ウリオンの巫女が奏でる音楽
サンドイッチを食べた後に、もう少し眠り、夕方になる頃には完全に元気になった。先生は私の様子を見てウリオンの石祠に一緒に行くことを許してくれた。
「ゾリューさんは、ウリオンを見たことがあるんですか?」
「何度かあるよ。とても美しい獣だった」
珍しいと言われるウリオンを何度も見た事があるなんて、ゾリューさんはすごい。私も姿を見ることが出来るかもしれない、期待に胸が膨らむ。
「そうだ、フレイナ。僕と友達になってよ。僕と君は、それほど年が変わらないんだ」
「友達ですか! ゾリューさんが友達になってくれるんですか! 私、友達が出来たの初めてです」
「ゾリューね。『さん』は無しだよ。友達は敬語で話さないんだよ」
今まで友達が出来るような生活をしていなかった。村にいた頃は遊んでいる暇なんてなかったし、よそ者でみすぼらしい私は、他の子供たちから仲良くしてもらえなかった。
「先生! ゾリューがお友達になってくれました!」
「おう、良かったな」
先生は考え事に夢中だ。こういう時は何を言っても聞いてない。
「と、と、友達、うっれしいなー。はじめって友達、おっともだちー!」
うきうきを鼻歌を歌うと、ゾリューがにこにこ笑ってくれる。黒髪をさらっとかきあげた。ヒヨさんも『ムマっ』と合いの手をいれてくれる。先生は完全に聞いていない。
結構近いと思った山は意外と遠くて、宿から歩いて30分ほどかかった。山に近づくにつれて建物も人もまばらになっていく。昼間は暑いと思っていたのに、山に入るころには少し涼しくなっていた。日が落ち始めて辺りが薄暗くなってくる。
「意外と足場が悪いな。フレイナ、気を付けて歩けよ」
舗装された路が終わり、本格的な山道になった。草が刈られて歩きやすくなっている部分は狭く、足を踏み外したら転がり落ちそうなくらい傾斜が急な所もある。
しばらく登ると、急に開けた空間が広がった。山を切り崩して作られたその空間は、昨日の依頼主の家が庭ごと何個も入ってしまいそうなほど広い。ぽつんと立つ小さめの家に灯りが見える。家の周りには石が敷き詰められていて井戸と水場があり、家のすぐ奥には薪が積まれている。薪を割る台も見える。家の煙突からは、細く煙が上がっていた。
広場の奥まで駆けていくと、山の向こう側が見渡せる。
「わあ、すごい森!」
「あの森には、ギードが住んでいると聞くよ。ギードがこの町の人間を襲わないのは、ここにウリオンがいて睨みを利かせているからだって老人が言ってた」
一緒に駆けて来たゾリューが眼下の森を見渡して言う。ギード、人間を巣に持ち帰り、動けない状態にしてから長期間に渡って死なない程度に魔力を吸い取り続ける魔獣。食事までさせる、その家畜に行うような振る舞いは『人間を飼う』と言われて恐れられている。
「魔獣は、ご飯食べて栄養に出来るのに、どうして人間の魔力を吸うのかな?」
ゾリューは笑った。
「なぜ、食事と人間の魔力を別に考えるの? 肉や野菜と魔力、種類と食べ方が違うだけで、全て食事じゃないか」
確かにそうだ。自分が人間だから、魔力を取られる側だから、つい別の物と考えてしまった。
「君の食事だって生き物の命をもらっているでしょう。命を奪わないように加減が出来るだけ、魔力を吸う方が生き物には優しいよ」
ゾリューの考えはとても新鮮に感じた。
「でもね、人間が必要以上に栄養を摂取して肥え太るのと同じで、魔獣が魔力を吸うのは生命維持の為だけじゃない」
「美味しいから?」
ゾリューが、優しいとても柔らかい笑みを浮かべる。でもその優しさは、先生から感じる優しさとは少し違っていて、どこかに引き込まれてしまうような、近寄ってはいけないような怖さを感じる。また、花の甘い香りがした。
「美味しい、それもあるかもしれないね。人によって魔力の香りが違う。たまに、たまらなく魅力的な『美味しい』魔力を持つ人間がいるんだ。――でもそれだけじゃなく、魔力を蓄える事で、魔獣は眠っている能力を呼び起こす事が出来るんだ」
「どんな能力が眠ってるの?」
考え事をしながら辺りを見回っていた先生が、こちらに歩いて来た。
「ジュリエッタさんに声を掛けてみようか」
ゾリューさんが、私の腕にそっと触れた。
「少し話し過ぎてしまった。今の魔獣の話は、僕の家に伝わる秘密の知識だから、先生には内緒にして欲しいな」
「うん、分かった!」
ゾリューは、とても魔獣に詳しいみたいだ。もしかしたら家族に先生みたいな魔獣学者がいるのかもしれない。きっと、魔獣学者同士は競い合うもので、お互いの知識をひけらかさないものなのだろう。
(ヒヨさんが私から離れないのは、私の魔力からヒヨさんの好きな香りがするのかもしれないね)
私の考えを読んだように肩の上のヒヨさんが『ムマっ』と鳴いた。
◇
扉を開けてくれたジュリエッタさんは、ゾリューまで一緒にいる事に驚いた。
「確かに、こちらの方とは数日前にお話ししましたけど、家に招待したつもりはなかったので⋯⋯」
戸惑いながらも中に通してくれた。広くはないけれど、すっきり綺麗に片付いている。
「狭い所ですが」
ジュリエッタさんは狭いと言うけれど一人で暮らすには広すぎると思った。昔は他にも家族がいたのかもしれない。玄関を抜けると、食堂を兼ねた広い部屋があり、その奥に別の部屋に続く扉が見える。私たちは食堂の椅子を勧められた。
先生とゾリューが並んで座り、向かい側に私とジュリエッタさんが並んで座る。私は、さりげなく椅子をジュリエッタさんの近くに寄せた。
(お母さん)
母が亡くなったのは、まだ30歳に手が届く前だったと聞いている。ジュリエッタさんは、それよりはもう少し若いだろうけど、母と同じ大きな瞳のせいか、つい面影を探してしまう。
「あなたも、祝詞を聞きにいらっしゃったんですか?」
ジュリエッタさんはゾリューに向かって聞いた。先生と私は昨日、祝詞を聞きたいと伝えていたけれど、ゾリューの訪問の意図が彼女には分からなかったようだ。
「僕も、この先生たちと同じでウリオンに憧れているんです」
ゾリューはにっこり笑って答えた。
「そうですか。⋯⋯いえ、今までそんな理由で来る方はいなかったのに、急に何人も続いたので、少し驚いてしまって」
「無理を言って申し訳ない」
先生が、手土産代わりに持ってきた酒瓶を渡した。ジュリエッタさんはお礼を言って棚に収める。何となくぎこちない空気が流れ、淹れて頂いたお茶を飲みながら少し世間話をしたところで、ジュリエッタさんが、そろそろ良い時間だと立ち上がった。
全員で外に出ると既に夜が始まっていて、月が低い位置に見える。町が明るいせいか、村で見慣れていた空よりも星が少ない。
「少しだけ上った所に石碑があります」
ジュリエッタさんの後に続いて広場の奥に進むと、山頂に向かって細い道が続いていた。上り坂を少し進むとすぐに、先ほどよりも狭い広場に出る。
「ウリオン!」
敷き詰められた石の中央に、美しいウリオンが立っていた。
「違う、あれは石像だ」
先生が静かな声で教えてくれた。ウリオンの石像は先生の背丈の2倍くらい大きい。
「彫刻と分かっていても身が引き締まるような、荘厳な佇まいだな」
私はふう、と息をついた。空を見上げるウリオンの石像は今にも駆けて行きそうだ。
ジュリエッタさんはほほ笑むと、私たちをその場に留めて石像の前まで進み、すぐ横にある石祠の前に両膝をついて、手を胸の前で組み合わせた。
それは静かに始まった。
『かのみを たかみかしこみ
あまたのわざわいも いきはばかり』
繊細に響く音色だった。大きな声ではないのに、見上げてもなお全貌が見えないこの山の頂にも、眼下の森の奥深くにも届きそうだ。
『このちの しずめともぬしともたからとも
すべてきみが たいらぐとしらしめん
われらあおぎこいのみ ふしてぬかづき かしこみまおす』
柔らかな抑揚をつけ、時にささやくように、時に強い調子で、ジュリエッタさんの口から美しい旋律が紡ぎ出される。
私は心に届けられた美しい音楽を体中に巡らせる。深く、深く、もっと心の奥深くにまで。
どれくらい経っただろうか隣に立つ先生に緊張が走った。そっと腕を掴まれて目を上げると、先生は山の頂の方を見つめていた。私はその視線を追う。
岩が突き出した所に銀色に輝く大きな獣がいた。石像はウリオンの美しさを何も伝えられていないと思った。
月明かりに照らされた美しい毛並みは、それ自身が光を放っているかのように輝いて見える。ウリオンは堂々とした姿で立ち、ゆっくりと辺りを睥睨する。痺れるような畏怖の念が沸き起こり、呼吸をすることすらはばかられる。
『その場のすべてを統べる圧倒的な存在』
本に書かれていた言葉を思い出す。今この時、私はウリオンの下僕と言える存在なのかもしれない。
漆黒の瞳が私の姿を捉えて、ピタリと止まったように感じた。
心臓が激しく鼓動を打つ。
ジュリエッタさんの祝詞をあげる歌声がゆらいだ。
ゾリューが一歩前に踏み出した。いつもの柔和な雰囲気は無く厳しい顔をしてウリオンを見据えている。首の後ろで回り三つ編みを噛んでいたヒヨさんが震えている。先生が、私の腕を掴む力を強めた。
ウリオンはしばらく佇んだあと、また静かに姿を消した。
ジュリエッタさんの祝詞が終わり、辺りに静寂が戻った。誰も身動きをしない。
最初に口を開いたのはジュリエッタさんだった。
「ウリオンが人前に姿を現すなんて、知る限りでは初めての事です。何かが気に掛かったのか⋯⋯」
私たちを順番にゆっくりと確認するように眺める。しかし、首を小さく横に振った。
「いえ、ただの気まぐれでしょう」
私は、やっと息を吐き、心を落ち着けるように何度も深呼吸をした。
ジュリエッタさんが、もう一度中でお茶を飲むよう勧めてくれたけれど、暗い足元が心配な私たちは、丁寧にお礼を言って宿に戻った。
帰り道、私たちは皆それぞれ物思いにふけり、誰も話をしなかった。
宿の近くでゾリューと別れた。彼はもう、いつもの笑顔に戻っている。
「あなたたちと一緒に行けて楽しかった。ではまた」
にっこり笑って手を振って去って行く。暗い色の服装と、漆黒の髪の毛は、薄暗い町の中であっという間に溶けていった。後には甘い花の香りが残る。
「あいつ『また』って言ってたよな?」
先生が少しだけ嫌な顔をして言った。
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