フーブンの何が悪いんですかね

 目が覚めると、まだ外が明るかった。先生とゾリューさんが話している声が聞こえる。夕方にウリオンの石碑に行くと言っていたので、置いて行かれなかった事に安心する。


「僕は、まだ知られていない被害者もいると思います」

「一人で出歩く旅人が狙われているようだから、居なくなっても気づかれない人も多いだろうな。人目のつかないところに倒れていて、そのまま亡くなってしまう事もあり得る」


 先生とゾリューさんは魔獣被害者について話をしていた。お腹の空き具合から考えると、私が倒れた朝からはもう何時間か経っているようだ。


「目が覚めたか。具合はどうだ?」


 先生が目を開いた私に気が付いて声を掛けてくれる。起き上がってみると、もう身体が軽くてすっきりしている。


「はい、もう元気です。倒れちゃってすみませんでした」

「良かった、腹は減ったか?」

「はい、お腹ペコペコです」


 先生は安心したように笑うと立ち上がった。


「まだ寝ていた方がいい。簡単なものを貰って来るから少し待ってろ」


 そう言って立ち上がりかけて、ゾリューさんを見た。ゾリューさんを部屋に残していく事を気にしているようだ。仲良くなったように見えて、まだ少し警戒しているのかもしれない。


「先生が戻られるまで、彼女の様子を見てるので大丈夫ですよ」


 ほほ笑むゾリューさんを見て、先生は少しだけ迷ってから『頼む』と外に出て行った。部屋の中に甘い花の香りが漂っている。干し草の香りと、魔獣の糞の香りと、花の香り。ゾリューさんの香りが加わるだけで、宿の部屋が朝とは違う場所のように感じられる。


 ゾリューさんは、窓際の椅子に腰かけたまま『大丈夫?』と私を見つめる。


「はい、大丈夫です。ゾリューさんにも、ご迷惑をお掛けしてすみません。私、身体は丈夫なはずなで、こんな事は初めてです」

「全く迷惑じゃないよ。人混みというのは、思っている以上に疲れるものだから。そのうち慣れたら平気になるよ。フレイナのおかげで、僕と同じ魔獣が好きで事件を調査している人に会えたんだ。お礼を言いたいくらいだ」


 私はゾリューさんに問われるままに、これまでの事や先生の弟子になった経緯を話した。


「私は本当は先生と結婚したいんですけどね、子供とは結婚しないって断られるんです。もう18歳だから大人なのに」


 そこに先生が帰って来た。


「お前の18歳というのは怪しいもんだ。見た目から考えると、どんなに歳を取ってても16歳がせいぜいだろう」

「でも、お父さんが持たせてくれた書類の生まれた年から、先生が計算してくれたんじゃないですか!」

「お前、魔獣の巣にいたところを拾われたんだろう? 正確な生まれた年は分からないじゃないか」


 ゾリューさんは、この話にとても興味があるようで熱心に聞いている。そして、不思議そうに尋ねる。


「フレイナは、何で先生と結婚したいの? 結婚すると何が変わるの?」

「お父さんが王都に旅立つ前に言ったんです。先生とずっと一緒にいたいなら、結婚してもらいなさいって。そうしないと、ずっと一緒にいられないんですって」

「え、何だって! あの親父、そんな事を娘に言ってたのか!」


 先生がプンスカしている。お酒に溺れていた父は、先生に励まされて再び傭兵として生きて行く事を誓って王都に旅立った。私は先生の弟子になる事を選び、私と父は別の道を進む事になった。


「先生が結婚しない理由の『子供』が年齢の意味ではないなら、君の見た目がもっと育ったら結婚してもらえるんじゃないの? じゃあ、ちゃんとご飯食べなきゃね。倒れている場合じゃないよ?」


 ゾリューさんは、ふふっと笑った。


「そうだ、ゾリューはいい事を言うな。倒れないように、ちゃんと飯を食え」


 先生が枕元の机にサンドイッチと果物の皿を2つ置いてくれた。ヒヨさんが、果物の皿に近寄って自分で食べ始めた。


 いつの間にか、先生とゾリューさんは『先生』『ゾリュー』と呼び合っている。思った以上に仲良しになっているようだ。


「それなら、婚約者でもいいです」


 私はサンドイッチに手を伸ばさずに食い下がる。私は知っている。結婚する約束をした二人は婚約者になると村で聞いた。


「だから何度も言ってるだろう。お前とは結婚しないし婚約もしない。学者なのに女連れってのは何かと風聞が悪いんだ。弟子でも一緒にいられるから、いいだろう」

「それが、分からないんですよう! フーブンの何が悪いんですか?」


 先生が困ったように、自分の束ねた髪をもてあそぶ。


「何がって言われても、悪いものは悪いんだ。⋯⋯なあ?」


 先生がゾリューさんに同意を求めると、ゾリューさんが深く頷いた。


「交尾目的で女性を連れ歩いているように見えるので、周囲から学問に真面目に取り組んでいないように思われるのが不本意だという事ですよ」

「コービ?」

「うわああー!!!!!」


 先生が真っ赤な顔をしてゾリューさんの両肩を掴んだ。


「お前、何て事を言うんだ! 何て事を言うんだ!」

「ん? 間違っていましたか?」

「こ、子供に向かって、はっきり言い過ぎだろう!」

「ん? 彼女は年齢から判断すると大人でしょう?」

「コービって何ですか?」


 先生は真っ赤な顔のまま、私に強い口調で言う。


「いいか? その言葉は、この話の流れで覚える言葉じゃない。勉強で必要になったら教えてやるから今は忘れろ。他の人の前でこの言葉を口に出したりするなよ!」

「はあ」


 先生はいつも『忘れるな』と言うのに、これは忘れなければないのか。難しい。


「いいな? お前、忘れるのは得意だろう。さっきの言葉は忘れるんだぞ!」


 そしてゾリューさんに向かって言う。


「すまない。悪いが、この子の事は子供だと思ってくれ。十分に学習する機会が無く育っているから、法律上の年齢で扱わないで欲しい」

「そうですか? 分かりました」


 ゾリューさんはにっこり同意した。先生は複雑そうな顔をしてぼやく。


「しかし何だな。俺も心の機微を読めないと言われる事が多いが、君はもっとその傾向が強いな⋯⋯」


 先生がこういう疲れた顔をしている時は、話しかけない方が良い。私はお腹がペコペコなので、サンドイッチを食べることにした。

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