純蓮編② 商店街のコロッケ
「……そんなこと、ない。私は、変われない。」
自信のなさゆえか、素直になれない。今までもそうだった。やりたいことがあっても、どうせ無理だと決めつけてすぐ否定する。いじめられている現状も、根暗でコミュニケーション能力が低いのも、このままじゃダメだとは思いつつ、どう変わっていけばいいのかはわからない。だからいつもひとりぼっちだった。
「なんでぇ⁉︎」
冷月(れいげつ)は意外な返答に、差し伸べた右手を引っ込めて文字通り頭を抱えた。先ほどまでのイケメンムーブが台無しである。純蓮はそのオーバーなリアクションに、まるでドラマやアニメから出てきたような愉快な人だと思った。
「困ったなぁー更生して生きてもらわないと、今度こそ俺たち存在ごと消されるぞ。」
どうしようと辺りをぐるぐる歩き回る冷月の落ち着きのなさを見て、桃子はため息を吐いた。
「いいんじゃない、もともと私たちなんてはみ出しものの寄せ集めなんだし。」
さっきの勢いとは反対に、諦めた反応を見せる桃子を見て、なんだか純蓮は自分と近いように感じた。
自分が知らないだけで、彼女にも悩みがあるのだろうか。その陽キャな見た目に反して影を見せる桃子と、ほんの少しだけ話がしたいと思った。
「いーや、よくない。」
となると、純蓮にとって今厄介なのはこの男。
「更生課を潰すわけにも、死ぬわけにもいかないんだよ。」
「何がそんなに大事なの? あんたもう死んでるのに。」
「俺は死んでても、今生きてる人間が救われたがってんだよ。もう俺は二度とあんな——」
「頼んでない。」
聞こえないように呟いたつもりだったのに、二人の視線が一気に純蓮に集まった。
「あ、えと、その、救われたいとか、生きたいとか思ってないし、私なんて、生きてるだけで、迷惑、なので。」
ちくりと胸が痛んだ。本心を言ったはずなのに、視界がぼやけて、目の奥から外側へ押されるような不快感を抱いた。
「その『私なんて』って言うのやめろ。自分の価値を低く見積もるなよ。」
「そんなこと言ったって、必要とされない私のどこに価値があるんですか。」
——ああ、また。
自分の言葉に傷ついて、純蓮は顔を上げられないでいた。上げたら涙が溢れてしまいそうだった。
「あるよ。」
他人なのにどうしてそう即答できるのだろうか。ありきたりで薄っぺらい言葉を並べたところで、自分の心に届くものなんて何もない。純蓮はその場にいたくなくて、今にでも逃げ出したかった。
「生きてる人間全てに価値がある。」
思わず純蓮は顔を上げた。視線の先にいる冷月は、自信に満ちていて、まっすぐな瞳をしていた。何も疑うことがないように、清々しい雰囲気を纏っていた。
「とりあえず、できるできないじゃなくて、やってみないか? 無理かどうかはそのあと決めたらいいし。変わるためのサポートならなんだってするぞ。」
変わりたいのだろうか、でも何も変われなかった。そもそも変わろうとしたことがあっただろうか。何かに挑戦したことがあっただろうか。
純蓮は期待か不安かわからない胸騒ぎに苦しさを覚え、思わず胸に手を当てる。
それを見ていた冷月はもう一度純蓮と目線を合わせるように座る。立ったり座ったり忙しい人だ。卒業式の練習みたいだ。先ほどと違うのは、向かい合わせにしゃがむのではなく、横並びで、純蓮の右肩をガシッとつかんで、
「やるぞ……!」
たくさん冷や汗をかいていた。これが成功しなければ立場が危ないのか、ひきつったその顔は、純蓮を無理やり頷かせる以外の選択を与えなかった。
冷月は後ろにいる桃子に目配せすると、やれやれとため息をついた彼女は、正面にある真っ白で飾り気のない扉を開けた。
* * *
死後の世界と聞いていたが、随分と現代的で現世となにも変わらないような商店街の通りが続いていた。往来する人も、和服より現代的な衣服を着ている人の割合が多い。
純蓮は後ろを振り返ると、そこには外観に似合わない白い扉がぽつんとある。あの扉から出てきたはずなのに、モノリスのような板の向こうにも、同じように商店街が続いている。不思議そうに辺りを見回していると、
「ここでは、転生待ちの魂が次にいい人生を送るために物を作ってる。つまり、徳を積んでるわけだ。とはいえ、大半が好きでやってるらしいぞ。」
賑やかな街並みにはパン屋やハンドメイドで作った雑貨屋など、たくさんの店が並んでいる。中には行列のできる店もあり、談笑しながら店内に入れるのを待っていてる。初めて来るはずなのに、純蓮は懐かしい感じがして少し安心する。彼岸の方が楽しそうだと羨んだ。
「でも、純蓮には生きてもらうからなー。」
そんな純蓮の心を見透かすように、冷月は声をかけた。純蓮の口からは「はぁ。」と渇いた声が漏れた。
「あんた十六歳でしょ。絶望するの早すぎない?」
俯く純蓮を見て声をかけた桃子は呆れたような声だった。そんなこと言われても、今の現状も楽しくないし、未来に希望もないし。
鬼には純蓮の気持ちもわからないのだろうと、口をムッと尖らせた。
「あなたに、何がわかるんですか……。」
「そうね、あんたが他力本願でめんどくさい奴ってことはよくわかったわよ。」
「う。」
心の声が漏れてしまったことに冷や汗をかいた。余計なことしか言えない自分にまた嫌気がさした。
やっぱり死のう。短絡的な考えだと自覚はしているものの、純蓮に心の余裕はなかった。
「まあまあその辺にして、これでも食えよ。」
いつの間にか両手に三つの俵状の揚げ物を持った冷月が立っている。
「カニクリームコロッケ、好きだろ純蓮。」
——なんでも知ってるんだ。
この世界に来てから何も食べていない純蓮だったが、空腹は感じていなかった。しかし、その揚げ物から放たれる食欲をそそる匂いに、純蓮はゴクリと唾を飲んだ。
「あり、がとう、ございます。でも、私なんかがこんなのもらって……。」
「気をつけろよ、揚げたてらしいから。」
純蓮の言葉を遮るように、冷月はクリームコロッケを渡した。
指先に伝わる熱さを逃すように二、三回持ち直すと、息を吹きかけてから口に入れた。
サクッとした食感がしたと思ったら、中からトロリと熱いソースがはみ出てきた。カニの風味がはっきりとわかるくらい濃いソースは、おやつというよりご飯のおかずにした方が良く合う。サクサクと無言で頬張る純蓮は、コロッケを冷まさず食べても火傷していないことには気が付かなかった。
「このカニクリームコロッケ、名だたる有名人も買いにくるくらい評判がいいんだ。たとえば……。」
「いい食べっぷりだね、お嬢さん。」
うっとりするような優しい声のする方を振り向いた。コロッケを食べる三人の後ろには、着流しの上に黒い羽織をまとった猫背気味の男が立っている。
「ここのカニはわざわざ此岸から取り寄せているんだって。なんて云ったって、青森のトゲクリガニ、味も良くって僕も大好きなんだ。」
「誰よあんた。」
片手を腰につけた桃子が見上げるようにして、その男を睨んだ。男はニコニコしたまま口を開いた。
「お嬢さん、儚くて美しいね。」
「は、私は、」
「違うよ、君の後ろのお嬢さん。」
「なっ。」
純蓮は振り返った桃子とバッチリ目が合った。口を横に結ぶ鬼の目はほんのり潤んでいた。そのまま男に目を移すと、彼もまた純蓮のことを見つめていた。
純蓮はコロッケを持ったまま自分を指さすと、男はこくりと頷いた。
「もし僕と君が同じ時代に生きていたのなら、君と良い心中を遂げられたかもしれないね。」
「心中……?」
「ちょっとちょっと、純蓮はまだ死んでねぇよ。更生して現世で元気に生きてもらうんだから。」
純蓮の後ろに冷月が回り込むと、左肩に手を乗せた。冷月からはお香とクリームコロッケの混ざった匂いがした。純蓮は匂いの渋滞を感じて鼻を触っていると、後ろで「ほっそ。」とつぶやかれて顔が熱くなるのを感じた。
「そうか、それは残念だ。ならば今このひとときを十二分に楽しむと良いよ。」
男はコロッケ屋の店主に「いつもの、十個頼むよ。」と、注文すると「じゃあね。」と手を振り去っていった。
「なにあれ、自分に酔ってんの? 暗すぎ。」
桃子はすでに見えなくなった背中に毒を吐いた。
「あ、あの人は……?」
純蓮が問いかけると、ようやく手を離した冷月が純蓮の正面に回り込みながら答えた。
「前世で何度も女性と心中未遂した挙句、最期は愛人と死を遂げた作家先生。普段は地獄にいるはずなんだが、残した小説が今もなお此岸で評価されてるから、たまにこっちに来られるんだ。」
話し終わった冷月が残りのコロッケを食べるのをみて、純蓮も思い出したように手に持ったそれを口に運んだ。もうすっかり冷めていた。
「あー、そういえばそんなのいたわね。まあ罪人は罪人。私は許さないけど。」
桃子は私情の混じったように吐き捨てた。
「フッ、お嬢さん。」
放っておけばいいのに、わざわざ先程のやり取りを思い出させるように冷月が吹き出した。
冷月の胸ぐらをつかむ桃子はやいのやいのと、相手の首が取れそうなくらい力強く振った。
桃子が手を離すと、その勢いのまま冷月は尻餅をついて倒れた。
「あんたのそういうところ本ッ当に嫌い。」
桃子は手をぱんぱんと鳴らすと、腕組みをしてフンと鼻を鳴らした。
「ってて、ごめんって。」
冷月は自身の尻を払いながらゆっくりと立ち上がった。
「純蓮もあの人の本読んだことあると思うぞ。教科書にも載ってるし。」
「え、それって、」
「きゃああああああああああああああああ!!!」
純蓮の言葉を遮るように、女性の金切り声が聞こえた。声と共にガシャンと、何かが崩れる大きな音がした。三人は音の方を振り返ると、先ほど純蓮たちが歩いてきた方向から煙が立ち上っていた。辺りにはすでに人だかりができている。
「行くぞ桃子。」
「ええ。」
先ほどまでの険悪ムードが嘘のように、二人は事件の起こった方向に走って行った。純蓮も後を追うように、足を空回りさせながらついて行った。
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