ウリオンの巫女として生きる道

 幼い頃から、ウリオンに祝詞をあげる為に生きて来た。


 数百年前にウリオンが山に住み着くまで、この町は魔獣の害に怯えながら暮らしていたと聞く。町の年寄りによると、山を越えて恐ろしいギードがやって来る事もあったし、その他の中型の魔獣に襲われる事もあったそうだ。


 その被害を差し引いてもなお、この領地の中央に位置するという利点は捨てがたく、町の人たちは自衛しながら商いを続けて来た。


 しかし、ウリオンが山に住み着いた事で状況が変わる。ギードはウリオンを恐れて山よりこちらには来なくなり、中型の魔獣は恐れをなして近寄らない。


 誇り高きウリオンは人間など相手にしない。怒りを買わない限りはウリオンから襲ってくるような事は無いと言われている。そのウリオンが山の主となった事は町にとって大いなる幸いだった。


 ウリオンがどこからやってきて、いずこに行こうとしているか誰も知らない。人の考えを理解するかどうかも知らない。


 ただ感謝と、出来るだけ長く住まって欲しいという想いだけは人間から伝えたかった。そこからウリオンの巫女は生まれた。


「ただ祝詞を声に出すだけでは駄目なの。想いを込めることが大切。その為にはあなただけの旋律に乗せて音を奏でなさい」


 母の祝詞は美しかった。でも、それは母だけのもの。基本はなぞったけれど、私は私の気持ちを込めて、私だけの旋律を奏でた。


 両親は不慮の事故で早くに亡くなってしまった。兄弟姉妹はいない。物心ついてすぐに、母から祝詞やその想いを受け継いでいたのが幸いし、ウリオンの巫女の伝承を途切れさせずに済んだ。


 ウリオンの巫女は町には欠かせない存在だったから、町の有力者たちからの支援を受け、生活に困らずに生きることが出来た。


 学校に通う年齢のうちは周りに人がいたけれど、その後はずっと山の家で独りぼっちで過ごした。良くも悪くもウリオンの巫女という存在は町の人から一線を引かれる。用事が無い限り誰も山の上の家を訪れて来たりはしない。


「ウリオンに襲われたりしないよね」


 用がある人も、出来る限り滞在時間を短くしようとする。ウリオンは守ってくれる存在であると同時に、畏れられる存在でもある。


 私が年頃になると次の世代へ伝承するために、縁談が持ち込まれるようになった。


 しかしウリオンの巫女の夫には、子供を授ける以外の役目がない。山の上での生活も大抵の人には受け入れにくい。持ち込まれる縁談にろくなものは無かった。家族でも持て余すような人物を押し付けられる。伝承出来る子を儲けて育てさえすれば良いと、私の感情や幸福を考えてくれる人は一人もいなかった。


 父と母のような愛が欲しければ、自分で見つけるしかない。


 私は愛する人を見つけるため、出来るだけ町に出るようにした。色々な店に顔を出して話をしてみる。食堂で話をしてみる。でも上手くはいかない。そう簡単に心惹かれる人になんて出会えなかった。


「なあ、ジュリエッタ。子どもさえ授かればいいんだろう? それなら俺の子種をやろうか」


 どれだけ下卑た声を掛けられた事だろう。ウリオンに敬意を抱くような男は、軽々しく声を掛けて来たりはたりしない。彼女の容姿に劣情を抱く男しか寄って来なかった。


(私には、愛する人を持つなんて無理な事なんだ)


 私は諦めた。ウリオンの巫女に血筋は関係ない。祝詞と想いさえ伝えられればいい。私は親の無い子供を引き取って育てようと思い、町の有力者に相談を始めていた。


『かのみを たかみかしこみ

あまたのわざわいも いきはばかり

このちの しずめともぬしともたからとも

すべてきみが たいらぐとしらしめん

われらあおぎこいのみ ふしてぬかづき かしこみまおす』


 毎日ウリオンを想って祝詞をあげる。ただそれを、ずっと続けたいだけなのに。父も母も誰もいなくても、ウリオンを想ってさえいれば、独りぼっちの寂しさだって忘れられるのに。物語の中の魔女のように何千年も生きられるようになったら伝承する必要もない、そんな夢想すらした。


 それは、一瞬の油断が招いた事故だった。


 石祠で祝詞をあげ終わった時、手が届きそうな所に希少な薬草が生えている事に気が付いた。夜が始まる暗い時間にしか来ないので、今まで全く気が付かなかった。頭痛を起こしやすい私にとって、その薬草はとても有難いものだ。


「嬉しい、これがあれば我慢しなくて済むもの」


 木の蔓を掴んで懸命に薬草に手を伸ばす。暗い中で蔓を選んだのが失敗だった。ぷつんという音と共に私の体は斜面を転がった。


「こっちは、ギードの森!」


 山のこちら側はギードの縄張りだ。人間を飼うという恐ろしい魔獣は、とても素早く動く。出会ったら最後、あっという間に襲われて巣に連れ去られる。それから先の魔力が尽きるまでの人生のことは想像したくもない。


 必死に周りの草木をつかもうとするが上手く行かない。


「つかまれ!」


 力強い声と共に腕をがっしりつかまれ、私の体は止まった。見上げれば大柄な若い男が大きな木の上からジュリエッタの腕をつかんでくれていた。


「この木は不安定だ。動かないで欲しい」


 男は慎重に私を引き上げると、肩の上に担ぎ上げ、器用に斜面を登り始めた。私はその間、呼吸をする事もままならなかった。


(何でこの人、服を着ていないの!!!)


 男性は一糸まとわぬ生まれたままの姿だった。命を落としかけた衝撃と、全裸の男性に抱えられているという動揺と、今見捨てられたらギードの餌食になるという恐怖で、頭が混乱して何も考えられない。


 やがて、石祠の所まで戻ることが出来た。男性が地面に降ろしてくれたけれど、私の体は震えるばかりで、お礼を述べるどころか動くことすらままならない。


 その様子を見ていた男性は少し困った顔をすると、再びジュリエッタを抱え上げた。今度は横抱きにされた為に裸の胸が目の前に迫り、慌てて固く目をつぶった。


 男性は迷いのない足取りでジュリエッタの家に向かい、扉を開けて床にそっとジュリエッタを下ろす。そのまま、無言で去ろうとする男性をとっさに呼び止めた。


「あの、ちょっと待って下さい」


 よろける足を叱咤して部屋の奥から、父が着ていた長衣を持ち出して男性に渡した。


「もしよろしければ、これを着て下さい」


 男性は一瞬不思議そうな顔で長衣を見た後に、合点がいった顔をして長衣を被った。


「すまない、衣服を着る習慣がないんだ」


(どこから来たのよ!)


 思わず吹き出してしまい、一気に緊張も警戒心も解けた。そのまま躊躇う男性を強引に家の中に通し、お茶を入れてもてなした。


「本当にありがとうございました。山の向こうはギードがいるから、あのまま落ちていたらと思うと、生きた心地がしません」

「あれは危険だった。助けられて良かった」


 なぜあんな所に裸でいたのかは、さすがに聞けない。この男性には浮世離れした雰囲気がある。服を着ていなかったことにも何故か違和感を感じない。


 私がウリオンの為に祝詞をあげて暮らしていると伝えると、男性は真剣な顔で聞きたいと訴えた。


 私はいつもの祝詞と違い、ウリオンを想い慕う女性の気持ちを込めた祝詞を歌った。これは、ウリオンの美しい姿に恋焦がれた巫女が、その想いを加えたと言われている祝詞だ。この時の私が、なぜこの祝詞を選んだのかは自分でも分からない。


「美しい声だ。あなたの旋律は、今までのどんな祝詞よりも、私の心に届くんだ。孤独も世を倦む心も全てを包み込んでくれる」


(普段の祝詞を聞いているの?)


 質問しようとしたところで、男性の様子がおかしくなった。苦しそうに前のめりになる。


「すまない、こんなに魔力を使うとは思わなかった。一度でも、あなたと話が出来て良かった」


 男性が扉から外に駆けだした。私は、慌てて後を追う。月明かりの中、広場に飛び出した男性はその場に崩れた。


「どうしましたか!」


 駆け寄る間に、みるみる男性の身体は大きくなる。長衣が引き裂かれる音が響く。


「――!」


 そこには、銀色の毛を輝かせるウリオンが横たわっていた。

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