依頼主はお城に住んでいるお金持ち

 まだ朝食を終えたばかりの時間なのに、もう外には人がたくさんいた。急ぎ足で行き交う人が多く、気を付けていないと先生とはぐれてしまいそうだ。


「わー、町ってすごいですね」


 昨日到着したのは遅い時間だったから、こんなに人がいなかった。私は小さな村で育ったから、町に来るのは生まれて初めてだ。あまりの大きさにドキドキする。


「先生、世界には町が何個くらいありますか?」

「ん? さすがに分からないな」


 先生が歩く速度をゆるめた。


「まず、世界には国がたくさんある。この国の場合には、更に領地と言われる大きさに区切られてる。ここまでは分かるか?」

「はい、恐らく」

「その領地の中に、町や村がそれぞれ何個もあるんだ」

「ほう、ほう」

「領地の中の町や村の数は、その領地によって違う。ここの領地の場合、町は20ほどあったはずだ」

「そんなに! こんな大きいところが20も!」

「村は、もっと多い。数は覚えていないが50以上はあるだろうな」

「先生、人間ってたくさんいますねえ!」


 先生は声をあげて笑った。


「そうだな、たくさんいるな」

「たくさんいる人間の中で、先生は一番ステキな人間なんですね。すごいです」

「⋯⋯頼むから、本当に頼むから、他の人にそんな事を言うなよ」

「むー。約束できません」


 大きなため息をついて、先生は少し考える。


「分かった。お前が世界中の人間全員と会っても、まだ俺が世界で一番だって思うなら俺も認めてやろう。その後なら、好きなだけ人に触れ回ってもいいぞ」

「あっはー! 分かりました! 私、世界中の人に会いますね!」

「それまでは触れ回るな、ってことだからな!」


 でも私は知ってる。世界中の人に会うまでもなく、先生が世界で一番ステキな人だ。


 先生もこの町には初めて来たそうだ。まだ早い時間なので、二人で町を歩き回る。


「この町はウリオンに守られている、と言われているんだ」


 町のあちこちに、ウリオンが描かれた絵や旗、看板が飾られている。


「ウリオンて狼みたいな、先生の大好きな魔獣ですか?」

「そうだ、よく覚えていたな」


 ウリオンは狼のような見た目の魔獣で、気高く美しい生き物だと聞く。一目でその圧倒的な存在に虜になると言われていて、とても人気がある。


「先生は見たことあるんですか?」

「幼い頃に一度だけ。旅先で山の頂に立つウリオンを遠目に見たんだ。狼とは違う、ものすごい存在感だった。もう一度見たいと思っている」


 先生は遠い記憶を探るように空を眺めた。


「この町で見れたらいいですね。私も見てみたい」


 私の想像の中のウリオンは狼だ。しかも本物の狼は見た事がないから、お母さんが生きていた頃に見せてもらった図鑑の挿絵の姿。それでも、大きな犬よりもずっと怖い顔をしていた。


「依頼を聞いた後に、ウリオンの事も調べてみよう」

「先生、ウリオンに会えたらどうするんですか? なでなでさせてもらう?」

「ウリオンに触れるもんか」


 先生が呆れたような顔をする。


「ウリオンはむやみに人を襲わないとは言われている。でも、人なんて一噛みで殺せるんだ。近くに寄ることなんて絶対に出来ない」

「じゃあ、遠くから見るだけなんですね。どうせなら、背中に乗ってみたかったのに」

「いいな。俺も乗ってみたいな。それは憧れる」


 私はウリオンに乗って旅をする姿を想像した。ちょっとカッコ良いではないか。


 あちこちを見ながら歩きまわるうちに、裕福そうな大きな家が並ぶ場所に出た。どの家も中がほとんど見えないくらい門が高い。お店が並ぶ場所と違ってすごく圧迫感がある。


「依頼主の家は、この辺りのはずだ」


 先生が門に刻まれている家名を見ながら歩く。


「ここだ」


 目的の家は、特に裕福そうな家が多いこの辺りでも目立つくらい、大きな門を構えていた。叩き金を鳴らすと、警備の人間が小窓を開いてこちらを確認する。


「ビーデ村のルーシャス村長から、魔獣で困っているという知らせをもらった」


 先生は警備の人に村で預かってきた紹介状を渡した。警備の人は少し待つように言って小窓を閉じる。塀の向こうには大きな建物の頭だけが見えている。


「大きな家ですねえ。私がいた村の村長の家よりも大きいです。町の村長さんの家でしょうかね」


 村長の家を、とんでもなく大きいと思っていたけれど、この家とは比べものにならない。こういう家の事をお城というのだろうか。


「町には村長はいない。町の責任者は町長だ」

「チョーチョー?」

「そうだ。でも、この家は町長の家ではない。こういう町には、お前が住んでいた村の村長よりもずっと豊かな暮らしをしている人が大勢いるんだ」

「はー、それはすごいですね」


 少し前まで、崩れそうな小屋に住んで野草を食べる生活をしていた私には、想像も出来ないような暮らしをしているのだろう。


「お待たせしました。主人の許しを得たので、今、開けます」


 警備の人が小窓から声をかけてくれ、続いて門が開いた。その向こうには広い庭が広がっている。美しく手入れされた花壇を眺めながら進むと、大きな建物の大きな扉が開かれた。


(うわー!)


 扉の向こうには黒光りする木の床が広がり、奥には2階に続く階段が見える。この広間だけで、村長の家が丸ごと入ってしまいそうだ。古い木の香りがする。


 天井には木の実くらいの大きさの宝石が、たくさんぶら下がって光っている。私が口をあんぐり開けて眺めている事に気付いた先生が、そっと耳打ちしてくれる。


「あれは灯りだ。火を入れるとガラスが光って輝く。美しいぞ」


 天井近い窓からの光で既に輝いている。夜に輝く姿を想像すると心が浮き立った。


「主人です」


 案内してくれた使用人が奥の階段を示した。小柄で少し肥えた男性がゆっくりとした足取りで降りて来た。豊かな口髭を蓄えた姿は、村長よりもずっと立派に見える。


「ああ、よくお越し頂きました。この家の主人のビバリーです」

「魔獣学者のガリードです。こちらは、弟子のフレイナです」


 ご主人と先生は握手を交わし、私は丁寧に礼をした。


 私たちは客間に通され、お茶とお菓子が出される。とても美味しそうだけど、こういう時には先生が口をつけて良いと言うまで我慢だ。美味しそうだけど。


「昔、希少な香草を狙う奴に毒を盛られたことがある」


 先生から恐ろしい話を聞いたことがある。先生が良いと言うまでは飲食物に口を付けるなと言われている。


(美味しそうだけど我慢。がまん、がまん。うー)


 お茶もお菓子も、滅多に口に出来ない。村に住んでいた頃には直接見ることすら無かったし、先生と旅をする今も、食事はするけれど、のんびりお茶を飲んだりする事はない。


(食べたいようー)

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