竜也編③ 追われる
中は松明の炎で照らされているが、全体的に薄暗く、足元が見えにくかった。
「おー、いかにもって感じだな。」
扉を覗いた冷月が竜也の後ろから呟いた。これがみんなが言うダンジョンというものなのだろうか。竜也は固唾を飲んで石畳の上に一歩踏み出した。外の空気とはまた違い、乾いた風が吹き過ぎた。慎重に二、三歩歩みを進めると、竜也は後ろを振り返った。
「え。」
そこには先ほど押し開けた扉が跡形もなく消え去っていた。いよいよ、前に進むしかないと覚悟を決めた竜也は、先陣を切って進もうと——
「うおおおすげぇぇぇええええ。よくできてんなあ。」
竜也を追い越して行ったメガネが壁をぺたぺた触りながら興奮している。ヤモリのように壁にピッタリとくっついている様子を見て、思ったより愉快な人なんだと感じた。
自分よりテンションの高い冷月に圧倒され、何事もなかったかのように桃子の隣を歩くことにした。
「あのヤモリ置いて先進みましょ。」
「そうですね。」
なんだか少し冷めてしまった竜也は桃子と同じような呆れた顔をして、冷月の横を通り過ぎた。
「あ、ちょっと待てよ! まじもんのダンジョンだぜ⁇ お前ら興奮しないのかよ。」
壁の汚れを服につけた冷月が驚いた表情のまま、二人に追いついた。
「逆にあんたがそこまで興味を示しているのがわかんないんだけど。」
明らかにテンションの違う桃子は、本当にわからないといった様子で冷月に話しかける。いくら魔宮の完成度が高かろうが、他を知らなければ比べようもなかった。そもそもアニメやゲームに触れたことのない桃子には比較の対象すら曖昧だった。
「え、だって雰囲気かっこいいじゃん。画面越しに見るんじゃなくて実際に体験してるこの空間がもう素敵なんですよ。イマーシブ体験ってやつ?」
「え、何? カカオニブ?」
一文字しか合っていない聞き間違えに竜也は思わず吹き出した。それをきっかけに二人が会話をやめたので、竜也は気まずそうに「すみません、」と謝った。
「いや、やっと笑ったなって。」
冷月は慈愛に満ちた笑顔を向けた。親が子の成長を喜ぶような声色に、思わずそっぽを向いた。耳まで真っ赤に染まっていたことは、冷月と桃子の目にバッチリと映っていた。
少し打ち解けたところで桃子がふと、辺りを見回した。
「そういえば、まだ何も出ないけど。魔獣がどうとか言ってなかった?」
「んーこういう場所の妖異ってのは、そうわんさかいるもんでもないしな。」
「あのう、妖異って……?」
「人の負の感情から生まれる敵。問答無用で襲ってくる厄介なやつだよ。まあでも、俺たちがいるから大丈夫だ。」
「そう、ですか。」
バラバラと三人の足音が耳に入る。それ以降特に会話もなく歩き続けた。
初めのうちは感心したものの、こうも同じ景色が続くと飽きてくる。竜也は天井から床までの
「……なあ、なんか足音多くないか。」
「え?」
沈黙を破った冷月が発した一言で、二人は足を止めた。耳を澄ませてみると、足音というにはもっと、遠くで雨が降っているような微かな雑音が後ろから聞こえた。
「なんか、だんだん近づいてきてない?」
桃子が言うようにその雑音は段々と三人に近づいているように感じた。暗がりから見えてきたのは、地面を駆ける球状の塊と、鳥のように羽ばたく白い浮遊物だった。
「え、あれって。」
もう少し近づくと今度はぼやけた輪郭がはっきりと見えた。白と黒のそれぞれ六角形と五角形が規則的に貼り付けられたそれは、竜也が嫌というほど見てきた思い出そのものだった。
やがて足元に転がってきたボールを拾い上げると、頬を殴られたような衝撃に竜也は思わず尻餅をついた。
「へ?」
「ああ、こういうのも妖異なんだな!」
冷月は「月華!」と叫ぶと地面を強く踏み込んだ。その衝撃により影から生えてくるように伸びた刀を手に取ると、サッカーボールを真上から突き刺した。
放心状態の竜也はただ黙ってその様子を眺めることしかできなかった。誰に蹴られたわけでもないのに、ボールが一人でに竜也の頬に直撃した。その状況すら理解できずにいるのに、顔を上げるとボールや、羽ばたくノートや教科書、風に乗って飛んできた答案用紙が竜也たちを囲むように集まっていた。
「あれ? 思ったよりいっぱい……。」
読みが外れた冷月は思わず口を尖らせた。規格外の多さに目が笑っていた。
「……あんたわんさかいるもんじゃないって言ったわよね?」
桃子から顔を逸らすように冷月は下を向いた。
「すんません。いい加減なこと言いました。」
「責任とりますんでぇ!」と刀を振り回す冷月は、一振りで確実にボールやノートを両断していく。それを見ていた桃子も、「しょうがないわね。」とため息を吐くと、影から大きな金棒を取り出した。
竜也は己の無力さに絶望した。何もできない自分に焦る気持ちと、申し訳なさが混ざった感情が、ぐるぐると脳内を掻き乱した。
「それにしても多すぎんだろ、しかも何故にサッカーボール?」
切っても切っても湧いて出てくる小さな妖異に冷月はだんだん気圧される。汗をかいた額を拭った隙に、彼の横腹にボールが飛び込んだ。
「ぐへっ、ちょっとまじでキリないな。」
「どうなってんのよ!」
一方桃子は、羽ばたくノートを金棒で振り払いながら愚痴をこぼした。野球の素振りのように構えた彼女が一振りするごとに、ノートはボロボロと崩れて消えていった。松明の炎が揺れるほどの威力でその後も素振りを続ける。
「埒があかねぇ、こんなところで止まってる暇ないのにっ。」
冷月は区切りをつけると、一気に魔宮の奥へ駆け出した。それに遅れを取らないように、竜也も慌てて走り出す。桃子はというと、
「無理、手応えもないし、こんな雑魚に時間かけてるのがもったいないわ!」
逃げる二人に気づかず素振りを続けている。
「だぁぁぁぁ! 桃子さん行きますよ!」
冷月の声も聞こえていないようで桃子は二人に目もくれなかった。
竜也はなんとか気づかせようと、空気の抜けたのサッカーボールを桃子に向かって蹴った。ボールは不安定ながらも、弧を描きながら桃子の背中にぶつかった。
「ったいわね。」
「あ、すんません。」
ギロリと振り返る顔は鬼の形相だった。こめかみから生えた二本のツノや、釣り上がった目は
びっくりした竜也はヒュッと変な声が出たが、ようやく状況を理解した桃子が、全力疾走で追いついた。
「声かけてくれたっていいじゃない。」
「かけたよ! でも桃子全然聞いてないから!」
厚生課の二人が走りながら喧嘩をしている間、竜也は背中に当てたボールのことを思い返していた。
* * *
兄の影響で竜也は小学一年生の頃からサッカーを始めた。
竜也は、優秀な竜樹の弟ということもあり、期待されていた。自分にそんな実力があったわけでもないのに、人数が少なかったせいで、上級生と混ざって試合に臨むことになった。
しかし、竜也はプレッシャーに強い方でもなかったため、あと一点で勝敗が決まるU-12の大会でも、
「カンッ。」
サッカーゴールの横枠にボールを打ちつけただけだった。延長戦に持ち込むことすらできなかった。パスを出したチームメイトが「へたくそ。」とすれ違いざまに吐いた言葉が今でも忘れられない。その試合以降、相手のボールを果敢に取りに行くことができず、サッカーに対する気持ちも冷めてしまった。
* * *
「ナイスだったぜ、今の。」
「え?」
冷月に声をかけられて我に戻った竜也は、なんのことかわからず首を傾げた。
「やっぱ竜也サッカー上手いんだな。俺ノーコンだから尊敬するわ。」
『——すごいじゃないか!』
そうやって褒められたのはいつぶりだっただろう。幼い頃に褒めてくれた兄と冷月の顔が重なった。温かかった思い出が少しだけ蘇った竜也は瞳を潤ませた。
少し嬉しくなった竜也は、どうも、と控えめながらも笑顔を見せた。
* * *
「順調みたいですね。」
丸テーブルの上には薄紫の水晶や黒電話が置かれている。
アウラが見守るその水晶に映し出されていたのは、微笑む竜也の様子だった。アウラは一人、扉の外で冷月たちの動向を伺っていた。
「……。」
一人ぼっちには慣れているアウラだが、扉を隔てた先に人がいて、しかもなんだか楽しそうなのを見ていると孤独感が襲った。
「早く帰ってこないかな。」
ポツリと呟いた声は誰にも届くことは——
「やあ、門番さん。元気?」
声のする方に視線を移すと、黒いロングコートに身を包んだ青年が立っていた。フードから突き出た二本の赤黒いツノと、大きな白い鎌を抱えている。
アウラは咳払いをすると、背筋を伸ばして青年を睨んだ。
「悪魔が何の用ですか?」
「なんでそんなによそよそしいんだい、アウラ。……まあいいや、さっきその扉に入って行った青年を追っていてね。よかったらそこの扉開けて欲しいんだけど。」
「断ります。そう言ってこないだもあの方達の邪魔をしていましたよね。」
心当たりのある悪魔は苦虫を噛み潰したような顔をした。が、瞬きをすると悪びれる様子もなく、
「そう言わず、ね?」
「如何なる理由でも許可できません。」
やや食い気味にアウラは答えた。ここで扉を守るのが門番の仕事だ。門番は責任感の元に、扉の前に立ちはだかった。
「……ちょっとだけ。」
「だめです。」
どう頑張ってもアウラが扉の前を譲る気配はなかった。
「じゃあ君の願いを叶えてあげよう。何か欲しい物でもないかい?」
手を大きく広げて微笑むその裏には隠しきれない怪しさが溢れている。
「結構です。悪魔から欲しいものなどありませんので。」
「悪魔から、ね。だったらなんだい、扉の向こうの彼からなら欲しいものでもあるの?」
アウラは黙ってだんだんと距離を詰めた。悪魔の——ヴィセの胸ぐらを掴むような勢いで迫ると、
「絶ッッッ対に本人には言わないでくださいよ。」
先ほどまでの凛とした彼女の姿はどこにもなかった。顔を真っ赤にして瞳を潤ませる少女は乙女そのものだった。
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