純蓮編④ この上司にしてこの部下あり

 半襦袢はんじゅばんのような赤いインナーの上に白いプルオーバー、赤いミニスカートを身につけた少女が歩いてくる。巫女服のようなカラーリングからは気品が感じられた。

 艶やかな黒髪のショートボブは、外側に跳ねていて、幼さを強調させる。左耳の上には、白いリボンがおみくじのように結ばれていた。

 燃えるような緋色の瞳は、気怠げに冷月たちを見つめる。

 

「妖異が出た気配がしたから駆けつけてみれば、遅かったか。」


 体に見合わない威厳を持った声で、ゆっくりと話す。目つきが悪いせいもあって、怒っていなくても不機嫌に見えた。


「……。」

 

 後ろから連れ立って歩いてきた背の高い少年は、青のシャツに黒のスーツをまとっている。癖のない黒髪の前髪部分には白のメッシュが入っている。髪の隙間から、白銀のピアスが覗いた。左目にある泣きぼくろがアンニュイな雰囲気を引き立たせる。少年は、朧げな顔をしてただ立っているだけだった。

 二人が横に並ぶと、親子のような身長差だった。


「げ。」


 冷月はあからさまに嫌な反応を示した。その顔を見るに、会いたくない人間だったのだろう。純蓮は二人と冷月の顔を交互に見て、様子を伺った。


「何? 知り合い?」


「あ、ああ……。上司というか師匠というかなんというか。」


 まごつく冷月を無視して、少女は桃子の前に立った。


「貴様が噂に聞く堕ちた獄卒か。どうだ、こっちは居心地いいか?」


「別に、好きで働いてるわけじゃないし。ってかあんた誰よ。」


「失敬。私は彼岸省総務課の戌亥だ。」


 少女は戌亥と名乗ると、後ろにいた寡黙な少年に目配せした。


「巽……。」


 消え入りそうなくらい小さな声だった。その身長にも関わらず影の薄さを感じた。

 純蓮は、自分に近しい気がして巽をじっと見つめていると、目が合った瞬間そっぽを向かれてしまった。


「すまんな、いわゆるシャイボーイなんだ。」


 戌亥がバシバシと背中を叩いても無反応だった。


「で、なんでお前がここにいんだよ。」


「ほう? 上司に向かってよくそんな口の聞き方ができるな。昔はこ〜んな小さくて愛らしかったのにな。私、貴様をそう育てた覚えないぞ。」


 戌亥は腰の位置で手のひらを地面に向けたまま、空気を撫でるような仕草をした。


「育ってねーよ! こっち来たときにはすでに成人済みだよ! 俺もう独り立ちしたの、いつまでも上司ヅラすんなって。」


「フン、貴様みたいな青二才が独り立ちとな。世も末だ。明日槍でも降るんじゃなかろうか。」


「そこまで言う⁇」


 腕を組みながら、冷月を馬鹿にするような薄ら笑いを浮かべる戌亥に対して、当の本人は明るく振る舞っている。


「仲良し、なのかしら。」


「さ、さぁ……。」


 二人のやりとりを見ていた桃子が呆れたように声を漏らした。完全に二人だけの空間を作っているため、蚊帳の外に置かれた桃子、純蓮、巽の三人は何もできなかった。


「そこまで言うなら、それなりに尊敬される立ち居振る舞いしろよ!」


「なんだ。私が悪いとでも言いたいのか?」


「はいはい、その辺にして。」


 しばらくやりとりを聞いていた桃子は、しびれを切らして二人の間に割って入った。


「あんたも、いちいち煽んなくったっていいでしょ。」


 桃子は冷月の後ろから、平手打ちをかますと、鈍い音がした。さらに短い悲鳴がすると、冷月は自身の頭を撫でた。

 純蓮にはその様子が母親と、その母親に叱られる小学生のように映った。


「……戌亥。」


「彼奴が悪い。」


 こっちはこっちで子供っぽい素振りを見せている。

 なるほど、この上司にしてこの部下ありと。戌亥と冷月の共通点を見つけて、こんな状況なのに純蓮は少し面白かった。


 しばらくしてハッとした戌亥が冷月に声をかけた。


「そうだ、冷月のせいで本来の目的を忘れるところだった。妖異を生んだ張本人はどこだ?」


「あー、あそこに拘束してある。」


 冷月が指を差した方向には、ロープで縛られた男性がうつろな眼をして座っていた。ちょうど、純蓮がボソボソと呟く人影を見た位置だった。


「そうか、ご苦労。厚生課の仕事も順調なんだろうな?」


「そりゃもちろん。」


「ならいい。妖異を祓うだけなら厚生課である必要はないからな。」


 純蓮は、先ほどから桃子も口にしている妖異がどういうものかは、ぼんやりとしか理解していなかった。

 ただあの時、獣の爪を見て感じた悪寒だけは、どうもまだ背中に残っている。


「はたやその子が妖異を生み出すやも知れんからな。」


「え。」


 掠れた声で反応することしかできなかった。こうやって急に話題に出されるのはずっと苦手だった。話を聞いていないわけではないが、同じテンションで返せるほどのコミュニケーション能力はない。

 しかし純蓮は、急に話題に上ったことよりも、


 ——私が、あれを、生む……?


 たくさんの人間を傷つけようとし、賑やかな商店街を恐怖に染めた、あの獣を自分が生み出してしまう可能性が脳裏をよぎった。

 それが自分の身にも起こりうることだとは、全く考えていなかった。純蓮は、ただ誰に迷惑をかけるでもなく、存在感を消してひっそりと生きていけたら、なんならこのまま死んでしまえたらと考えていた。

 そんな自分が、あんな化け物を生み出してしまったなら、いよいよ死後の世界にも自分の居場所がなくなってしまう。純蓮の視界がぐにゃりと歪んだ。瞬きをすると両目から温かい雫がこぼれた。そこでやっと自分が泣いていることを自覚した。


「え、泣く要素あった?」


 桃子が呆れたように純蓮に声をかけた。純蓮だって、泣けばなんでも解決するとは考えていない。ただ、考えすぎるとすぐ心がいっぱいになって、溢れた感情が涙になってしまう。桃子にはそれ以上自分の醜い顔を見せたくなくて、そっぽを向いた。


「……その様子だと、貴様ら、その子に妖異の説明をしなかったのか?」


 下半月の眼が冷月を捉える。その瞬間、周囲に緊張感が走った。あたりの気温が数度下がった気がした。提出する宿題を持ってこなかった生徒を冷たい目で見る先生と重なって、純蓮の胃がキリキリと痛んだ。

 

「不安や悩みを抱えた人間の魂は妖異を生みやすい。その妖異が悪行を働けば、その後は地獄行きだぞ。そこんとこ、ちゃんと伝えたのか?」

 

 少女は語気を強めて冷月に詰め寄った。ここにいる誰よりも背が低いのに、それを感じさせない態度が、彼女を大きく見せる。

 

「俺たちは更生課だ。妖異を生ませるようなことはしない。」


 確信を持って話す冷月の眼は青く澄んでいた。しかし、そのまっすぐな頼もしさより、本当のことを話さなかった不信感が僅差で勝った。

 

「はぁ、答えになっておらんな。それは貴様の願望に過ぎん。自分のやるべきことを考えて行動しろ。失敗すれば、次はないからな。」


 そう吐き捨てると、二人は冷月たちに背を向け、妖異を生んだ男性の前で立ち止まった。

 巽が地面を強く踏むと、自身の影から青みがかった銀色の鎖が伸びてきた。その鎖で男を縛り直すと、ゆっくりと歩き出し、やがて見えなくなった。


「次も何も、最初からミスなんて許されないだろうが。」


 冷月の瞳が、初めてくすんで見えた。

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