純蓮編③

 先程の幻想的な雲海に比べると、現世となにも変わらないような商店街の通りが続いていた。純蓮は驚いて後ろを振り返ると、そこには外観に似合わない白い扉がぽつんとある。あの扉から出てきたはずなのに、モノリスのような板の向こうにも、同じように商店街が続いている。不思議そうに辺りを見回していると、

 

「面白いだろ、死後の世界。」

 

 ニコッと笑う冷月が声をかける。しかしそれに対して、情報量が多すぎるため、純蓮は力の抜けた相槌しか打つことができなかった。

 

「でも、純蓮には生きてもらうからなー。」

 

 爽やかに笑う彼を見て、純蓮の胸はちくりと痛んだ。



 賑やかな街並みにはパン屋やハンドメイドで作った洋服屋など、たくさんの店が並んでいる。初めて来るはずなのに、純蓮は懐かしい感じがして少し安心する。そして、ふと鼻をくすぐる香ばしい香りの正体を探る。

 それは純蓮がよく知っている食べ物だった。学校の帰りに寄り道して買った思い出が蘇った。

 

「あっつ⁉︎ これ、冷めないうちに食えよ。」

 

 いつの間にか両手に三つのコロッケを持った冷月が立っている。

 この世界に来てから何も食べていない純蓮だったが空腹は感じていなかった。しかし目の前に突き出されたコロッケを見るとなんとなくコロッケの口になっていくのがわかった。

 

「あり、がとう、ございます。でも、私なんかがこんなのもらって……。」

 

「気をつけろよ、揚げたてらしいから。」

 

 純蓮の言葉を遮るように、冷月はコロッケを渡した。

 サクッとした衣とホクホクのジャガイモの中には、しっかりと味付けされた牛肉が入っている。そのほかに具材はなく、ただただシンプルに塩胡椒で味付けされただけなのに口いっぱいに幸せが広がる。口角が上がり美味しそうに食べる純蓮を見て一言、

 

「フグみたいだな。」

 

 はっとした純蓮は恥ずかしくなってコロッケを一度に頬張った。そうすることでより一層フグ感が増してしまうのに気付いたのはモグモグと二、三度咀嚼したあとだった。


 


「そんなに急がなくても誰も取らないぞ。」

 

 一部始終を見ていた桃子は微妙な顔をした。もっと可愛いを表現する言葉なんてたくさんあったはずなのに、なぜフグなのか。そのワードセンスはないわ。冷月とは改めて合わないと感じた。

 

「で、なんでコロッケなのよ。」

 

「なんか香ばしい匂いがするーと思ったらいつの間にか手の上に……。」

 

「はいはいそういうのはいいから。」

 

 合わないだけでなく、ストレスが溜まっていく。桃子がいつもイライラしているのは、冷月と一緒にいる影響が大きいのかもしれない。そして、

 

「まあまあ、こんだけ幸せそうな純蓮が見れたなら、それでいいじゃないか。」

 

 キョトンとした純蓮は、あんまり苦労や悩みなんてないように桃子の目に映る。悩みや苦しみの程度は人それぞれなのはよく知っているが、「フン。」とそっけない態度を取ってしまう。

 

「わ、私なんているだけで迷惑、かけちゃうんで、その、ごめんなさい……。」

 

 初めて資料を見た時から、弱々しく、性格やコンプレックスも桃子の苦手なタイプだった。それは冷月のようなチャラい人間よりも理解しがたく、純蓮の「逃げてばかりなのにかまってほしい姿勢」が理解できなかった。全部自分が悪いなんて口にしながら本当は心のどこかで悪いのは環境だとか、周りの人間だと思っている。しかしそれに本人は気付きたくないのか、自分のせいだと心に嘘をついて日々を過ごしている。自己肯定感の低さも、他人事なのにめんどくさいと思う。案の定、冷月から借りたでんでん太鼓のような鏡——浄玻璃の手鏡で純蓮の私生活を覗いてみても、全部自分が悪いと思い込んで希死念慮に駆られていた。死なないくせに。

 

「謝ってばっかね。あんた自分から行動を起こそうとしないくせに、世界が助けてくれるって思ってるの? 関わろうとしないくせに他人に関わって欲しいの? なにもしない人間に承認欲求が満たされるわけないじゃない。」

 

「え、あ……。」

 

 純蓮は急に怒られて言葉を返せないでいる。

 

「そういうの見てると、イライラする。」

 

 桃子はどうしても我慢できなかった。今回ばかりは、仕事をこなせないと本気で思った。

 

「自己肯定感の低さは俺も参るレベルの捻くれ方をしていると思うが、そこまで言う必要はないだろ。」

 

 「あんたのその一言が余計よ。」


 純蓮を差し置いて、険悪な雰囲気になりかけたその時、


「うわぁぁぁああああああああああああ!!!」


 男性の悲鳴と共に、ガシャンと、何かが崩れる大きな音がした。三人は音の方を振り返ると、先ほど冷月がコロッケを買った店から煙が立ち上っていた。辺りにはすでに人だかりができている。


「行くぞ桃子。」

 

「ええ。」


 先ほどまでの険悪ムードが嘘のように、二人は事件の起こったコロッケ屋に走って行った。純蓮も後を追うように、足を空回りさせながらついて行った。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る