アンビバレント・ヘブン
落水 彩
純蓮編①
鎌の先が横腹を掠める。じわじわと広がる痛みに冷月の動きが鈍くなる。
「……気持ちで負けてんな。」
額にかいた汗を拭うと、もう一度刀を構え直す。
「希望が絶望に変わる瞬間ほど美しいものはないよ。」
ゆっくりとした口調で、目の前にいる悪魔は話しかけた。手に持っている大鎌の刃先には、自分のものと思われる血がべったりと付いている。
「あームカつく。無駄に武器かっこいいし。なんか悔しいわ。」
その姿はアニメやゲームの悪役を彷彿とさせる佇まいで、冷月は感心せざるを得なかった。敵でなかったら、もっと踏み入った話をしてみたいと思った。
「この鎌は人が眠りにつくように魂を刈り取る。僕はクレイドルって呼んでる。」
褒められた悪魔もまんざらではないのか、口角を上げて大鎌を撫でた。なぞる手に合わせ、柄の部分に施された装飾がキラリと輝く。
「は⁇ どこまでもカッコよくてムカつくわ。なんだよそれ俺も使いたい。」
「フフッ、君が堕ちてくれてもいいんだよ冷月。」
「勘違いすんなよ。俺は人を更生させるための
刀を振り上げるも、大鎌を持っていながら軽快な身のこなしの悪魔に攻撃が当たらない。
「さっきから動きが単調だね。そんな武器一つじゃ、擦り傷もつけられないよ。」
悪魔は全ての動きを見透かすように、軽々と攻撃をかわす。冷月の隙をつき、鎌を引いて腰を低くした。
すると冷月は懐から白と金の装飾が施された拳銃を構え、
「武器が一つなんて誰が言った?」
迷うことなく、左手で正確に悪魔の右肩を撃ち抜いた。
————————————
雨が降っていた。
あの日、私は死んだ。
事故だった。でも正直ホッとした。あぁ、でももう少し早く、あのとき私が死んでいれば。
「あれ、ここは。」
純蓮(すみれ)は重い体を起こした。身に纏っているのは高校の制服だった。汚れたり破れたり、目立った綻びはなかった。事故にあったはずなのに、服に傷ひとつないなんて、そもそも怪我すらないなんておかしいと考えていた。はっと思い出しておでこを触ると髪の毛とは手触りの違う硬いものに触れる。それを確認した純蓮は安心して胸を撫で下ろす。
「おお、やっと起きた。」
声のする方へ目を向けると白い軍服のような格好に、シンプルなジャボ、肩章をつけた黒縁メガネの男がしゃがんでいた。年は純蓮よりいくつか上だろうか。
「……え、あ。」
聞きたいことは山ほどあるのに、それをうまく言葉にできないのは昔からの悩みだった。
「俺は冷月(れいげつ)。この世とあの世をつなぐ案内人(コンダクター)だ。」
「こん、だくたー……。」
聞き馴染みのない言葉を反芻していると、
「なーにがコンダクターよ厨二くさい。」
ばちっと何かを叩く音が耳に入った。
「私たちは厚生係でしょうよ。」
いつの間にか増えたもう一人は、頭に生えた二本のツノ、尖った耳が特徴的だった。純蓮は直感で彼女が鬼だと感じた。ピンク色の髪の毛を後ろで一つに括っており、センターパートに分けられた前髪は整った顔を強調させている。メガネの男と同じような白い軍服は、彼女の褐色の肌色を引き立てている。そして、バインダーを支える右手には長い爪が生えていた。
「いっ……せめてそこは彼岸省更生課くらいカッコよく訂正してくれよ。」
頭をさする冷月を気にも留めない鬼は純蓮に目をやる。
「いや字が違うから。で、この子が今回担当する子?」
「そうそう、ちゃんと書いてあったろ?」
何が何だかわからない純蓮は口を挟むことすらできない。そんなこと今まで生きてきて一度もできたためしもないが。二人に目を向けていると、
「ほらー桃子のことが怖いってよ。お前もうちょっと人間に優しくなれよ。」
「うっさいわね。人間なんか嫌いよ。」
「またまたー。」
「……。」
俯いて黙ることが正解だとは思わないが、こうなったらいつも気配を消して教室から出ていくのが日常だった。
しかしここには、『外』というものがないように見えた。あたり一面雲だ。三人がいる場所は雲の上なのに固められた雪のような硬さがあるため沈まない。空は薄暗く、夏の夕方のようだった。少し風が吹いていて涼しい。あとは、不自然に白い扉が一つ、ぽつんと佇んでいる。その様子はどこでもドアを連想させる。そのドアノブを回して中に飛び込んでしまえば、逃げられるような気もするが、ドアの前には桃子が立っている。純蓮は辛くてたまらなかった。隠れる場所も逃げる場所もないからだ。心がざわつくのを感じた。
「大丈夫か?」
振り返ると、冷月が目線を合わせて顔を覗き込む。よく見ると染めた茶髪こそ派手だが、少し垂れた二重の整った目がレンズ越しに覗く。アイドルのように整った顔に、正直純蓮はキュンとした。今まで十六年生きてきて異性とこんな近く顔を合わせたことはなかった。なんだか恥ずかしくなって目線を逸らした。
「あんたこそ嫌われてんじゃないの?」
「ちがうわい! ちょっと恥ずかしくなっちゃっただけだって。今までこういう経験してこなかったんだから。」
「え。」
なんで知ってるの? 心を読めるの? と疑問は尽きなかったが、そんなことをすぐに言葉にできない、詰まってしまうのだ。そして、顔が熱くなるのを感じた。
「最低。あんたデリカシーないわね。女心がわからないの?」
「いや鏡! 鏡が教えてくれるの! お前こういうときに限って人間の味方するよな。」
懐から取り出した装飾のついたでんでん太鼓のような手鏡をブンブンと振り回す冷月。
「人間の味方でも女子の味方でもないわよ。あんたの敵。」
それに目もくれないで一蹴する桃子。
「おーう、今日もキレッキレですね桃子さん。」
心がざわつくのは隠れたり逃げたりできないというのもあるだろうが、この夫婦漫才を見せつけられている気まずさも少なからずあるような気がした。そして、内輪で盛り上がっているところに、蚊帳の外の人間が話に水を差すようなこともできなかった。
桃子と冷月の付き合いは長いのだろうと推測する純蓮は、彼女を羨ましく思った。それは、純蓮が冷月にほんの少しだけ好意を抱いていることを決定づけた。
異性に免疫がないために、ちょっと話しかけられただけで意識してしまう自分のチョロさに呆れた。それなのに、少しの期待から冷月と仲良く話す妄想を頭に浮かべてしまう。が、あまりのおこがましさに急いで脳内の消しゴムで消す。
人と話せない自分にそんな資格はない、ましてや冷月のような誰に対しても分け隔てなく優しい陽キャに好いてもらう、いや友達にすらなってもらえないだろうと考える。純蓮はどこまでも自信がないのだ。
「さてと、まずは状況を説明しなくちゃな。」
桃子との痴話喧嘩が終わったのか、もう一度純蓮に向き合うと、冷月はにこりと微笑んだ。
「ここは彼岸と此岸の間だ。純蓮。お前は昨日交通事故にあった。そして気がついたらここにいたんだよな。今一番気になるのは、自分が死んだのかどうなのかってことだと思うんだけど、厳密には死んでいない。つまりは臨死体験だな。此岸のお前は家族に見守られながら病室で眠っている。まあ生死は彷徨ってるから、時間はあんまりないんだけど。」
「そう、ですか。」
純蓮は感心した。聞きたいことを聞く前に答えてくれることに。よく授業中に「質問はないか。」と聞く先生に手を挙げられず、自分の代わりに誰か聞いてくれないかと周りをキョロキョロしていた記憶が蘇った。しかし、心を読んでくれた嬉しさよりも、まだ死んでいないことに落胆した。
「安心しろ! 俺たちが必ず此岸に返して……あれ、生きてて嬉しくないのか?」
純蓮はこくりと頷くが、そのまま顔をあげられなかった。
「悪いが、お前には生きるという選択肢しかないんだ。」
「どうして、ですか。」
蚊の鳴くような声で聞くのがやっとだった。
「んー閻魔さんがそう決めちゃったからなぁ。」
冷月が頭を悩ますのをみて、無言で立っていた桃子がしゃがんだ。
「あんたは、善悪の判断ができないくらい此岸で何も残せてないのよ。死にたい生きたいは関係ないの。それに今彼岸は亡者で溢れかえってて、これ以上無駄な亡者を増やせないのよ。あとは、閻魔様が誤審で責任取れないってのもあるかもね。要するに、あんたはまだ死ぬべき人間じゃないのよ。」
そんな桃子の勢いに、純蓮は圧倒され少し後ずさる。なんだか怒られているようで、正直怖いと思った。生きてきて関わったことのないタイプだ。こうやってぐいぐい人に近寄ることのできる人は、きっとコミュニケーションで困ることもないのだろう。
「と言っても、此岸に送り返せる人間はほんの一握りだからなあ。ラッキーだな。」
大きく伸びをすると冷月はよいしょっと立ち上がった。
「ど、どうして、私なんですか……?」
「まあ、さっき桃子が言ったように何も残せてないってのもあるが、一番はお前自身が変わりたいと思っているのが大きいと思うぞ。」
ふわぁとあくびをすると再び優しい目を純蓮に向けて、手を差し伸べた。
「俺たちの目的は、変わりたいと思う人間を「厚生」して、「更生」して、此岸に帰すことだ。純蓮はまだ死にたくないって心の中で思ってるんじゃないか? 自分を変えたいと思ってるんじゃないか?」
例えるなら神様だ。まるで後光が差すかのような彼の手を取れば、何かいい方向にことが進むんじゃないかと期待する純蓮がいた。変わりたいと思った。しかし、
「……そんなこと、ない。私は、変われない。」
「なんでぇ⁉︎」
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