純蓮編⑤ 面倒くさい自覚

「なによ、あいつら。」


 桃子は、見えなくなった二人に毒を吐いた。


「昔からああだからな。」


 やれやれと、冷月は大きなため息をつくと、不安そうに下を向く純蓮に声をかけた。


「混乱させて悪かった。戌亥……あの小さいのは度重なる激務で無愛想なんだ。根はいいやつなんだが、言葉遣いも荒くて怖かったよな、ごめん。」


「いやあんたが余計な絡み方するからなんじゃないの。」


「ああ、それは、つい……。」


 罰の悪そうな顔をする冷月は両目をぎゅっと瞑って眉尻を下げた。

 そんなふうに謝られても、純蓮の心は晴れなかった。


「……私からも、あれが生まれるんですか。」


「え?」


「あの影。」


 俯く人影と黒い狼を思い出す。怯える人の顔は頭にこびりついて離れない。


「そうならないために俺たちがいるからな。大丈夫、純蓮から妖異が生まれるようなことは、」


「そうじゃなくって、」


 ——ああ、また変な空気を作ってる。


 純蓮はちゃんと理解していても、自分が死んでも邪魔な存在であることを嘆き、俯くしかなかった。冷月が気を使って話しかけているこの状況が、純蓮には痛く感じた。


「私、生きてても、死んでても居場所なんかなくって、死んだら楽になれるかなって、思ってたのに、私の存在そのものが邪魔なの?」


「純蓮……。」


「なんで、私、こんななのに、なんで……。」


 ポロポロと純蓮の頬を伝う涙はぬるかった。セーラーの裾で拭っても拭っても、溢れ出てくる雫は留まることを知らなかった。やがて嗚咽が混じり、時折肩を痙攣させながら枯れるまで泣いた。


「無理、なんですよ。」


 ひとしきり泣いた後、目を腫らした純蓮は自嘲するように吐いた。


「だって、みんな、キラキラしてて、人を惹きつける魅力だってたくさんあって、かっこよくて。でも、そんなの私にはなくて。私はそっち側じゃないから。」


「あんたそうやって、」


「何にもできないんです。」


 桃子の言葉を遮る。こんな態度を取っても何も変わらないどころか、悪い方向に進むことは純蓮が一番わかっていた。それなのに、自分を卑下する言葉は止まらなかった。


「何もしようとしてないじゃない。全部受け身。」


 しまった、と思ったときには遅かった。純蓮自身が招いた結果ゆえに、怒られても仕方ないと諦めていた。回避する方法もあったんだろうな、と肩に力を入れながら、桃子の怒気を含んだ声を受け入れる。


「そうやってうじうじすれば、周りが気を遣ってなんでもしてくれるって、解決してくれるって本気で思ってるの? 自分で迷惑だと思うなら、短所だと思うなら変わろうとしなさいよ。」


「……ごめんなさい。」


「また謝ってやり過ごすの? そうすれば許してくれると思うの?」


「桃子!」


 空気を二つに切るように冷月が叫ぶ。桃子の視線が冷月に注がれた。


「何よ。私間違ったこと言ってる?」


 桃子は庇う様子に納得できないといったように、胸ぐらを掴む勢いで冷月に詰め寄った。釣り上がった目は、桃子が鬼であることを再認識させる。


「更生させて、現世に返すのが仕事だから。ここでお前の私情で怒ったって仕方ないだろ。」


 そんな桃子に臆することなく、冷月は真剣に答えた。こうして並ぶと、桃子の方がほんの少しだけ高い。


「もういいわよ。」


「あ、おいどこ行くんだよ。」


 桃子は諦めたように二人に背を向けると、冷月の呼びかけに応えることなく、踵を鳴らしながら立ち去った。カツカツと響く足音だけが二人の耳に残ったが、それもやがて聞こえなくなった。


「気にしなくていいぞ。あいついつもイライラしてっから。主に俺のせいで。」

 

 励ますためにそう声をかけたのだろうが、純蓮は俯いて冷月を見ようともしなかった。気まずい空気を断ち切るように歩き出した冷月に、ついていこうとしたが、足が前に出なかった。


「純蓮?」


「桃子さんの言う通りですよ。いじめられて当然なんです。会話が下手だから、何も主張できない、から。」


「……。」


 顎に手を当てたまま、少し黙り込んで考えていた冷月がおもむろに口を開いた。


「……純蓮、最初に会ったとき、自分に価値ないって言ったよな。」


「はい……?」


 話が読めなくて首を傾げる。


「純蓮が日直だった四月十日。当番が消し忘れてた黒板、綺麗に消してたよな。次授業する先生が使いやすいように。」


「え。」


「他には、学校にいる嫌な奴にめげずに通学し続けた。あれ、親を心配させたくないからだろ。」


「それは、」


「うまく会話ができないのも、自分の発言で相手が気まずくなったり、傷ついたりするのが嫌だからなんじゃないか?」


「……。」


「そうやって他人を思いやる気持ちが、純蓮にはちゃんとある。そんな心の持ち主に価値がないわけないだろ。」


 具体的に行動を褒められたことで、心の底がむず痒い。でもこの痒さも、少しだけ嬉しい感じがした。ありきたりで、うわべばかりの言葉ではない。自分のことをちゃんと見た上での発言に、純蓮は少しだけ救われた気がした。


「人のこと考えて行動できるんだから、もう少し自分に自信持ってみてもいいんじゃないか?」


「自信……。」


 冷月は深呼吸をすると、調子を変えて喋り出した。


「俺さ、格好つけだし、こんな性格だから、彼岸省のみんなに嫌われてんだよな。正直俺がいなくたって、いやなんなら更生課がなくたって、何も支障はないわけだし?」


 根暗を馬鹿にするような言い方ではなく、彼もこちら側なんじゃないかと思うような言葉で自嘲した。


「い、いや、そんなことは、」


「元上司も大事にできないこんな社会不適合が、地獄に堕ちないで役人やってること自体意味不明なんだよな。」


「ええ、と。」


「しかも俺、心配させたくないって自分の都合押し付けて、純蓮に本当のこと言わなかったんだ。救いようないよな。」


「……。」


 言葉を詰まらせる純蓮の反応を見て、冷月は狙い通りだと言わんばかりに口角を釣り上げた。


「困ったろ。」


 何も言い返せなかった。


「一緒だよ。純蓮がやってること。あ、でも最後のは本当にごめん。俺が悪かった。」


 発言してから、眉尻を下げた冷月は手のひらとひらを合わせて謝った。純蓮はこのくらい愛嬌のある謝り方をしたいと思った。

 自分が桃子に面倒くさいと言われるのもよく理解できる。というより元々自覚している自分の短所を、自身の心の底から取り出して見せられた気がした。恥ずかしさで居た堪れなくなった。


「で、そんな自分が嫌いなんだろ? 変えたいんだろ? 死にたいってのは一旦置いておいて。」


 このままだと、生きて帰ったとしてもまた暗い日々が続くことが容易に想像できた。


「そりゃ、まあ。できるなら、人と話せるようには、なりたい、かも、しれないです……。」


 自分の発言で相手を傷つけたくない。気まずい雰囲気も嫌いだ。だからこそ会話には気をつけないといけない。嫌われてしまうから、慎重にならなければならない。そうやって純蓮は、自分自身で会話のハードルを上げてしまっていた。


「その気持ちさえあれば、何にだってなれるさ。大丈夫。純蓮は、自分のことを好きになれるから。」


 この自信はどこから来るのだろう。いいな、顔も良くて、コミュニケーション能力もあって。そんなふうに羨むことしかできない自分にも嫌気がさした。


「でも、変わるなんて言っても、私こんなん、ですよ。一体どうやって。」


「純蓮って、二人きりだと話せるよな。」


「う。」


 そこはかとなく真っ直ぐで、屈託のない顔だった。純蓮はこの無垢さに勝手に傷ついた。


「いや、自然なことだ。人数が増えると、会話の中でやることも増えるからな。」


 当たり前に難しいことだと、冷月は頷いた。純蓮からして見れば、冷月が自分と同じようにコミュニケーションに困っているようには感じないが、案外そうでもないのだろうか。


「まあでもなんだ、大抵の人はそんなこと、いちいち気にしてないと思うぞ。」


「そんな、こと?」


「純蓮が気にするようなこと。友達となら普通に会話できたんだろ。」


 友達、と聞いて思い浮かぶ人は、純蓮にとって一人しかいなかった。長い髪、太陽のような笑顔、純蓮にとって光そのものだった。


「あやめ、だけですけど。」

 

「そっか。仲良かったんだな。」

 

 良かった、と過去形なのが引っかかって心臓がどくんと大きな音を立てた。あっ、という失態の声が聞こえた純蓮は呼吸が浅くなり、背中に嫌な汗をかくのを感じた。

 

「良かったですよ、でも、私のせいで……。」

 

「悪かった、今のは俺の言葉選びが——」

 

「やっぱり私なんて、いない方がいいんです。」

 

 少しチクリと胸が痛み、鼻もつんとした。度の合わないコンタクトレンズをつけたように視界がぼやけた。

 

「今更、友達作るとか。私といたら不幸になります、友達になった人が、かわいそうです。」

 

 自分を卑下する言葉ならスラスラと出てくる。会話とはこういうものだっただろうか。あやめとどんな風に話していたか思い出せない。それくらい純蓮の心は擦り切れていた。

 

「そんなことないって、俺は純蓮と話すの楽しいぞ。」

 

「そう、ですか。」

 

「俺は本気でそう思ってる。だから、そんな後ろ向きなこと言うなよ。」

 

 なんとか元気付けようと冷月は声を掛ける。しかし純蓮の意識はどこか遠くの方にある。心配そうに見つめる冷月にも純蓮は気が付かない。


「純蓮……?」


 自信がないことやできないことを言い訳にして何も成長しようとしないどころか、周りに嫌われてしまう原因を自ら作り出している。自分の心に嘘をついて、思ってないことを口にしてしまう。そのくせ構って欲しくて自分からは話しかけないのに、話しかけられるのを待っている。それに気づいた純蓮はますます自信をなくす。

 誰とも関わらないように、空気みたいに生きていけばいいと思っていたのに、自分が生きているだけで迷惑をかけてしまう。やっぱり、死んだほうがいいんじゃないか。そんなことを考える純蓮には、冷月のどんな言葉も響かない。


「私があやめと友達にならなければ、あやめはあの道を通ることはなかった! 私のせいで……私のせいで……!」

 

 その声は震えていた。こぼれた涙はポロポロと純蓮の制服にシミを作る。

 

「そんなこと、向こうは思ってないだろ。」

 

「あなたに何がわかるんですか!」

 

 先程の自信のなさからは想像できない大きな声に冷月は気圧されたように後ずさった。それは彼を突き放すように放った一言だった。純蓮は自分の心が黒く染まっていくような感覚がした。

 

「何も知らないくせに、わかった風なこと言わないでください!」

 

 ダムが決壊するかのように、涙と共に言葉もボロボロと出てきた。留まることを知らない、棘のある物言いは、全て冷月に浴びせられた。どれだけ自分自身が酷い言葉を投げかけているかを考える余裕は純蓮にはなかった。


「う、ううっ、ああ。」


 声を上げて泣くなんて、久々だった。それこそ、あやめが死んだとき以来だった。感情があまり面に出る方ではない純蓮は、自分でも戸惑った。いつもならしばらくすれば枯れたように泣き止むのに、声を出せば出すほど雫が溢れ出た。


「友達なんて、たった一人でよかったのに。」


 純蓮はそう言い残すと、冷月の前から走って逃げた。彼岸ここには帰る場所なんてないのに、それでも駆けた。

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