ポニポニ草は食べ物ではない
家に着くと、ガリードさんはランタンで照らして中を観察し始めた。私を魔獣に近いと言っていたので私の生態も研究しているのかもしれない。父は昼間にお酒をかなり飲んだようで、ぐっすり眠っている。
観察すると言っても家の中には物がほとんど無い。父と私の寝床、机代わりの木箱。その上にお酒の瓶と皿に残ったパン。少しだけ持っている服や持ち物を入れている木箱。それが全て。
(ポニポニ草が見たいんでしたっけ?)
私は熱心に観察しているガリードさんを残して家の外に出た。裏手にまだ生えていたポニポニ草を一束摘んで家に戻る。
「ガリードさん、これがポニポニ草です」
「これは、カラビじゃないか! こんなもの苦くて食えたもんじゃないだろう?」
「お湯に入れて浮いてきた泡を取り除くと、ちょっと苦いですけどスープになりますよ」
「ならん!」
ガリードさんは、そのまま外に出た。そして目の前の川を指さす。
「お前が風呂代わりにしている川は、これか?!」
「はい! そうです。山の岩を砕いたら、また魚が戻りますかね」
ガリードさんは川を見つめたまま、静かな声で言った。
「――もし、父親が元気に働いていたとしたら、お前はやりたい事やなりたいものがあるのか?」
(もし、お父さんが元気だったら)
何度も考えてきた事だ。もし、母が生きていて、父が元気だったら。
「私は、旅に出てみたい。見た事がない景色を見て、生き物を見て――色々な事を知りたいです」
ガリードさんは私を見て優しく笑った。私は笑った時のガリードさんの目がとても好きだ。心臓がぴょこぴょこ踊り出す。
「――明日は1日、山の中で作業だ。疲れるから早く寝て、また明日の朝に来い。カラビ⋯⋯ポニポニ草は食うなよ?」
◇
翌日は村長が集めた数人の若者達と山に登った。若者達は詰まった岩を上から少しずつ崩してどけていく。
その間にガリードさんと私は裾野の方のヒューリエの住処の調査をした。巣に嫌う匂いの香草を蹴り込んでしまったので、この巣は捨てたようだ。近くにいるかもしれないので、用心しながらの作業になる。
巣の大きさを測って記録する。巣の周りの食べ残しや糞を探し、どのくらいの距離に何が落ちているかも記録する。
「お前、ケノミって何だ? 木の実のことか? クダモモって何だ? 果物のことか!」
「えへへ、ちょっと違いましたかね」
文字は読めるけど書くのが少し苦手だ。ガリードさんに記録帳を取り上げられてしまった。
夕方頃に、ゴオーっという音がしたと思ったら、小川が流れ始めた。どうやら詰まった岩が取り除かれたようだ。
(もしかして⋯⋯)
満足そうに小川を眺めるガリードさんに聞いてみる。
「お仕事、⋯⋯もう今日で終わりでしょうか」
ガリードさんのお仕事は魔獣の害を無くすこと。原因になっていた小川も流れ、排水された山頂付近には近いうちにヒューリエが帰るだろう。村長さんからの依頼は果たした事になる。
ガリードさんは少し黙った後に言った。
「ヒューリエは、臆病だからなかなか姿を現さない。巣穴を特定して調査出来るのは貴重な機会だ。だから、もうしばらくここにいて調査をするつもりだ。その間、手伝いを頼めるか?」
(嬉しい、まだお仕事させてもらえる!)
「はい、喜んで!」
嬉しそうに笑う私に、ガリードさんも笑顔を返してくれた。
◇
「ヒュ、ヒュ、ヒューリエ、ひゅうひゅうヒュー。緑の毛皮がステキだなー。あーかいおめ目は見えませんー」
「おう、これは、いい毛並みだ」
数日経って調査も慣れて来た。最初は私が作った歌を口ずさむ度に、ぶつくさ文句を言っていたガリードさんも、今日は山の中でヒューリエの死体も見つけてご機嫌だ。魔獣の死体は、なかなか見る機会がないらしい。どうして死んでしまったのかを宿でじっくり調べるそうだ。
「宿屋の親父には見つからないようにしないと、追い出されそうだな」
確かに、死体の解剖は嫌がられそうだ。
1日の調査を終えて、二人で村に戻ろうと入り口に差し掛かった所で、大声で呼び止められた。
「おい! フレイナ、どこ行ってた!」
よろず屋の主人だ。
「ガリードさんと山に調査に行ってました」
「もう、魔獣の件は解決したんじゃないのか?」
主人がガリードさんに向かって聞く。
「魔獣の害は無くなったが、俺はまだ学者として調査をしている。この子には、その手伝いを頼んでいる」
(もしかしてご主人、女の子だけど仕事を頼んでくれるつもりだったのかな)
男の子じゃないと仕事をくれないというのは余計な心配だったのかもしれない。しかし、主人は後ろにいた男に声をかけた。
「旦那、この子だ。この前言った女の子」
男は私の前に立ち、上から下までじっと眺めた。
「フレイナ、お前、風呂に入れてやったのにまた汚れてるじゃないか。旦那、風呂に入れて洗った時は、もっとましだったんだ。髪の毛ももっと綺麗な金色で⋯⋯」
よろず屋の主人の言葉が耳に入らないかのように、男は私を見続ける。
「回れ」
(回れ?)
きょとんとする私の肩を掴んで、よろず屋の主人が私をくるんと1周り回転させる。
「足を見せろ」
「ひゃあ!」
主人が屈んで、私のズボンを膝までまくり上げた。急にまくられて驚いてひっくり返りそうになる。
「おい!」
様子を見ていたグレイドさんが、さすがに主人の手を止めてくれた。
「悪くないな。10万リラだったな? いいだろう」
「まいどあり!」
男の言葉によろず屋の主人が嬉しそうに答えた。
「フレイナ、お前、学者さんの仕事が終わったら、この人と町に行くんだ。お父さんに話そうと思ったけど、家に行って声をかけても起きやしない。この人は、女の子でも出来る仕事を紹介してくれるんだ。町には女の子が出来る楽で素敵な仕事がたくさんあるぞ」
「でも、お父さんが⋯⋯」
「だから、10万リラだ。俺も紹介料として少し分けてもらうが、お父さんに、それだけ置いていけば当面は暮らせるだろう? 使い切る前に町で稼いだお金を持って帰ってくればいい」
「10万リラ!」
「大した金額だろう?」
確かに腰が抜けそうな大金だ。少し多めに酒場にお金を渡しておいたら、父が取りに来た時に酒を渡してくれるだろう。パン屋にも、お金を預けておけば良いだろうか。
見知らぬ男は、ずっと私に粘ついたような視線をまとわり付かせている。不快だと思う気持ちを振り捨てる。
「分かりました。ガリードさんのお仕事が終わったら行きます」
「待ってるからな」
よろず屋の主人と男は店の中に戻って行った。ガリードさんは、私の顔を見て険しい顔で何かを言いかけてから、視線をそらして口を閉じた。
「ガリードさん、大丈夫ですよ。楽な仕事じゃないって、ちゃんと分かってますから」
ガリードさんが痛ましげな目を私に向ける。
「よろず屋の前に立っていると、自然と村に出入りする人を見る事になるんですけど、たまに、あの方みたいな人と村の女の子が出て行くことがあります。見送った後の家族は、大抵泣いています。そういう子は、もう二度と戻ってきません。
危険な仕事なのか、閉じ込められてしまうのか分かりませんが、ご主人が言うような楽でステキな仕事ではないのでしょうね」
ガリードさんは黙ったままだ。否定しないということは恐らく、大人で世の中を知っているような人には分かる辛い仕事なのだろう。
「でもね、ガリードさん。辛い仕事でも紹介してもらえただけ幸いでした。よろず屋の息子のミリーは、私より年が下なのに、どんどんたくましくなって力仕事が出来ます。私はなかなか力が強くなれないから、出来る仕事が無くなってきました。あのまま男の子として暮らしていたら、いつか飢え死にしてしまっていたはずです」
私は、えへへ、と笑った。
「ガリードさんのお仕事が終わるまで、私、頑張りますからね」
ガリードさんを置いて、私は村の中に向かった。
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