愛するがゆえに
私たちは黙って、ジュリエッタさんの言葉に耳を傾けた。
ジュリエッタさんがウリオンを愛している。その愛ゆえに、こんな事を引き起こしているという事は分かる。でも、感情を伴って理解する事が出来ない。だから先生に子供だと言われてしまうのかもしれない。
先生に会うために誰かの命を犠牲にすることを想像してみた。駄目だ、上手く想像できない。
(先生は分かるのかな)
先生の横顔からは、どう感じているのかは読み取れなかった。ゾリューは感情の読み取れない冷たい顔でジュリエッタさんを見つめていた。
ジュリエッタさんは話したい事を全て吐き出したようだ。黙って私たちを順番に見つめた。苦しそうな顔で私たちに訴える。
「お願いだから、このまま立ち去って欲しい。そっとしておいて欲しい」
私たちは誰も身動きできなかった。
「あなた達さえ黙っていてくれたら、私と彼とこの子で幸せに暮らせるの。あの男達は私の魂を殺そうとする。私は幸せになるために、身を守っているだけなの。分かるでしょう?」
ジュリエッタさんは声高に言い募る。 先生は厳しい顔つきで深く呼吸をした。そして、はっきりとした口調で言った。
「悪いが、俺には許容できない。俺だって君を苦しめるような男達の事は唾棄すべき存在だと思う。でも命を奪っていいとは言えない」
断固とした口調だけど、先生の顔は苦しそうだ。
「感情として理解出来なくはない。君の幸せを壊したいとも思わない。でも、君も俺も人間の社会で生きている。俺は断罪する立場に無い。然るべき所で、人が定めた法律に従って欲しい」
全てを依頼人に告げるということだろう。ゾリューを見ると彼は痛ましげな目でウリオンの方を見つめていた。
「嫌よ、絶対に嫌! 私はこの子を幸せにするの! 黙っていてくれないなら、あなた達の口を閉じ⋯⋯」
バタン、大きな音と共にジュリエッタさんの家の扉が勢いよく開き、大柄な男性が転げるように出て来た。
「俺に何を飲ませたあ! 金を奪うつもりか!」
男が血走った目で喚き散らし、辺りを見回した。
「女、どこだ! どこに行った!」
「時間をかけすぎたわ!」
ジュリエッタさんは動揺したように、ウリオンの毛皮に縋りついた。男はジュリエッタさんと、その後ろに控えるウリオンに目を留めた。そして、数歩後ずさる。
「なんだ、それは?! 獣?」
男は辺りを手で探る。
「動くな! じっとしていろ!」
先生の制止の声は、男の耳には入らないようだ。
「ウリオンだな! こいつがウリオンだな!」
男は辺りを見回してから、よろよろと走ると家の横に積まれた薪の山から、小ぶりの斧を引き出した。それを目の前で何度も振る。
「来るな、あっちへ行け!」
「やめろ、斧を置くんだ!」
先生が必死に叫ぶ。ウリオンが視線を男に向け、少し身を縮めた。
(殺されちゃう!)
ウリオンの気を逸らせたい。その一心で私は祝詞を口にした。
『かのみを たかみかしこみ
あまたのわざわいも いきはばかり――」
思ったよりも声が響き渡り、ウリオンが一瞬こちらを見た。その時。
「うわああああーーーーー」
男が手斧をウリオンに向かって投げつけ、それは弧を描いてジュリエッタさんの胸に吸い込まれた。
「ぎゃああっ」
ごぼり、と血を吐いたジュリエッタさんは仰向けに倒れる。ウリオンはその体を腹で受け止めた。
「ジュリエッタさん!」
先生と私はジュリエッタさんに駆け寄った。斧の刃は胸から首にかけて深々と突き刺さっている。
「くそっ! 場所が悪い!」
先生がジュリエッタさんを地面に寝かせると、上着を脱いでジュリエッタさんの胸を押さえた。ジュリエッタさんの呼吸と共に大量に血が流れる。
「先生、斧を抜いたほうがいいんじゃ?」
おろおろとする私に先生が厳しく言う。
「駄目だ!余計に出血が増える」
みるみる間にジュリエッタさんの顔色が真っ白になって行く。ジュリエッタさんは先生の腕を掴んだ。
「お願い、赤ちゃんを助けて」
ウリオンはさっと身をひるがえして男に飛び掛かり、ひと噛みして人型になった。ゴキッという鈍い音が私の耳にも届いた。遠目にも、男の命の炎が消えた事は明らかだった。
「ジュリエッタ!」
ウリオンだった男性が駆け寄って来て、先生を突き飛ばすようにしてジュリエッタさんを抱きかかえた。辺りに流れる血の量が尋常ではない。もう助からない、私にも分かるほどだ。
「ジュリエッタ、駄目だ。駄目だ!」
跪いたウリオンがきつく彼女を抱きしめた。その間にも彼女からは血が流れ続ける。
「やめろ! お前が死ぬぞ!」
駆け寄って来たゾリューがウリオンの肩を強く押さえた。先生が怪訝な顔をする。
「人間は魔力を注がれても回復しない、彼女はもう駄目だ、あきらめろ!」
ゾリューがなおも強くウリオンの肩を掴んで揺さぶるが、ウリオンはジュリエッタさんを抱きしめたまま動かない。
「私、本当にあなたを愛してたの。一緒に過ごせて幸せだった」
ジュリエッタさんが、何度も血を吐きながらか細い声でとぎれとぎれに言った。
「⋯⋯ありがとう」
絞り出すように言うと、ごぼり、と大きく血を吐き出して彼女の体から力が抜けた。
「ジュリエッタ、ジュリエッタ! 行くな、頼む! 私を置いて行くな! 君の歌声を聴かせてくれ!」
ウリオンが必死に抱きしめたけれど、もう彼女の身体は動かない。
「ウリオンが!」
人型を保てなくなったのか、みるみるうちに銀色の獣の姿に変わって行く。毛皮が赤い血を吸いこむ。
「やめろってば! もう死んでいるんだ、無駄だよ!」
ゾリューが言い続けるがウリオンは何かを続けているようで、やがて倒れて動かなくなった。
「ゾリュー、どういうこと!?」
私の悲鳴のような声に、倒れたウリオンを見下ろしたゾリューは静かに言った。
「こいつは、ジュリエッタに自分の魔力を注いで助けようとしたんだ。あれほどの傷を負った人間は助けることが出来ないのに」
ウリオンは静かに横たわっている。
「ウリオン、死んじゃったの?」
私はあわててウリオンを確かめた。目は閉じているけれど、お腹がかすかに上下している。まだ呼吸をしているように見える。
「魔力を限界まで使いすぎたんだ。このままだと死ぬだろうね」
「私の魔力をあげれば助かる?」
ジュリエッタさんが、鼻に手を押し当てて魔力を吸ってもらったと言っていた。私はウリオンの鼻先に手を当てた。
「フレイナ、やめろ!」
先生が私の腕を押さえて厳しい顔で言う。
「魔力を大量に吸われたら、お前が危ない!」
「先生、放して! だって、ウリオンが死んじゃう!」
ゾリューが冷たい顔で私を見る。
「なぜ、君は何の関係もないウリオンを助けようとするんだ?」
(なぜ?)
「ジュリエッタさんが悲しむから。ジュリエッタさんの、あの美しい祝詞を覚えているウリオンがいなくなったら、あの祝詞も無くなっちゃう気がするの。ジュリエッタさんは、きっとあれを覚えていて欲しいと思う」
ウリオンが目をかすかに開いて私を見た。『あの美しい歌を永遠に残したい』ウリオンがそう言った気がした。
「じゃあ、私の魔力をあげる」
私はウリオンに向かって言うと、先生に掴まれていない方の手を鼻先に差し出す。
「駄目だ、止めろ!」
先生が私を後ろから抱き抱えるようにしてウリオンから引き離そうとする。
「先生、放して! お願いです! 先生だってウリオンを助けたいでしょう?」
「助けたい! でもお前の命を引き換えにする事は望まない! きっと何か他に方法が――」
「フレイナ」
ゾリューの凛とした声が響いた。私も先生もビクっと動きを止めた。
「君は本当に、この獣を救う事を望むの?」
ゾリューが冷たい顔のまま私に言う。表情とは裏腹に注がれる視線が熱く、私の心は焼かれるような痛みを感じる。
「望みます!」
「君の魔力を引き換えにしても?」
「はい、私の魔力を引き換えにしても、助けたい!」
ゾリューは軽くため息をつくと、私と先生に近づいた。そして私を抱える先生の手にそっと触れた。先生の腕がゆるみ、身体が敷き詰めた石の上に崩れる。
「先生!」
ゾリューは屈もうとする私の腕を優しく取った。
「眠らせただけだから、大丈夫」
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