第5話 そうですよね、ふさふさですもんね。
髪を守る。
それはその、金の天使の輪がキラキラと眩しいイェルド様のサラサラのストレートヘアのキューティクル的なものを維持せよ、ということなのだろうか。と、くすんだ緑の髪色でややくせ毛気味のアンナは首を傾げた。
雨の日などは四方にうねって広がるので直毛には憧れがある。
自分では味わえない髪のサラサラ感や、長い直毛をしゃらんらとそよがせる人を街で見るたびきゅんとなることはあれど、「守りたい、そのストレートヘア!」と使命感に燃えたことなどただの一度もない。
さらに全く知らない直毛に対していきなりそれを実行するなど、そんな変態じみたことをした覚えも全くない。アンナは常識ある
なのになぜアンナにそんなことを頼むのか。
「とまどうわよね、ごめんなさい。つい気持ちがはやってしまったの」
公爵令嬢に謝られる男爵小娘など社交界では生きていけない。
本日何度目かの「おやめくださいー」を心の中で繰り返しながら、アンナはうすらぼんやりした紺色の目から力を抜いた。俗に言う「死んだ魚のような目」というやつである。
その死んだ魚に、キラキラと黄金色に輝く瞳を向けてエレオノーラ様が続けた。
「実は、兄の頭髪は呪われているのです」
「……っ!」
それはもしや、歳をとるにつれ頭髪が寂しくなっていく現象が先祖代々続いていているやつ――「魔王によって、呪われてしまったのです」――と、いうわけではないようだ。
そうですよね、ふさふさですもんね。
イェルド様の豊かな髪を見つめる死んだ魚に、エレオノーラ様は生命力の塊のような眩しい気配を振りまきながら説明を続けた。
エドガー様が魔王に最後の一撃を入れる直前に、魔王が最期の悪あがきとばかりに凶悪な呪いを放ったこと。
呪いはエドガー様が神の祝福を得た聖剣で大部分を切り裂き消滅させ、さらに間髪入れずに魔王のことも斬り伏せたこと。
しかしわずかに残った呪いが密かにエレオノーラ様の陰に潜んで、迷宮から地上に出てきてしまったこと。
その呪いが、負傷を癒すために駆け付けたイェルド様に向かって飛び出したこと。
それを避けようとしたイェルド様と、呪いの気配に気付いて切ろうとしたエドガー様とが不運にもぶつかり、体勢を崩したイェルド様の頭に呪いがべったりと張り付いてしまったこと。
「そしてその呪いが実は、〝世界を滅ぼす呪い〟だったのです」
エレオノーラ様がしゅんと下を向くと、エドガー様もしゅんと下を向いた。責任を感じているらしい。
先ほどまでエレオノーラ様の話に補足する形で、魔王討伐の状況をまるで劇団員のように声を張り(美声)、ときに拳を振り上げて(インク壺が机から薙ぎ払われた)弁舌を振るっていたはずなのに、心の底から反省した顔をしてイェルド様の後ろに立って大人しくなった。
室内に沈黙が落ちると、国王陛下が立ち上がり床に落ちたインク壺を拾い上げた。
びっくりして立ち上がり中腰になったその他の面々を制し、陛下はインク壺を手の中で弄びながら口を開いた。意外と所作が庶民的である。
「正確にはその呪いは〝呪われたものを傷付けると世界が滅びる〟というものだ」
しかし告げられた言葉は世界規模だった。
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