香草屋の近くには魔獣がいるかもしれない
翌朝、朝食を終えた私たちは2階の部屋に戻ると、売り物用の香草を準備した。
「前の村で作って来た分は、全て売ろうと思う」
魔獣によって好んだり嫌ったりする香草がある。乾燥させた香草は、小型の魔獣除けとして使われたり、逆におびき寄せる為に使われたりするので売り物になる。
たくさん摘んで、数日乾燥させたものを持って来ていた。先生と私が分担して運んでいたものを、種類ごとに紐で縛って大きな袋にまとめて入れた。乾燥させた香草は、干し草のような香りを辺りに振り撒く。
この宿屋は部屋が狭いから、荷物を広げると足の踏み場が無くなってしまう。香草をまとめた袋はの寝台の上に乗せた。
「先生、ポグーの糞はどうしますか?」
先生は少し考えた。昨日聞いた時にも、まだ迷っていた。
「臭いから手放したいんだけど、使うかもしれないしなあ」
ポグーという魔獣の糞には魔力が含まれる。土に混ぜると肥料になるので高く売れるし、他の魔獣をおびき寄せる事にも使えるので、持っておいてもいい。この街に来る前の村で、うんとたくさん集めて来た。
使い道はあるけど、とても臭い。しっかり乾燥させても、1日中歩いた後の足のような、ひどい臭いがする。臭いを打ち消す効果がある香草を編み込んだ袋に入れているのにリュックを通り越して部屋の中にまで臭いが漏れ出ている。
ちなみに1日中歩くと、私よりも先生の足の方が臭くなる。そんなところも私よりも優れている。さすがだ、先生。
「よし、決めた。やっぱり売らないで持っておこう。その代わりにもう1枚袋を買って、もっとしっかり包むことにする。フレイナ、お前からすごい臭いがするからな」
「え! リュックと離れても臭いが移ってますかね」
「ああ、風呂に入った後でも少し臭いぞ」
「あらまあ。⋯⋯ま、いっか」
「いいのか⋯⋯。じゃあ、引き続きお前が持ってくれ。俺は嫌だ」
先生が少しだけ申し訳なさそうな顔になった。
他の人には『この子お風呂入ってないな』って思われるかもしれないけど、先生がそう思わないのなら、全く気にしない。だいたい先生は、私がお風呂なんて入らずに、毎日川で水浴びをして暮らしていた頃を知っているから、少し臭くたって気にしないと思う。私の先生は、とても広い心を持っている。
私は大きな袋を持ち、先生の後に続いて外に出た。
宿で教えてもらったお店がなかなか見つからない。しばらく探して多くの店が立ち並ぶ通りから少しはずれた路地に、ひっそりと佇む香草店を見つけた。
扉を開くと、重い鐘の音が鳴り響いた。奥から『いらっしゃいませ』という、老人のしわがれた声が聞こえる。
店内は少し狭い。私は抱えていた香草の袋を先生に渡した。先生は少し背が高いカウンターにそれを乗せて店内を見渡す。
「はいはい、いらっしゃいませ」
声から想像したよりも、体の大きい老人が出て来た。ゆっくりとカウンターまで歩み寄ると『よいせ』と声を出して椅子に座る。
「香草を買い取ってもらえると聞いたが、ここで良かったか?」
先生の言葉に、店主と思われる老人はニコニコと愛想を振りまく。
「この町では、ここでしか魔獣用の香草は取り扱っておりませんよ。あなた方が売りたいのは、この袋の香草で宜しいですか」
先生が店主の為に袋を開いた。ふわっと干し草の香りが広がる。
「これは⋯⋯育ちもちょうど良いですし、乾燥具合も完璧だ」
次々を束を取り出してカウンターの上に積み上げて店主は満足そうに微笑んだ。『これは珍しい香草だ』などとつぶやきながら、紙を取り出して何やら書き記している。
「ん? 魔獣の糞もお持ちですかな」
袋の中を覗き込んで、不思議そうな顔をする店主に先生が苦笑して答える。
「いや、同じ所に保管していたから臭いが移っただけだ。魔獣の糞は持っているが、売る予定はないんだ」
店主は袋の中に顔を近づけた。
「とても質が高そうな糞の臭いがしますね。もし売る気になったら、高く買い取りますからお持ち下さい」
先生は香草の値段と共に、魔獣の糞の値段も聞いていた。『売れば良かったかな』と言っているので、高く買い取ってもらえるようだ。
先生と店主が話し込んでいる。退屈した私は扉を開けて店の外に出た。大通りの賑わいは聞こえるけれど、この辺りの人通りは少ない。私は店の外から建物を眺めた。村と違って1軒ずつの建物ではなく、横に連なっている。長い建物には扉がたくさん並んでいて、それら全てがお店の入り口らしい。
(ここでは、何を売ってるのかな)
窓から覗くと、服や靴が並んでいたり、食器が並んでいたり、何に使うか分からないような道具が並んでいたり、村では見た事がないようなものばかりだ。
大通りからは外れてるとはいえ、ひっきりなしに、どこかの扉が開き、人が出入りをしている。その度に扉ごとに違う鈴の音が鳴り響いている。
「ムマっ、ムマっ、ムマっ!」
眠っていたヒヨさんが急に鳴き出した。珍しく体を大きく揺らして、肩の上で左右の足を交互に踏みしめている。ヒヨさんは他の魔獣を見つけるのが上手だ。どこかに魔獣がいるのかもしれない。
(小さいのがいるのかしら。ネズミっぽいのとか?)
捕まえて先生に見せたい。私は下を向いて辺りを探した。石畳には隙間があり、建物と地面の間には、所々穴が開いている。
「ちゅ、ちゅー、ちゅ、ちゅー、ねずみさんったらマジューですかい、マジュー、じゅー!」
鼻歌を歌いながら、穴や隙間を覗き込んで歩いていると、どすん、と誰かにぶつかった。相手に腕を掴まれる。
「わっ! ごめんなさい!」
衝撃で目が回りそうになった。地面が揺れたように感じて足がふらつく。そんなに強くぶつかったつもりはなかったけれど、ずっと下を向いていたせいかもしれない。
「これは、すごいな⋯⋯。あ、ごめんね、大丈夫?」
目を上げると青年とも少年ともつかない年齢の男性が、転びそうな私を気遣うように支えるように、腕をつかんでくれていた。私は慌てて自分の足で立つ。
「ありがとうございます。もう大丈夫です。下ばかり見ていたものですから、ごめんなさい」
「ムマっ! ムマっ!」
私が不安定な動きをしたせいか、ヒヨさんが一層強く鳴き、体を震わせて暴れる。男性は優しく笑うと私の腕を離してくれた。笑うと少し少年のような顔になる。私と年のころは同じくらいかもしれない。
「君は、変わった動物を連れているんだね。⋯⋯それは、魔獣?」
「あ、はい。正体が分からない魔獣です」
男性は夜の闇のように真っ黒な瞳でじっとヒヨさんを見つめた。ヒヨさんが私の肩の上を移動してギュッと首筋にくっついて、私の三つ編みを噛んだ。
「ヒヨさん?」
「うん、それでいいよ」
男性は人は独り言のようにつぶやくと、私に視線を向けた。
「変わった魔獣を珍しがって欲しがる人もいるから、人が多い所では布か何かを巻いてあげて隠した方がいいんじゃないかな」
「あ!」
薄い布を巻いていたはずが、ヒヨさんが騒いだ時に取れてしまっていた。見回すと少し先に水色の布が落ちているのが見える。風で飛ばされそうだ。
「ああ、あれを巻いていたのか」
男性は私の視線を追って布に気付くと、軽やかに布を追いかけて拾ってくれた。
「ありがとうございます!」
布を受け取ってヒヨさんに巻こうとした。ヒヨさんの顔だけ出すと、薄緑色をした少し突き出た口が目立つので、大きいトカゲでも連れているように見える。魔獣だと気づかれた事はない。
ヒヨさんが頭の後ろにいるので、上手く巻けなくて苦戦していると、男性が手を貸してくれた。
「とってもありがとうございます!」
男性は柔和な顔に甘い微笑みを浮かべて、じっと私を見た。漆黒の瞳が強く輝き飲み込まれそうな気持ちになる。
「じゃあ、またね」
男性は黒い髪の毛を、さらっと手でかきあげると、優雅な動きで立ち去った。甘い花の残り香が私にまとわりついた。
(またね?)
「フレイナ、待たせたな」
扉の鐘の音と共に、先生がご機嫌な笑顔で出て来た。
「いい香草を買えましたか?」
私は先生から香草を受け取ろうと駆け寄った。袋は来た時と同じくらいの大きさに膨らんでいる。
「珍しいものが多くて、ついたくさん買ってしまった。まだ、欲しいものがあるから、明日、魔獣の糞を少し売って香草を買い足そうと思う」
「さすが、大きな町の香草屋さんですね」
「魔獣被害者についても聞いてみたが、こっちは大した収穫は無かったな」
残念だ。昨日から情報を得ようと聞き歩いているけれど、役に立ちそうな話はまだ聞けていない。
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