その寿命が尽きるまで

「眠らせた?」


 ゾリューは倒れた先生を気にする私の問いには答えずに、ウリオンを真っ直ぐに見据えた。


「お前ごときに、私の大切な人の魔力は吸わせないよ」


 美しく笑う。今まで見て来たゾリューとは別人のような威圧感が醸し出されている。私の腕を離すと黒髪をさらっとかき上げて、一歩ウリオンに近づく。この人は誰だろう、私の頭は混乱する。


「魂の伴侶が望むから、お前を助ける」


 ゾリューはウリオンにそっと触れた。ウリオンはびくんと身体をのけぞらせた後、ゆっくりと目を開けた。ゾリューとウリオンは、しばらく視線を合わせた。まるで会話をしているように。


 やがて、ウリオンから視線を外したゾリューは私に言った。


「彼はジュリエッタの美しい歌声を記憶に抱えて生きて行くと言っているよ。彼女や今までの巫女が願って来たように、この町の事をずっと守り続けるって」

「もう、巫女がいなくても? 祝詞を聞くことが出来なくても?」


 ゾリューは皮肉な笑みを浮かべる。


「祝詞は、ジュリエッタの精一杯の想いが詰まったものをもらったから、もう必要ないそうだ」


 ゾリューがウリオンに漆黒の瞳を向けて厳しい声で言う。


「この事を絶対に忘れるな。お前の寿命が尽きるその時まで約束を果たせ。分かったな」


 ウリオンはぶるっと身震いをすると、月に向かって一声吠えた。身体中の毛が全て逆立つような、聞くもの全てに畏れを抱かせる強い咆哮。


「あ、頑張った僕に提供して欲しいものがあるんだ」


 ゾリューはウリオンの尻尾を掴んだ。シュっと音がして、すぐに離す。


「悪いね。後で使う事になるかもしれないからさ」


 ゾリューとウリオンは再び視線を合わせた。


 ウリオンは命の火が消えたジュリエッタさんに顔をすり寄せて目を閉じた。彼女を失った悲しさが伝わってくるようだった。


 私はお母さんを失った後のお父さんを思い出した。お酒に溺れて生きる気力を失うほどの深い悲しみ。


(この二人を見逃してあげたら、こんな事にはならなかった?)


 私はウリオンが男に飛び掛かろうとした時に、祝詞を口にして止めた事を思い出す。そして、それを後悔する。


「誰も幸せにならなかった⋯⋯」


 私がこぼした涙を、ゾリューが指ですくった。


「遅かれ早かれ破局は訪れたよ。僕たちが手を下さなくてもね。でも、彼女の美しい祝詞を知る僕たちが最期を見届けた事は、彼らにとって最善の結末だったんじゃないかな」


 ゾリューの言葉に同調するように、ウリオンが顔をあげた。そして名残惜しそうに何度も振り返りながら、山の頂に向かって立ち去った。月明かりに照らされた毛皮は血に濡れて、もう光を放ってはいなかった。


「あいつ、最初に姿を現した時、君の魔力に惹かれて出て来たんだ」

「私の魔力?」


 ゾリューはうなずくと、私の三つ編みを手に取りもてあそんだ。


「僕がいたから諦めたけど、もしいなかったら魔力を全て吸い取られていたかもしれないね」

「先生じゃなくて私の魔力ですか? 少なそうなのに」


 ゾリューは妖しく微笑んだ。花の香りが強くなる。月明かりでゆらめく瞳から、目が離せなくなる。


「君の魔力は、とても素敵な香りがするんだ。どんな魔獣も夢中になってしまうくらいにね。――僕も君に夢中なんだ」


 瞳がさらにゆらめき、吸い込まれそうになる。


「君の望みは叶えた。今度は僕の望みを叶えてもらおう」


 ゾリューは私の腕を取ろうとして、私の後頭部で三つ編みを噛んで震えるヒヨさんに意識を向けた。


「お前はフレイナが可愛がっているから見逃してやる。その代わり僕の邪魔はするな」


 ヒヨさんをすっと私から引き離すと、眠る先生の上に放り投げた。


「ヒヨさん!」


 ヒヨさんは鳴きもせずに、先生のお腹に顔を埋めた。


「賢い子だ。身の程をわきまえている」


 ゾリューは薄く笑って私の両腕を取ると自分の方に引き寄せた。そして、身をかがめて顔を寄せる。


「ウリオンを助けて失った分の魔力を頂くよ、いいね」


 それから、と耳元で囁く。甘い花の香りが私を酔わせる。


「君の心を僕の魔力で満たしてあげるよ。君も、こちら側においで」


 金縛りにあったかのように動けない。ゾリューは優しく私の頬を両手で包むと、片手をするりと下ろし、腰を抱きかかえた。もう片方の手を後頭部に回し、三つ編みを強くひっぱる。


「っつ!」


 そのまま私を強く仰向かせ、喉元に唇を押し当てた


 熱い、焼けた石を押し付けられたような熱を感じる。身をよじろうとしても腰をしっかり抱きかかえられていて動くことができない。両腕でゾリューの胸を押し返そうとしたところで、痺れるような心地良さが全身を駆け巡った。


 魂が解き放たれるような開放感と、ゾリューに全てを包まれるような、全てを委ねたくなるような陶酔感。


 怖い、このままではいけない。その思いと、そのまま全てを委ねて楽になりたい気持ちが心の中で暴れる。


 その瞬間、優しい瞳が頭をよぎった。


「先生」


 暖かい眼差しが注がれる、フレイナ、と呼ぶ声が聞こえる。


「先生、先生!」


 私はしっかりと両腕でゾリューの胸を押し戻した。


「ああ、フレイナ、君は最高だ。でも――彼は邪魔だなあ」


 ゾリューの漆黒の瞳が、楽しそうにゆらめいて光る。


「僕には時間がある。人間のやり方で、ゆっくり心を頂くのも面白いかもしれないな」


 ゾリューは妖艶に笑うと、もう一度三つ編みを強く引っ張り、私の喉元に口づけた。

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