お前は誰だ?

 今日も朝から宿屋の前でガリードさんが出て来るのを待つ。ガリードさんは昨日のように、ちょっと眠そうな顔をして出て来て私を見た途端、大きく目を見開いた。


「お前! フレイナか?!」

「えへへ。驚きましたか? 何と昨日の夜、お風呂に入ったのです!」


 ガリードさんから昨日、帰りによろず屋に寄って、もうミリーは必要無い事を告げるよう言い付けられていた。よろず屋に寄ると、主人に命令された奥さんに無理やりお風呂に入れられてしまった。


「何て汚いの! こすってもこすっても汚れが落ちないじゃない!」


 お湯に浸ける、こする、を何度も何度も繰り返し、髪の毛も丁寧に洗ってもらった。奥さんの奮闘の末に、私は村の女の子のようになった。肌は白くなり、髪の毛も茶色から金色に変わってさらさらしている。


「ほう。これは⋯⋯」


 主人は目を細めて、私をじろじろと眺めた。そして、いつもと比べ物にならないくらい優しい声で私に言う。奥さんは険しい顔をして下を向いていた。


「魔獣学者先生の仕事が終わったら、またここに来なさい。いい仕事を紹介してあげるから」

「ありがとうございます!」


 経緯を話しながら、私は髪の毛を編んで三つ編みにした。さらさらになったので見せたかっただけで、このままでは動きにくい。やっぱり三つ編みが一番だ。


「あざが、余計に目立つようになってしまったな」


 よろず屋で鏡を見せてもらった時に、青黒いあざがくっきりついているのを見た。でも、もう痛くないので大丈夫。


「それにしても、肌も髪も色が全然違うな。普段、ちゃんと風呂に入っていたのか?」

「お風呂は、もうずっと入っていません。でも、ちゃんと川で体を洗ってましたよ」

「⋯⋯お前は人間よりも魔獣に近い生活をしているな」

「なるほど! 私が魔獣に近いから、魔獣学者のガリードさんは私に親切にしてくれるのですね!」

「⋯⋯そうか。⋯⋯そうなのかな」


 ガリード先生が何かを考え始めてしまった。


 朝食の後、ガリードさんの宿の部屋で、今日使う予定の香草をまとめる作業を行った。ヒューリエは学習能力が高いので、一度嫌な思いをすると覚えるそうだ。だから、村の周りの数か所で強めに香草を焚いて村に近寄らせないようにする。


「でも、気になることがある。香草を焚き終わったら、もう一度山に行こうと思う」


 ヒューリエは本来、もっと山の高いところで暮らす事が多い。それが、こんな裾野まで降りて来ている事が気になるそうだ。


 予定通り香草を焚き、そのまま山に向かった。昨日見つけた巣の辺りに行く。ガリードさんはまた襲われたら困るからと、私に強い香り玉を3個も持たせてくれた。


 昨日ガリードさんが香草の束を蹴り入れたせいで巣は空になっていた。深めの穴がぽっかり口を開けている。


「この巣は新しい。その前に、どこからか移動して来ているということだ。ヒューリエは定住を好むから、今回俺がやったように、何か前の巣穴に住めなくなる事が起こったという事だ」

「山の高い所に住めなくなった理由があるかもしれない?」

「そうだ」


 ガリードさんが、空になった巣穴から山頂の方を見上げる。そして少し移動した。


「小川の跡があるな。今は水が無いようだが、この山は冬に雪が積もるか?」

「この山は雪が降りません。なので、雪解けの季節だけ川が出来るという事はないです。でもそういえば⋯⋯冬になった頃から、うちの前を流れる川の水が減りました。川の水が多い時には、たまに魚が捕れたんですけど、水が減ってからは魚がいなくなりました」


 先生が小川の跡を、山の麓に向かって目で追った。


「この小川は、お前の家の前の川に繋がっているか?」

「たぶん、繋がっています」

「冬頃に小川の上流で何かがあったという事か」


 二人で小川の上流を目指して山を登る事にした。ゆるやかな山とはいえ、山頂に近づくにつれ岩が多くなり歩き難くなる。小川の跡は次第に岩肌を削った広い通路のようになって行った。大人二人が手を広げたくらいの広さの通路を進んで行くと、急に進めなくなった。


「――これか!」


 行き止まりは、大きな石が何個も通路に詰まって出来たものだった。石の隙間から、ちょろちょろを水が漏れている。見上げると、行き止まりの向こうには水がかなり溜まっているようだ。


「上に行ってみるぞ」


 通路を作っている岩の上に登れそうな道を探して少し戻る。隙間を見つけて、岩の上に登ると辺り一面が水浸しになっていた。


「池みたいになっていますね!」


 木の枝を突き刺して測ってみたところ、それほど深くはないようだ。歩けそうな浅い所を探し、ガリードさんがが水に沈んだ地面を調べた。やがて、大きい木の根元に大き目の穴を見つける。


「中が確認できないが、恐らくこれがヒューリエの元の住処だろう」


 石が詰まって元の住処が水浸しになってしまい裾野まで降りてきてしまったというのがガリードさんの見立てだった。


 山を降りて、村長の家に報告に行く。ガリードさんは村長の家の中まで私を連れて行ってくれた。


 村長は話を聞いて記憶を探るように視線を泳がせた。


「なるほど⋯⋯。冬頃の大きな地震で山の上に岩崩が発生し、猟師が何人か危ない目にあったことがあります。その時に詰まったんでしょうな」


(そういえば、夜中に大っきな地震があって、お酒の瓶がひっくり返ってしまった事があったっけ)


「それを退かしたら、魔獣の奴らは山の上に戻りますかね」

「絶対にとは言えない。ただヒューリエにとっては、今の巣の位置よりもっと高い地域の方が暮らしやすいはずだ。同じ場所で無くとも、村よりは離れた所に移動するはずだ」


 小川を復活させることで元の住処辺りの排水を行い、また暮らせるようにする。その後で、今の住処辺りで香草を焚く。追いやられたヒューリエが山頂付近まで戻るのではないかというのがガリードさんの仮説だ。


「分かりました。明日、村の若い者を数人集めます。すみませんが先生、明日案内をお願いします」


 明日の朝、また村長の家に来ることにして外に出た。もうすっかり日が落ちて暗くなっている。


「暗いから、送ってやる」


 グレイドさんの気持ちは嬉しい。けれどお断りする。


「買い物をして帰らないといけないので一人で大丈夫です」

「買い物? パンか?」

「パンは、昨日買ったからまだあります。⋯⋯えっと、お酒です」


 父のお酒がもう無くなっているはずだ。買って帰らないと、お金を持たない父が村まで行って騒ぎを起こしてしまう。


「分かった。お前が言っていたポニポニ草が見てみたいから、酒屋に行った後に家に行くぞ」


 酒屋は村の中心地にある。食堂、宿、服屋、色々な店が連なる中、酒場の片隅に持ち帰り用に分けてくれる売り場がある。普段は昼間に来るので、こんなに酒場が賑わっている時間に来るのは初めてだ。


「――こんばんは」


 恐るおそる中を覗くと、中では赤い顔をして酔っぱらっている人や、大騒ぎをしている人達がいる。そっと通り抜けて、お酒を分けてくれるカウンターまで進んだ。後ろから黙ってガリードさんが付いて来る。


「あの、小さい方の1瓶分頂けますか?」

「はいよ、500リラだよ」


 一昨日、ガリードに頂いたお金から500リラを支払う。瓶を受け取ると店員がじっと私を見つめた。


「おや⋯⋯あんた! あの村はずれの飲んだくれの子供じゃないか! あんた、女の子だったのか!」


 店員が大声で言う。それにつられて周りで飲んでいた酔っ払いが数人、こちらを振り返った。


「ああん? あのむかっ腹の立つ奴の話をするのは誰だ?」


(まずい。さっさと帰らないと)


 父は、村に来てすぐの頃にこの酒場で大騒ぎをしてしまい、ここには二度と立ち入るなと言われている。だから私が代わりにお酒を買いに来ている。きっとこの酔っ払いと父には、何か諍いがあったのだろう。


 私がささっと帰ろうとしているのに、酔っ払いは許してくれなかった。私の前に立ちはだかり、じろじろと眺めてくる。


「はーん、ガキがいるのは知ってたが、女だったのか。よく見りゃ、可愛い顔してるじゃないか。なあ、あんた。父親がまたここに来れるよう、俺が店主に口添えしてやろうか」

「いえ、必要ありません」


 息が酒臭くて気持ち悪い。


「つれないこと言うなよ。ほら、ここに座って。一緒に酒を飲んでくれればいいんだ。うん? 俺の膝の上の方がいいか?」


 酔っ払いはニヤニヤ笑って自分が座っていた椅子の隣を指す。


「いえ、私急いでるので、帰ります」


 酔っ払いの横をすり抜けようとすると、酔っ払いが私の腕をつかもうとして手を伸ばした。


「失礼、この毛皮もしかしてウリオンか?! すごいな、まさかあんたが狩ったのか?」


 ガリードさんだ。私と酔っ払いの間に入り、酔っ払いの上着を指さして大きな声で言った。酔っ払いは虚を突かれたような顔をして、自分の上着に飾りとして縫い込まれた毛皮を見る。


「いや、店で買ったんだが⋯⋯」

「そうか。それにしても、ウリオンを縫い込んだ上着を着ているなんて、あんたすごいな。憧れるよ」

「え? 憧れる? へへ、これはだな⋯⋯」


 ガリードさんが私に目で合図する。私はその間に、お店の外まで逃げ出した。店と隣の店の隙間に入り、瓶を抱きかかえて、しゃがみ込んだ。胸の鼓動が激しくなっている。


(何か、怖かった)


 お酒を飲んだ時の父も、あんな風に大声で話す。死んだように動かない普段と違って獣に近い暴れ方をしたりする。私は瓶を地面に置くと、地面の土を手に取って顔になすりつけた。女の子とバレてから、よろず屋の主人も、さっきの酔っ払いも、嫌な目つきで私を見る。


 ふと人影を感じて目を上げるとガリードさんが立っていた。黙って私の横の瓶を拾い上げる。そういえば、ガリードさんは私が汚い男の子の時も、汚れが取れた女の子の姿でも態度が変わらない。


「ほら、用は済んだだろう。お前の家に行くぞ」

「ありがとうございました」

「何がだ。ウリオンの毛皮は、本当に貴重な物だ。あれは絶対に違うがな。俺は一度だけ、生きているウリオンを見たことがあって――」


 ガリードさんは、私に魔獣ウリオンの話を聞かせながら、家まで送ってくれた。

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