再び会ったお兄さんが助けてくれた

 翌朝、近くのテーブルから昨日のおじさんが声をかけてくれた。


「昨日は、先生の邪魔をして怒られなかったか?」

「はい、あの女性は先生の弟子になるつもりは無かったみたいでした!」

「弟子⋯⋯。あはは、そうか。まあ良かったね」


 そのまま隣のテーブルを勧められて、先生が来るまで話し相手になってくれた。今日の女将さんは忙しそうだったから、ちょうど良かった。


「へー、それでこの町にやって来たのか。俺はこの町に何度か来てるけど、あのウリオンの山には近づいてはいけない事は町に入ってすぐに教わったな」


 おじさんは香辛料を集めて売り歩く商売人だそうだ。国の各地を巡るおじさんにとっても、ウリオンは珍しい魔獣で実際の姿は見た事がないそうだ。


「各地には、それなりに危ない魔獣がいるんだ。魔獣の中でも長命で知恵があるウリオンは敬意を払われているんだよ。ウリオンがいる事で町が守られるというのは迷信じゃなくて本当のことだと思うな」


 先生が憧れるウリオンは、本当にすごい魔獣のようだ。


「お、たれ目の兄ちゃん、おはよう!」

「おはようございます。弟子がお世話になっているようで申し訳ない」


 先生が私の前に座った。『たれ目の兄ちゃん』なんて言われてしまった。今朝はおじさんに先生のステキさを熱弁するのを忘れていた。


「優しくて天才の先生、今おじさんに、ウリオンの噂を聞いていたんですよ」


 先生が『優しくて天才』のところで、じろっと私を睨む。けれども、先生も一緒にウリオンの話や、魔力を抜かれる事件の噂などを聞いていた。


 私は自分の食事をしながら、ヒヨさんにも果物をあげた。おじさんは『肩乗りトカゲってのは珍しいねえ』とは言ったけど、あまりヒヨさんには興味を示さなかった。



 昨日は寂しかった香草屋の辺りも、今日は人であふれ返っていた。


「来週、町で祭りがあるそうだ。その見物に来る人が増えているらしいぞ」

「お祭りですか!」


 村でも年に一度、お祭りをやっていたはずだ。『はずだ』と言うのは、私は参加した事が無いからだ。子供たちが踊ったり、大人たちが集い収穫を祝うものだとは聞いたけど、よそ者の私は参加出来なかった。そう言うと、先生は説明してくれた。


「その村や町、それぞれ独自の祭りもあれば、地域全体で行う祭りもある。お前が住んでいた村では年に1度だけだったみたいだが、色んな種類の祭りを何度も行う土地もある。この町の今度の祭りは人を集める為の祭りのようだな」

「人を集める為ですか?」


 人が集まってくると買い物をしてくれるので、お店が繁盛するのだそうだ。お店が儲かると、お店に物を売っている別のお店も儲かる。そういう仕組みらしい。


 そんな事を聞いてるうちに香草屋に到着した。私は持っていた魔獣の糞の包みを先生に渡した。やっぱり臭い。先生はこれを売って香草を買うと言っていた。


「お店の中は狭いので私は外で待ってますね」

「ああ、遠くに行くなよ」


 昨日このあたりでヒヨさんが騒いでいた事を思い出す。今日のヒヨさんは私の肩の上でのんびりくつろいでいる。


「やっぱり、魔獣はいないのかな」


 人の隙間を縫って石畳の隙間を覗き込む。


「ちゅ、ちゅー、ちゅ、ちゅー、ねずみさんったらマジューですかい、マジュー、じゅー!」


 昨日と同じ歌を歌って壁際の穴を覗きながら歩いていると、また人にどすんとぶつかってしまった。


「ごめんなさい!」


 今日はそれほど強くぶつからなかったので、目を回すほどではなかった。


「いえ、僕の方こそよそ見をしていたものだから⋯⋯あれ、昨日の子だね」


 目を上げると、小首をかしげて立っているのは昨日私がぶつかってしまった男性だった。


「わー、毎日体当たりしてしまって、本当にごめんなさい!」


 男性は声を上げて笑った。やっぱり、笑うと少年のような顔になる。漆黒の瞳とさらさらの黒髪が光を反射して輝いた。肩の上のヒヨさんが、もぞもぞ動いて私の首筋にくっつくと三つ編みにあむっと噛みついた。


「体当たりって。君は軽いから僕は全然平気だよ」


 男性はすっと片手を差し出した。


「二度会ったから、また会いそうだね。ちゃんと自己紹介をしよう。僕はゾリュー。この町には祭りの見物に来たんだ。君は?」


 私は男性の手を取って握手を受けた。


「私はフレイナです。魔獣学者の先生の弟子をしています」

「へえ、魔獣学者」


 手を離そうとしたところで、握られる力がグッと強まった。ふっと目の前がゆらめき、意識が遠のきそうになる。


「あっ⋯⋯まずいな。やりすぎた。これは、夢中になっちゃうな」


 ゾリューさんが何かを言っているけど、私は視界が回り、足に力が入らなくなってしまった。ゾリューさんに腕を引かれて肩を抱かれ、身体を支えてもらった。甘い花の残り香を強く感じる。


 お礼を言いたいけれど、口が開かない。地面に引き込まれそうなほど身体が重く、自分の力で動かすことが出来ない。ヒヨさんの私の肩を掴む力が強くなった。私の三つ編みを痛いくらいに引っ張っている。


「フレイナ! どうした!」


 先生の声が聞こえる。慌てて駆け寄ってきたらしい先生にゾリューさんが説明してくれた。


「この女の子が急に倒れたんです」

「すまない、俺の連れだ。昨日も同じことがあったんだ。疲れているのかもしれない」


 私は一生懸命に目を開いて先生を見た。とても心配そうに私の顔を覗き込んでいる。でも、言葉が出ないし身体に力が入らない。


 先生は香草が入った大きな袋を脇に挟んで私を抱えようとする。


「荷物が多くて難しいでしょう。宜しければ、僕が彼女を運びましょうか?」

「あー、困ったな。⋯⋯そうだな、申し訳ないが、この荷物を宿まで持ってもらえないだろうか。この子は俺が運ぶ」

「⋯⋯宜しければ、彼女をこのまま運びますよ?」

「いや、荷物を頼む。この子は魔獣の糞を持ってたから臭いぞ」


 ゾリューさんは声を上げて笑った。


「面白い先生ですね。分かりました、では荷物をお引き受けしましょう」


 先生が私をよっこいせ、と抱えてくれた。もう一度頑張って目を開けると、うんうん、と2回頷いてくれた。私は安心して目を閉じた。


「悪いな、君の時間は大丈夫なのか。何か用事があったんじゃないのか」

「いえ、僕は祭りがあると聞いて見物に来ただけです。時間はたっぷりあります」


 先生の案内で宿に向かった。ゾリューさんが先生に尋ねる。


「彼女が、あなたの事を魔獣学者だと言っていた。もしかして、最近の事件の事を調べに来たんですか?」


 先生が少し身を固くしたのが分かる。


「何か役に立ちそうな噂を知っているか?」


 ゾリューさんがふふっと笑う声が聞こえる。


「僕も調べてるんですよ。こう見えて、僕も魔獣に詳しいんです。あれは、ウリオンではない魔獣の仕業、そう思いませんか?」

「⋯⋯」


 先生は答えない。警戒しているのだろうか。ヒヨさんが移動して、私の頭と先生の胸の間に納まった。


「すみません、急にこんなことを言い出すなんて、変な奴だと思われますよね。同じ事に興味を持つ人に会えて興奮してしまいました。せっかくなので、情報交換をさせてもらえませんか?」

「俺たちは夕方から用事があるし、それまではこの子を宿で休ませるから⋯⋯」


 先生はまだ迷っているのか歯切れ悪く答えている。


「僕も、夕方にはウリオンの石祠に行こうと思っているので、彼女が休んでいる間だけでも、話し相手になってください」

「石祠に行くのか?」


 私たちも今日、ジュリエッタさんの所に行こうとしていた。


「数日前に、ウリオンの石祠の巫女だという女性から誘われたんです。その時は用があったので行けなくて、今日になってしまいました。興味がおありなら、一緒に行きますか?」


 先生はゾリューさんと情報交換することにしたようだ。宿に向かって歩きながら、知っている事を話し、ゾリューさんからも情報を得ている。調べていると言うだけあって、ゾリューさんは事件に詳しかった。どちらかと言うと、先生が伝える内容よりも、教えてもらった内容の方が多かった。


「荷物まで運んでもらった上に、貴重な情報をもらえて助かる」


 宿に着く頃には、先生とゾリューさんは名乗り合って、石祠に一緒に行く約束もしていた。ゾリューさんを部屋に入れて、先生は私を服のままに寝かせた。


「ちゃんと食べさせてるつもりだが、まだまだ軽いな」


 先生は私の額に手を乗せて、大きなため息をついた。私が覚えているのは、そこまでだ。

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