巫女が祝詞に乗せる想い

 私たちは被害者が発見された場所に足を運んだ。


 今回、被害を受けた男性は小柄だったと言う。ジュリエッタさんの家がある広場から、少し山を下った辺りで見つかった。いつもは、もっと町に近いところで見つかるそうだ。


「ジュリエッタさんと話をした時に、ウリオンを恐れない魔獣の存在を怖がっていた。事件の事は、俺達の口からは耳に入れない方がいいだろうな」


 町のお店で魔獣の被害について先生が聞き込みをしている時に、先生の知っている事を教えて欲しいと言ってきたのが、話すきっかけだったそうだ。一人で山に住んでいるので、ウリオンを恐れない魔獣の存在を不安に思っている様子だったと言う。


 彼女はウリオンは絶対に人を襲わないと信じている様子だった。人を殺めたのが何の魔獣だとしても、彼女の心を乱すだけだ。


 結局、私たちに出来そうなのは、現場でウリオンもしくは何かしらの魔獣が人を襲った痕跡を探す事くらいだ。いつものように山に向かった。


 先生は最初、危ないからと私を置いて行こうとした。でも、私は必死に食い下がった。


「襲われるのは一人ぼっちの成人男性です。私は小さくて魔力も少なそうですから、襲われません! 先生とゾリューだって二人なら大丈夫って思ってるんですよね。3人ならもっと大丈夫です!」


 言っても聞かないと判断した先生は、渋々許可してくれた。


「きっと、体力が一番ありそうな先生が最初に襲われるから、僕らは大丈夫だよ」


 ゾリューはニコニコしている。先生は何とも言えない顔をしてゾリューを見ていた。


 男性が見つかった場所に生える木には、目印の布が巻かれていた。私たちはその付近を調べ、草や木の枝の折れた跡を追い、男性が落ちて来たであろう道筋をたどった。人が通れるように枝が払われていないので、とても登りにくい。


(変わったものは落ちてないなあ)


「ムギャっ!」


 木の枝がヒヨさんに当たり、弾き飛ばしそうになってしまった。


「ごめん、ごめん。三つ編みの後ろに隠れててくれる?」

「割とギードの森に近いですね。ちょっと怖いな」


 ゾリューが、大きく息をつく。山の向こうはギードの森。この辺りは何とか山の手前と言える所だ。もう少し向こう側に行くとウリオンではなく、ギードの心配をする必要がある。


「このまま上ったら、ジュリエッタさんの家のある広場に出るな。そこから滑り落ちたのか、それとも広場よりもっと上から落ちたのか。あの犠牲者は身体が軽いから、広場の上から落ちたなら広場で止まりそうな気がする」


 先生の言葉に、ゾリューさんもうなずいた。


「僕たちが昨日引き上げた後に事件は起きていますよね。あの後に山を登ったのかな。その前から山に登って何かをしていたのかな」

「俺たちが来る前から山にいたなら、祝詞をあげるジュリエッタさんが気付いてもおかしくないんじゃないか?」


 祠より上に進んだ男をウリオンが見逃すとは思えない。私たちよりも後に山を登ったとしか思えない。 


 私たちが引き上げた時には、もう真っ暗だった。その中を灯りを持って登ったなら、ジュリエッタさんが気付くだろう。ウリオンに襲われたなら、大きな物音だってしたはずだ。


「やっぱり、ジュリエッタさんに話を聞きたいな⋯⋯」


 3人でため息をつく。その時、ジュリエッタさんの祝詞が聞こえて来た。私はまた違和感を感じる。


 祝詞は同じ言葉を、音階や調子を変えながら何度も繰り返す。今日も言葉が付け足されているのは確かだ。


「先生、祝詞が昨日と同じです。やはりお祭りだからでしょうか。でも、私、少し気になる」


 先生が山を上る足を止めて私を振り返る。


「何が気になる?」

「最初の祝詞の時と違うんです。憧れ、尊敬、感謝、そういう感情を最初の祝詞からは感じたのに、昨日の祝詞も、今日の祝詞も違う。もっと何というか、切実な、強く何かを手に入れたいと思うような、誰かを呼ぶような⋯⋯上手く言えないけど、その気持ちを昨日よりも強く感じる」


 先生が少し考え込んだ。私の言葉を聞き流さず、ちゃんと受け止めてもらえた事が嬉しい。


「祝詞の違いについては、直接聞いた方が確実だろう。決めた、ジュリエッタさんに話を聞きに行こう。事件の事は伏せて、ただ変わった事が無かったかどうかだけ聞いてみよう」


 広場までたどり着いたところで、ゾリューが少し緊張した様子で言った。


「先客がいるんじゃないかな」


 祝詞はもう聞こえない。でも、距離を考えるとジュリエッタさんはまだ石祠にいるはずなのに、家には灯りがついていて、煙突からは細い煙が上がっている。


「私たちが前に来た時には、灯りも竃の火も落としてから石祠に行きましたよね」

「恋人か誰かが来ているんじゃないだろうか」


 先生が言うには、家に行った時に食堂の奥には酒器が二人分置いてあったそうだ。でも、ジュリエッタさんは先生が持ってきたお酒を棚に収納し、すぐに飲む様子はなかった。壁には男物の長衣も掛けてあったそうだ。


「普段は一人で暮らしていて、たまに男性が訪れるんじゃないか、そう思ったんだ」

「先生、女性の家をそこまで観察するのは、配慮に欠けた行為じゃないですか?」


 ゾリューの揶揄うような調子に、先生は真っ赤になって言い返した。


「人への配慮という点ではゾリューには、あまり言われたくないぞ!」

「ははは。僕は人に対して適切な配慮をしていますよ。⋯⋯冗談はさておき、昨日の被害者も、ジュリエッタさんの所を訪れていたとしたら?」


 ジュリエッタさんと被害者は知り合いかもしれない。もしかすると、恋人だったかもしれない。私たちは顔を見合わせた。その時。


「――あなたたち、どうして!」


 石祠から下りて来たジュリエッタさんが、悲鳴のような大きな叫び声をあげた。その鋭い声に、ヒヨさんがビクっと震えた。ジュリエッタさんは、ひどく狼狽えて取り乱しているように見える。


「どうして、ここにいるの! 家の中を見たの?!」


 先生とゾリューが緊張で身を固くした。


「見たのね! まさか昨日の人が生きてたの! 何かしゃべったのね!」


 ジュリエッタさんが真っ赤な顔をして叫ぶ。目が吊り上がった恐ろしい形相に動揺した私は、一瞬遅れて理解する。


(昨日の人の事件を知っている? 依頼のおじさんは伝えないって言っていた)


 私の中の違和感が強くなる。祝詞の違い。言葉だけでなく、訴えかける感情が違った、どうしても今のジュリエッタさんの強い感情と、祝詞の違いが私の中で結びついてしまう。


「ジュリエッタさん、どうして昨日と今日は、いつもの祝詞と違うの? 何を求めているの。誰を呼んでいるの?」


 質問が口からこぼれ出た。そのまま、付け足された部分を加えて、祝詞の一部を歌う。あの時に伝わって来た感情も乗せる。強く何かを求めるような、焦がれるような想い。先生とゾリューが驚いた顔をして私に視線を向けるのを感じる。


 祝詞を聞いたジュリエッタさんの顔色が、みるみるうちに真っ白になった。目を爛々と光らせ、真っ赤な口を大きくゆがめる。


「あなた、気が付いたのね」


 落ち着いた口調とは裏腹に、声に込められた強い感情が私に襲い掛かる。気分が悪くなりそうなほどの強い感情。


「でも、邪魔させないわ。あの男は、あの方に捧げるの。昨日のあいつでは、魔力が足りなかった。今日の男なら、きっと大丈夫。あの方ともすぐに会えるわ」


 先生が私を庇うように、半歩前に出た。


「絶対に、絶対に邪魔させない」


 ジュリエッタさんが、髪をかきあげて笑みをうかべる。


「家の中に男がいるのか。その男の魔力を誰かに与えようというのか」


 先生の静かな問いかけに、ジュリエッタさんは石祠の方を見上げた。


「そうよ、あの方に捧げるのよ。いいじゃない、あの男は自分の欲で私を思い通りにしに来たのよ。だから、私も好きなようにしてやるの。何が悪いの?」


 ジュリエッタさんは、背を反らして高らかに笑う。美しい髪が風になびく。


「来た」


 ゾリューが鋭く言った。次の瞬間、ひらりとジュリエッタさんの横に銀色に輝く獣が降り立った。その大きな身体は重さがないかのように、するりと彼女に寄り添う。彼女は思いきり腕を伸ばして、ウリオンの頸を撫でた。


「動かないで。ウリオンが本気になったら、あなた達なんて一瞬で黄泉に送れる事は分かるでしょう」


(ジュリエッタさんの『あの方』はウリオン?)


 私たちはだれも身動きできない。ふとジュリエッタさんは、私に目を向けた。


「フレイナ、あなた祝詞の違いが分かったのね。一度聞いただけで覚えてしまったの?」


 私は声が出せず、何とか頷くのが精一杯だ。


「誰かの祝詞を聞くのは、お母さま以来よ。あなたの祝詞聞いてみたい。――ねえ、歌ってみせて?」


 ちらりと先生を見ると、軽くうなずいてくれた。


 私はウリオンを見つめた。ウリオンが人を襲っていたとしても、町を守っていた事は確かだ。美しくて気高い姿、ジュリエッタさんの最初の祝詞から感じた感情を思い返す。深呼吸を何度かして、身体をゆるませた。


『かのみを たかみかしこみ

あまたのわざわいも いきはばかり

このちの しずめともぬしともたからとも

すべてきみが たいらぐとしらしめん

われらあおぎこいのみ ふしてぬかづき かしこみまおす』


 ジュリエッタさんの旋律とは少し違う。でも私の心が奏でる、ウリオンへの尊敬の思い、町を守ってくれている感謝の気持ちを懸命に紡ぐ。『魔獣をめぐる物語』を読んで会ってみたいと憧れた気持ち、最初に会って畏敬の念を抱いた気持ちも乗せる。


 ウリオンが漆黒の瞳で私を見つめているのを感じる。最初に会った時のような威圧感はない。私を包み込むような温かさを感じる。


 ジュリエッタさんのように、音や調子を変えて何度か繰り返して、歌を終えた。しんとした静寂の後、ジュリエッタさんが地面に崩れるように座り込んだ。


「私も、こんな風に美しい想いだけで歌えていた時期があったはずなのに⋯⋯」


 彼女は大きな瞳から涙を流していた。ウリオンがその背に鼻を寄せる。


「フレイナ、あなたも、あなたの大切な先生も殺したくない」


 ジュリエッタさんがつぶやいた。さっきまでの恐ろしい顔ではなく、いつもの落ち着いた顔に戻っている。


「でも、私はこれを続けなくてはならないの。この子のために」


 ジュリエッタさんはお腹に手をあてた。先生が息を呑む。


「先生、このままフレイナを連れて町に戻って」


 ジュリエッタさんの訴えに、先生は険しい顔をして家の方を見た。ウリオンに襲われるであろう男性を見捨てろと言われている。先生が迷う様子を見て、ジュリエッタさんが畳みかけるように言う。


「では、私の話を聞いて欲しい。それでも断罪したいと思うか、私たちの幸せを望んでくれるか、お願いだから、話を聞いた後で判断して欲しい」


 彼女はウリオンを見上げてから、私たち一人ずつの目を見た。ウリオンはそんな彼女をじっと見つめている。


「話を、聞かせて欲しい」


 先生がはっきりと言った。

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