私の先生を取らないで

 町にはお店が集まっている場所が数か所ある。その間を埋めるように住宅が並び、端の山に向かって少しずつ建物がまばらになっていく。


 私たちはお店が集まる所ではなく、住宅地に向かう事にした。


(何だろう、目が回る)


 身体が重くて、動くのがおっくうだ。こんな事は滅多にない。私は青い顔をしていたようで、先生は驚いて宿に戻ってくれた。


「お前、少し寝てろ。人が多い町に慣れないんだ、疲れたんだろう」

「すみません」


 そういえば朝、香草屋の前で人にぶつかった時にも目が回りそうになった。体をとても重たく感じるのはあの時からだ。人が多い所というのは、何もしていなくても疲れてしまうのかもしれない。


 私は着替えて、長い三つ編みをほどくと寝台に横になった。ヒヨさんは枕元にくるんと丸まった。


「俺は、もう少し町で情報収集してくるから、大人しく寝てろよ」


 先生が出て行くの見送るとたちまち、私の意識は眠りに飲み込まれた。



 どれくらい眠っただろうか。目が覚めると辺りはすっかり暗くなっていた。起き上がって見渡してみると、寝台の脇の小机に紙が置いてある。ヒヨさんは枕元でぐっすり眠っている。


「何て書いてあるかな」


 灯りの火を借りに行くのは面倒だ。紙を持って窓際に近づいた。月明かりで何とか読めそうだ。


「えっと⋯⋯起きたら、下の⋯⋯えっとこれは」


 たまに読めない文字がある。


「食堂! そう食堂だ。下の食堂に来い」


(お腹すいた!)


 お昼前に寝てしまったから、お腹がペコペコだ。


「ごっはん、ごっはん、センセが待ってるゾ!」


 鼻歌を歌いながら急いで着替える。腰まである髪の毛を素早く三つ編みにする。もうすっかり体が軽くて元気だ。ヒヨさんを起こして、布を巻いてあげる。


「はい、肩に乗ってくださいね」

「ムマっ」


 ヒヨさんは生まれてからまだ何か月も経たないのに私の言っていることを理解している気がする。とても賢い。


 私は階段を降りて食堂に向かった。朝と違ってとても賑わっている。今晩は泊る人が多そうだ。食堂に入ろうとすると、入れ違いに出て来たおじさんが、私の顔を見て微妙な表情を浮かべた。


「あー、あんた。ステキな先生のお弟子さんだろう。今は行かない方がいいかもしれないよ」


 昨日の朝、先生をうんと褒めていた時に近くのテーブルでご飯を食べていたおじさんだ。


「こんばんは! 何で今は行かない方がいいんですか?」

「邪魔するな、って叱られちゃうんじゃないかな」


 おじさんは『そっと見るんだよ』と言いながら、食堂の入り口から中を覗くように言う。


「ほら、あそこ」

「きゃー!」


 先生の横には大人の女の人がいた!


 しかもテーブルの向かいではなく、横に椅子を持って来ていて、二人の距離はずいぶんと近い。見ていると女の人は先生の腕にそっと触れたりしている。


「おじさん! あの女の人って男の人から見て魅力的ですよね?」

「あ、ああ。そうだね。あの女の人は、数日前に別の男の人と食堂にいるのを見たよ。男の人に好かれるんだろうね」


 私は知っている。先生はキレイな女の人とか、特に胸のあたりがぽわぽわ膨らんでいる女の人をみると、うっとりした顔で眺める事がある。先生の事は大好きだけど、そういう時の先生の顔は嫌だ。ああいう魅力ある女性が『弟子になりたい』と言ったら、私なんてあっという間に追い出されてしまう。


「先生を取られちゃう! おじさん、どうしたらいいですかねえ!」


 おじさんは困った顔で頭を掻いた。


「そうだなあ、女の人を追い出さないで一緒にご飯を食べてみるのはどうだい? 追い出さなければ、少しはお叱りが少なくて済むかもしれないよ。うーん、駄目かなあ」


 そうか、仲間に入れてもらえばいいのか。


「おじさん、ありがとうございます!」

「おう、頑張れよ」


 おじさんの励ましに力強く頷いて先生と女性の所に向かった。


「先生、お腹空きました!」


 先生の真横に立って私が勢いよく言うと女性は、ひどく驚いたような顔で私を見た。


「子連れだったの!」


 先生が慌てる。


「俺の子供じゃない、弟子だ!」

「お姉さん、世界で一番ステキでカッコイイ私の先生の魅力にお気づきのようですね。私が、もっとうーんとしっかり、先生の魅力をお伝えしますけど、弟子になるのは諦めて下さいね」


 仲間外れにされたら困ってしまう。私は椅子を女性の横に移動させて、ぴったりくっついて座った。


(いい匂いがする。ちょっとお母さんの匂いに似てる)


 私のお母さんは、私が10歳の時に亡くなった。私の記憶の中の母も、父が語る母もとても美しく優しい人だったという点では一致している。


 腰の辺りまで緩やかに波打つ豊かな髪の毛は、食堂の灯りを反射してつやつやしている。真っ白な肌の中の大きな瞳が、戸惑ったように私を見つめている。


(お母さんも、こんな風に大きな瞳だった)


「弟子⋯⋯になるつもりは無いから安心して頂戴」


 女の人はぴったりくっつく私を見る。先生は呆れた顔をしてため息をつく。


「申し訳ない、俺の弟子のフレイナという。ちょっと変わった子だから、あまり気にしないで欲しい。それで、ウリオンの石祠についてだが」


 先生は女性と話の続きを始めた。どうやら、昼間に依頼主のご主人が言っていた、町を守るウリオンの話を聞いているようだった。


 この女性はジュリエッタさんといって、ウリオンを称える石祠を守っているという。200年以上前に住み着いてくれたウリオンのおかげで、他の恐ろしい魔獣が町に近寄ることが無いそうだ。町の人々は、ウリオンに長く住まって欲しいという思いを込めて、山の中腹に石祠を立てた。


「私の家は代々、石祠に祝詞をあげる役目を担っているの」

「ノリトをアゲル?」


 ぽかんとする私に、ジュリエッタさんは優しく笑って答えてくれた。


「ウリオンに感謝の気持ちを言葉として捧げるの。思っているだけでは伝わらないでしょう。気持ちを旋律に乗せて、ウリオンに届くように音を紡ぐのよ」

「私、聞いてみたいです」


 ジュリエッタさんは、私の頭を優しく撫でてほほ笑む。


「毎日、日が落ちた頃に石祠に祝詞をあげているわ。今日はもう済ませてしまったの。どうしても聞きたければ、明日の黄昏時に、あなたの先生と一緒にいらっしゃい」


 ジュリエッタさんは石祠の詳しい場所を先生に伝えて帰って行った。


「もう、具合は良くなったか。何か食べたいものはあるか?」


 先生の前には、飲み物しか無かった。町でウリオンの噂を聞いて歩くうちにジュリエッタさんに出会ってウリオンの巫女だという事を聞き、話を聞かせてもらっていたそうだ。食事は、私が下りてくるまで待っていてくれたらしい。


「先生、お肉食べたいです」

「よし、分かった」


 元気一杯になった私の為に色々と注文してくれる。


 先生によると、私は体が大きくなるはずの時期に野草ばっかり食べて暮らしていたので、テキセツな大きさに育っていないそうだ。だから先生は、私にたくさん食事をさせようとする。私も、ちゃんとした料理を食べ慣れていないけれど、先生が言う通りに栄養が偏らない食事を心がけている。


「お前は、野菜を嫌がったり、食べ物の好き嫌いをしないのが良いところだな」


 先生は、私がたくさん食べるのを見て、目を細めて喜んでくれる。

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