魔獣をめぐる物語
宿に戻って食事も入浴も済ませた後、普段は勉強をしたり読書をする。先生は、その日の記録を付けたり、ロンブンを書くための書き物をしたりする。
私が問題を解いたり、読書している間に先生はヒヨさんの観察記録をつける。
「ヒヨ、動くな」
「ムマーっ、マー、マーっ!」
ヒヨさんは私から離れるのをとても嫌がる。重さを測る時だけ、完全に私から引き離すけれど、それ以外は腰まで垂れた三つ編みの端っこをヒヨさんの足に握らせてあげて、先生が観察する。
ヒヨさんは人参くらいの背丈だ。薄黄色の羽毛で身体全体が覆われているけれど、少し突き出た口の部分と、尻尾の半分から先だけ黄緑色のゴツゴツした肌を出している。
ヒヨコとトカゲが合体したような見た目をしているけれど、長い尾の先がくるんと巻かれている所は、そのどちらとも似ていない。いつも口が半開きで、ピンクの舌が覗いている。
「ヒヨ、お前少し背が伸びてるなあ」
嫌がるヒヨさんの尻尾を伸ばして、先生が長さを測っている。
その間、私は熱心に『魔獣をめぐる物語』を読んでいた。あまりに熱心に読むので勉強は明日でいいと言ってもらっている。
「ウリオン⋯⋯」
私はウリオンの物語に引き込まれた。
◇
あの雪山の主はウリオンだと言われていた。滅多に姿を現さず、その姿も定かではない。
ある者は言う。
熊よりも大きく、どう猛な牙を見せつけてうなり声をあげていたと。
ある者は言う。
狼と変わらない大きさで、鋭い目で辺りを睨め回していたと。
ある者は言う。
太陽の光で黄金色に輝く姿は、光の化身のようで大きさなど分かるものではないと。
その若者はウリオンを一目見たいと考えた。ウリオンは若者の祖父の、そのまた祖父の時代からずっと雪山を守って来たと言われている。
そう、守ってきた。ただしそれは人間の為ではない。自らが快適に過ごす為であり、ウリオンが不快に感じるほどに近づいた生き物は、魔獣であれ、獣であれ、人間であれ、ひと噛みで黄泉に送られる。
確かな姿が伝えられないのは当然だ。姿を目にしたほとんどの人間は、その暇もなく黄泉へと送られるのだから。
ウリオンは他の獣とは馴れ合わず、襲って喰らう事もしない。縄張りを侵さない限りは人にも無関心だ。何を糧に生きているのかも分からない。
人々は雪山の主について想像を膨らませ、畏れて暮らしていた。
老人たちによると、昔からある鉱坑についてはウリオンが目こぼしをしてくれているので人間が立ち入ることが出来る。ただし、それより少しでも嶺の方に向かうと怒りに触れてしまう。
「僕に害意はない。ただ、姿を近くで見たいだけだから、ウリオンだって分かってくれるさ」
若者は周りが止めるのも聞かず、鉱坑から山嶺に向かう事を決めた。
若者は光り輝いて姿が見えないウリオンには興味がない。しっかりと細かいところまで見たい。彼は月明かりの夜を選んだ。
鉱坑までの道中、狼の遠吠えを聞く。遠くでガサガサを草を踏み分ける音も聞こえる。ウリオンの縄張りの外には多くの獣がいる。そんな獣に襲われては敵わない、若者は大きい松明を掲げて歩いた。腰には大振りの鉈を下げている。
狼の遠吠えが、また聞こえる。さっきよりも近い。
雪山を登る事には予想以上に難儀した。自らの呼吸音が大きく響く。水袋の中身を飲んで息を整える。
どれくらい登っただろうか。とうに鉱坑の入り口は越えている。いつのまにか、狼の遠吠えは後方に去った。後方からひっきりなしに聞こえていた遠吠えが止んだ、そう思ったところで少し上方の岩の上から延びる影に気付く。
「ウリオン」
姿が目に入ったのは一瞬だった。月明かりに輝くその生き物は、ふわりと飛び上がりこちらに向かって空を滑った。冷たい清水のような香りがする。
若者の目に最期に映ったのは、闇よりなお深き漆黒に濡れる大きな瞳だった。心の奥底からとめどなく沸き起こる畏怖の念。生き物としての圧倒的な存在感。
その瞳に支配されることに喜びすら感じる。
「その場のすべてを統べる圧倒的な存在」
黄泉に旅立つ若者は、この言葉を大切に胸に抱えた。
◇
月を背景にして険しい岩場に立ち、辺りを睥睨するウリオンと、足元に力なく横たわる若者の絵姿が描かれている。ウリオンの美しさ、人の無力さ、そんなものを感じる。
「先生? 私、それでもウリオンを見てみたいと思ってしまいました」
先生はヒヨさんから目を上げて、私が開いているページに視線を落とした。そして、少しだけ頬を緩める。
「そうだな、俺も見たいな。俺が魔獣学者を目指したのは、幼い頃に遠目で見たウリオンをもっと近くで見たいと思ったのがきっかけかもしれない。でも、俺は死にたくないから、殺されない場所から観察したいけどな」
「私も、生き延びて先生と感想を言い合いたいです」
私と先生は目を見合わせて笑った。
「ムマっ」
ヒヨさんも、会話に加わるように鳴き声をあげた。
「この町のウリオンを見ることが出来たらいいですね」
「はっきり顔が分かるくらい、近くで見てみたいもんだな」
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