今日知らない美人な女の子連れてました。彼女さんなんでしょうか……。そりゃあんだけかっこよかったらモテますよね……。」


「アウラ、僕は君の恋愛相談に乗りにきたわけじゃないんだ。いいからさっさと扉の鍵を——」


 キイイ……。


 金属の擦れる耳障りな音がヴィセの声を遮った。

 

「……え、うそ。」


 提案するヴィセの声はまるで届いていなかった。アウラの目はすっかり恐怖に染まっている。その焦点はヴィセには合っておらず、その後ろを凝視したまま固まっていた。

 振り返ると、開いた鉄製の扉から漆黒に染まる獅子のような妖異が半身を出し、二人を捉えて唸っている。


「どう、して。鍵はここにあるのに。」


 怯えるアウラに対し、ヴィセは二回瞬きをすると、


「じゃあ、日を改めてまた来るね。」


 にこりと微笑むと鎌を拾い上げ、何事もなかったかのように踵を返した。そんなヴィセを強引に引き止めるように細腕が腰に絡み付いた。


「ちょっと待ってください、この状況で見捨てるんですか!」


「冷月もしばらく帰ってこないし、ここの門番は君だろう、あれを祓うのも君の仕事だ。」


「確かに、見捨てて私が死ねば楽に鍵も取れるだろうし、ヴィセくんが困ることなんて何もないでしょうけど、扉を壊されたら、もう冷月くんには会えないんですよ。」


 アウラの細腕を振り払おうと掴んだ手の力が不意に緩んだ。ゆっくりと少女の方に振り返ると、


「そんなことはしないけど。僕ってそんな人でなしに見える?」


「悪魔なので。」


 金色の猫のような目に取り憑かれそうになる。


「扉は、内側からいくら傷つけようが出口が無数にあるのでそこそこ簡単に出てこられます。しかし、外側から破壊されると、二度と開くことができません。私も助けに行けませんし。もし破壊されれば、魔宮内を一生彷徨うことになります。」


 その真剣な眼差しを茶化すことなく受け止める。不測の事態に悪魔を頼る姿には熱がこもっていた。


「君、僕に頼るほど弱くないだろう。」


「お願いします。」


 冷月の魂に一生触れないのは困る。やれやれと頭を掻いたヴィセは愛武器を構えると、獣に対して戦闘体制をとった。


 * * *


「もう、追ってこないみたいだな。」


 肩で息をする三人は、赤い扉の前で地面に手をついて座り込んでいる。


「なんだったのよあれ。」


 来た道を振り返る桃子は、恨めしそうに深淵を睨みつけた。


「多分、僕の思い出です。サッカーとか勉強とか。」


 全部兄に劣っているもの。とは言葉にできなかった。竜也は俯いて「すみません。」と、二人に謝った。


「なんで謝るんだよ、竜也のおかげで助かったんだし、な? 桃子。」


 話を振られた鬼は、照れ隠しするように口を尖らせた。


「べっつに、わたし一人でもなんとかなったし。」

 

「素直じゃないなぁ。流石に礼くらい言えよ。」


「そもそも僕が、こんなところに来ちゃったのが悪いんで、」


「だぁぁぁあ、そういうのはいいから! 仕事だから普通に。竜也が謝ることじゃないし。変わりたい気持ちがありゃ十分だよ。弱気になんな、男だろ。」


 桃子に向けられた非難を自分に向けるように竜也は口を挟んだが、思ったよりも叱咤され気圧された。


「さてと、そろそろ行くぞ。早くクリアしないと、一日じゃ出られなくなっちまう。」


 冷月が赤い扉を開くと、


「頑張れー!」

「いけいけー!」

「そこ空いてる!」


 賑やかなサッカースタジアムが目の前に広がっていた。小規模で、観客も選手の身内しか来ていないような小さな会場だったが、そこそこ盛り上がっているのを見るに、大事な試合なのだろうと冷月は推測した。

 選手は元気旺盛な小学生ばかりで、皆ボールに向かって一心不乱に駆けている。


「U-12だ、小学生の大会。」


「わかんのか?」


 冷月は竜也の背中に向かって声をかけた。


「うん、多分。昔出たことあるから。」


 目を離さないまま竜也はコートのど真ん中をまっすぐ歩いていく。

 青っぽい芝の匂いがコートを満たす。それを肺いっぱいに取り込むと懐かしい記憶が蘇った。


「あれ?」


 歩みを進めていると、知っている人物が目に入った。紺色のウィンドブレーカーを身につけ、バインダー片手に神妙な顔つきでコートを眺める男性。


「コーチ、まだ続けてるんだ。」


 サッカーにあまり良い思い出はなく、コーチからも兄と比較され続けてきた。あまり目につかないように足早に歩いた。


「竜也!」


 自分の名前を呼ぶ声が耳に届く。声のする方を向くとサッカーボールが眼前に迫ってきていた。


「うわっ!」


「いてっ。」


 ボールは竜也に当たることなくすり抜けていった。そのままカンッと金属に弾かれる音を耳にすると、キーパーがボールを両手でキャッチしていた。咄嗟にしゃがみ込むと後ろから声がした。そこには尻餅をついて顔を歪める小さな少年の姿があった。

 爽やかな青色のユニフォームを身につけた少年は目の端に雫を溜め、今にも溢れてしまいそうだった。


「何やってんだよ竜也!」


「ご、ごめん。」


 少年より背の高いチームメイトが声をかけるやりとりを見て、竜也の胸がキュッと締め付けられた。

 竜也と呼ばれた少年は、体が小さく、小学生の頃の自分とそっくりだった。


「え、僕……?」


 尻についた草を払いながら小さな少年は立ち上がり、一目散にチームメイトの方へ駆けて行った。


「大丈夫か?」


 後ろからやってきた冷月が声をかけて手を差し伸べた。

 

「あ、うん。」


 手を引かれるままに立ち上がると、ボールに群がる小学生を横目に桃子が尋ねた。


「これが門番の言っていた記憶の追体験?」


「ああ、そうだろうな。竜也の忘れた記憶ってのはこの試合なのか?」


「違う。この日のことなんて忘れもしない。僕のせいで大敗したんだ。」


 ピィーッと試合終了を告げるホイッスルが会場に鳴り響く。コートの真ん中で整列すると、選手たちはお互いに礼をした。中には顔を挙げられず涙を溢している人物もいた。

 三人はチームメイトたちに近づくと、肩を落とす幼い竜也を見守った。


「下手くそ。」


 すれ違ったチームメイトがぽつりと呟いた。

 竜也にとって、今まで呪いのように残るトラウマに胸騒ぎがした。


「あ。」


 この日を境に、竜也はサッカーに後ろ向きになった。そのくせに未だにボールを持って、高校生になった今でもサッカー部に所属し、退部届けを出せずにいた。小学生で既に心が折れていたはずなのに、コートに入ることすら苦しいのに、やめる選択肢を取らなかった。


 嫌な過去を思い出して竜也の心が曇った。相手チームの歓声に包まれる中、ふとあのチームメイトを目で追った。竜也にトラウマを与えた少年が、輪から離れてしゃがんでいた。当時は大きく見えた背中も、今では雨に濡れた犬のように悲しく映った。


「くそっ、俺がちゃんとパス出せていれば、竜也が受け取りやすいボールだったら、決められたかもしんないのに。」


「自分責めんなよ、俺たち頑張ったって。」


 当時の竜也より一回り大きいチームメイトが悔しそうに拳を握りしめた。そんな彼をなだめるようにもう一人が背中をさすった。

 竜也がそんな彼らの姿を見るのは初めてだった。

 殻に籠った負の思い出にヒビが入ったような気がした。

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