愛の終わりに(終)

「フレイナ、大丈夫?」


 揺さぶられて目を開くと、ゾリューが心配そうに私を覗き込んでいた。いつの間にか気を失っていたようで、私は地面に横たわっていた。ウリオンが私の魔力を吸ったのだろうか。


「ゾリュー、ウリオンは?」


 ゾリューは勢いよく半身を起こした私に安心したのか、表情を緩めて立ち上がる。


「君の魔力では足りなかったんだよ。先生の魔力も吸って、僕の魔力も少し吸ってから、立ち去ったよ」

「ウリオン、元気になった?」


 にっこり笑って私を立ち上がらせ背中の土ぼこりを払ってくれる。


「うん、元気そうだった。それから、ウリオンの体でも人間の言葉をしゃべったよ」

「え? 何て言ってた?」

「もう、巫女の祝詞はいらないって。ジュリエッタからもらった祝詞を忘れずに生きる。これからもこの町を守るから安心して欲しいって」

「良かった⋯⋯」


 ウリオンが死んでしまったら、ジュリエッタさんの祝詞が消えてしまう気がして怖かった。助かって良かった。


「くっ、何が起こった」


 先生がゆっくり起き上がって、頭を押さえて呻いた。なぜか先生のお腹の上に乗っていたヒヨさんが『ムマっ』と鳴いて、今まで見た事が無いような素早さで地面を移動して私によじ登り、後頭部に回って三つ編みに噛みついた。


「ムマっ、ムマっ」


 辺りを見回す先生に、ゾリューがもう一度状況を説明した。


「ジュリエッタさんは?!」


 3人で確認したけれど、やっぱり息は無かった。命は完全に身体から抜けてしまっている。


「先生、赤ちゃんだけでも助かりますか?」


 先生は厳しい顔を横に振った。


「母親の腹がふくらんでいないような状態の赤ん坊は、生きることが出来ない」


 もう少しで生まれる予定だという状態なら、医者が全力を尽くせば生きられる可能性はある。でも、こんなに小さくてはどうにもならないそうだ。


 私は跪いて、ジュリエッタさんの手を取った。安らかな表情を浮かべている。ウリオンと一緒に大勢の人の命を奪っていたとしても、彼女が奏でる旋律の美しさは変わらない。もう二度と聞けない、そう思うと私は悲しくて涙が止まらなかった。


「僕は人を呼んで来る。君たちはここで休んでいて」


 ゾリューは広場を走り、山を下りて行った。


 先生もぼんやりとした顔でジュリエッタさんを眺めている。


「先生、魔獣と人間は心を通わせることが出来るんですね」

「そうだな。人型になれる事も知らなかった。あんなにウリオンに憧れてきたのに、何も知らなかった」


 先生が寂しそうだ。


「先生でも、知らない事があるんですね」


 私の言葉に、先生は困ったような顔で笑う。


「知らない事の方が多い。――だからお前も、俺よりもっとすごい人間は大勢いるって学べよ?」


 私は知っている。世界中どこを探したって絶対に先生より素敵な人はいない。知らない事があるくらいで、先生の魅力は損なわれない。


「俺の事を好きとかカッコイイとか言わなくていいんだ。そんな事を言わなくても、ちゃんとお前が一人で歩けるようになるまでは一緒にいてやるから安心しろ」


 先生は知らない。私が一目見た時から先生が好きだと思った事を。拾ってくれる前から好きだった事を。一緒にいてくれるから好きなんじゃない、一緒にいて欲しいから好きって言ってるんじゃない。


 でも、この気持ちを上手く伝える自信がない。私はあふれる想いの中から、伝えたい事を一つだけ選んだ。涙を拭って顔を上げる。


「ありがとうございます。でも私は一人で歩けるようになっても、先生から絶対に離れませんからね!」


 先生は困ったような顔をして、優しく笑ってくれた。


 やがて、ゾリューが依頼人を連れて来た。他にも数人いる。私たちが話を聞いた医者もいた。彼らはジュリエッタさんの遺体と、斧を投げつけた男の遺体を確認した。


 先生は、ウリオンが人型になった事を含めて全てを説明した。ジュリエッタさんの想いも赤ちゃんの事も、本当に全て。依頼者たちは沈鬱な顔で話し合っていた。


「この事は、誰にも話さないで欲しい」


 誰一人、ジュリエッタさんの悲しい愛に同情を示さなかった。巫女がいなくてもウリオンが町を守る、そのことが分かった途端、露骨に安心した顔を見せる。祭りが無事に続けられて、人々が町に来てくれれば何も問題ない、巫女なんて忘れてしまえばいい、そういう本音を隠そうともしなかった。


「人間より、魔獣の方が愛を知っているんじゃないか?」


 ゾリューが憎々し気に、町の有力者たちを見ながら吐き捨てた。私と先生だけに聞こえるように。先生は聞こえないふりをして、黙っていた。


 祭りの終わりを待って、ジュリエッタさんの身体は埋葬される事に決まった。祭りの間に目立つことをしたくないのだそうだ。


 山にある彼女の家の裏手にひっそりと代々の巫女と家族が眠る墓地がある。埋葬までの数日間、私は祭りには行かず、毎日ウリオンの石祠で過ごした。先生に買ってもらった『魔獣をめぐる物語』を抱えて、ぼんやりと石像を見て過ごす。


 先生が隣に座ってくれる事がある。ゾリューが一緒にいてくれる事もある。


 ゾリューは先生がいない時に言った。ジュリエッタさんの遺体を確認した医者に聞いたところ、彼女のお腹に赤ちゃんはいなかったそうだ。


「私、ジュリエッタさんとウリオンと、赤ちゃんの3人で幸せに暮らして欲しかった」

「うん」

「それって、すごく良くない考えだよね」


 ジュリエッタさんに人間の法律に従うよう促した先生。とても正しい先生。あの時の私は見逃してあげたい、そう思っていた。ウリオンが男を殺すのを、とっさに止めてしまった事をとても後悔している。


「魔獣と人間が心を通わせて幸せになる姿、僕も見たかったな。先生は人間の犠牲の上に成り立つ幸せなんて、認めてくれないだろうけどね」


 私とゾリューは視線を合わせて、ほほ笑んだ。


『かのみを たかみかしこみ

あまたのわざわいも いきはばかり

このちの しずめともぬしともたからとも

すべてきみが たいらぐとしらしめん

われらあおぎこいのみ ふしてぬかづき かしこみまおす』


 私は何度も心の中で祝詞を歌った。ウリオンが抱える記憶を汚さないよう、この祝詞を二度と口には出さないつもりだ。 


 祭りが終わった後、忙しさを理由に動こうとしない町の有力者に、先生は少し厳しい口調で埋葬を促したようだ。私は交渉に連れて行ってもらえなかったけれど、一緒に行ったゾリューは『あれは脅迫って言うんだよ』と苦笑していた。


「彼女の魂が、ウリオンと共にありますように」


 ジュリエッタさんと一緒に、彼女の家の壁に掛けられていた男性用の長衣を埋葬した。花を手向けて、私たちはそれぞれ彼女に別れを告げる。


「さて、報酬はたっぷり頂いたし、しばらくは好きに旅が出来るな」


 先生がわざと明るく言った。口止め料も上乗せされて約束以上の額をもらえたと言って、ゾリューにもいくらか渡していた。


 私は珍しい果物を買ってもらい、ヒヨさんと分け合って食べながら、先生に付いて歩く。


「次はどこに行きますか?」


 先生はうーん、と考え込んだ。


「僕はゴンドドを見に行きたいな。ムチムチしていて顔は可愛いって聞いたんだ。見てみたくない?」

「ゴンドド! 本に載ってた、大きなおっきな芋虫!」


 そうそう、とゴンドドの色について話を始めるゾリューを制止して、先生は足を止めた。


「お前、まだ付いて来るつもりなのか! もうウリオンの事は解決したから、自分の好きな所に行けばいいだろう」


 ゾリューは首をかしげて、にっこり爽やかに笑った。漆黒の髪の毛が、さらりと流れる。甘い花の香りが鼻をくすぐる。


「だから、一緒に行くんですよ! 先生とフレイナと一緒にいるのは楽しいですから」

「何だろう、すごく面倒臭い気がするから嫌だ」


 渋い顔をする先生に、ふふっと笑ってゾリューが耳打ちする。


「僕は魔獣に詳しいですよ。実は僕の家系には、魔獣に詳しい人がたくさんいるんです。だから、僕もその知識を受け継いでいます。門外不出の知識ですけれど、少しだったら先生に教えて差し上げてもいいですよ」

「何か信用出来ないな」


 ふう、とゾリューはため息をついてから、『仕方ないなあ』と、ポケットから何かを掴み出した。それを先生の目の前に突き出す。


「何だと思いますか?」


 先生はゾリューの握った拳からはみ出したものを観察した。


「まさか! お前、いつの間に!」

「ふふふ、欲しいでしょう」

「何ですか? それ、何ですか?」


 私もゾリューの腕にしがみつくようにして拳を覗いた。


「これ! ウリオンの毛!」


 半透明な毛が風にそよぐ。先生の目が釘付けになっている。


「ウリオンがお礼にくれたんですよ」

「お礼なら、魔力をやった俺にもフレイナにも、もらう権利があるな!」


 ゾリューは、すっと拳をポケットに戻した。


「嫌ですよ。僕がもらったんだ。⋯⋯でも、一緒に旅をする仲間になら分けてあげてもいいかな」

「何だと! お前、ずるいぞ!」


 先生はしばらく悔しそうにしていたけど、ウリオンの毛の誘惑には勝てなかったようだ。


「よし、分かった。ゾリュー。一緒に旅をしよう」

「ははは! 僕の作戦勝ちですね!」

 

 先生はウリオンの毛をもらって嬉しそうだ。きっと今日の夜はこれに夢中になるはず。お勉強はお休みだ、私も嬉しくなる。


「ところでゾリュー、ギードに捕まらずに姿を観察する方法を考えてみたんだが聞いてくれるか」

「また随分と恐ろしい事を考えますね」


 あれこれ言いつつ、先生はゾリューと話すのを楽しんでいるようだ。私もせっかく出来た友達と別れなくて済んで嬉しい。


(でも何だろう、あまり近づいてはいけない気がする?)


 まあ、いいか。次はどんな所に行って、どんな魔獣に出会えるか。想像するだけで心が浮き立つ。


「まじゅうーさん、まじゅうーさん、待っててくれてる、まじゅーうさん、今から行くです待っててねえー」

「ムマっ」


 私は果物を食べ終えて空になった入れ物を街角の屑籠に放り込むと、鼻歌を歌いながら、先生とゾリューを追いかけた。


(終)

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