第27話 結末が欲しい

 王都生まれ王都育ちのイェルド様に田舎の特性を説明すれば、彼は意外なことに苦笑とともに「わかります」とうなずいた。


 「ともに戦った仲間のなかには、そうした事情により駆け落ち同然で王都に来た者がいますので」


 サクッと小気味良い音をさせてクッキーを食べたイェルド様は、けれど、と眉をひそめた。


 「アンナさんの元婚約者は、魔王討伐隊に徴兵される予定も、志願する予定もなかったと記憶しています」


 「あ、はい」


 元婚約者、オリヤンには魔法の発現はなかった。剣で畑を荒らす獣を追い払うくらいはできるが、魔物と対峙して勝つほどの腕前はない。

 田舎貴族の夫としておおらかに社交する腕はあっても、特に医学などの専門知識があるわけでもなく、諜報活動などの特殊な任務に適した特性があるわけでもない。


 魔王の侵略がもっと進み、国民全員で魔王に突撃という事態に陥らない限り徴兵されるような人材ではなかった。

 そして戦いに自ら志願するような性格でもない。


 「妹さんもそうですよね?」


 確認するように問われて、アンナはうなずいた。


 女性といえどエレオノーラ様のように能力があればさっさと戦場に放り込まれる戦時下において、妹はオリヤンよりももっと兵役に適さない。おしゃれや美容には人一倍敏感だがそれは戦いになんら関係ない能力だし、舞踏は好きだが武闘には全く興味がない。


 「では出兵のために明日をも知れぬ身でまだ見ぬ子に未来を託した彼らとは、根本的に違うのではないですか?」


 赤いスペードが乗ったクッキーを手に取ったイェルド様は、アンナの隣でひやりとした空気を発した。


 「彼らはアンナさんが身を粉にして働いていた裏で、ただ浮気をして子をなしただけ。王都の神殿に訴えてまで必死になるのは、子のためではなく世間体のため」


 結婚していなければ親が戦いで亡くなっても子は財産を受け継ぐことができない。だから王都に来た彼らは結婚式というよりも、結婚にこだわった。

 田舎で否といわれても、考え方がさまざまある王都であれば許されるのではないかとすがる思いで王都に来た。


 「魔王との戦いの最前線で命を落とすかもしれなかった彼らの事情と、妹さんたちの事情は全くの別物です。同じように考えては失礼ですよ」


 イェルド様の言葉は鋭く冷たい。まるで真冬の氷のようだった。

 アンナは混同していた自分を恥じて目を伏せた。


 「自分たちの住む地域が規律と順序を重んじることを、彼らは知っているのです。有事であり生死のかかった事情があったのならば多少は理解はされるでしょう。ですがどんな時でもただの不貞が祝福されることはないと思いますよ」


 婚約とはいわば契約である。

 アンナとの契約を通告なく一方的に破ったこともすぐに知れ渡るだろう。なんといっても結婚式に呼ぶ予定の人たちはみんな顔見知りなのだ。


 契約に対しての意識の甘さは、家同士の信頼関係を損ねる。きっと周囲の人間はセーデン男爵家やユーン伯爵家に対して不信感を抱くだろう。

 そのツケは、今の当主である父親たちや次期当主夫妻となった妹たちが払うのだ。


 「でも生まれてくる子供に、罪はないんですよね……」


 芝居や物語でよく聞く言葉を自分が言うことになるとは、アンナは思いもよらなかった。

 使い古されて擦り切れそうな言葉だけれど、この状況にこれ以上当てはまる言葉もない。


 書類の焼失は彼らのせいではないが、それ以外のことは全面的に彼らの自業自得である。必死になって体裁を整えようとしている両親や、アンナに対して沈黙を貫く元婚約者の実家であるユーン伯爵家も社交界では当事者以上に冷たくあしらわれるだろう。

 けれど妹のお腹に宿った新しい命に、いったいなんの罪があろうか。


 周囲の人たちに祝福されないのは妹たちの身から出た錆だが、まだ生まれてもいなかった頃のツケを支払うことが決定づけられた子供が哀れでならない。だから……


 「妹たちが結婚式を挙げることになったら、行ったほうがいいんじゃないかなって思いました……」


 クッキーが盛られたお皿の横に所在なげに置かれた金箔の散った封筒を見て、アンナはぽつりと言った。


 結婚式が妊娠中か、それとも出産後になるかはわからないけれど。


 「正直、妹たちを祝福はできません。でも結婚おめでとうは言えなくても、甥っ子か姪っ子かわかりませんが、〝お誕生日おめでとう〟って、無事に生まれてきてくれたことを祝福するべきだとは思うんです」


 迷いはある。


 アンナなりにオリヤンを愛していた。だけどよりによって妹と浮気をして子供まで作られたら百年の恋も冷めてしまった。今では彼への愛情はきっぱり無くなったから、オリヤンを取り返したいとか嫉妬といった感情で式へ行っても取り乱すことはないだろう。


 けれど彼らがアンナの愛情を土足で踏み躙ったことへの憤りはある。


 アンナの感じる迷いとは、その憤りによってはたして妹たちと再会したときに冷静でいられるだろうかというものだ。まるで邪神教徒のように、死なば諸共という暗い感情を抱いてしまうかもしれない。


 今、口では綺麗なことを言っていても、その淀んだ感情が妹たちの子供に向いてしまわないだろうかという不安もある。


 しかし負の感情を爆発させるにしろ、それはそれとちゃんと区別して子供を祝福するにしろ、どっちにしても会わなければ結末を得られないだろう。

 出会い頭に斬られるように一方的に通告されただけでは、こちらとしても感情の持っていきようがないのだ。

 向こうだけが〝婚約者の変更と結婚〟や〝次期当主の変更〟といった彼らの望む決着を得られた状態は不公平だ、と唇をとがらせぐずぐず言うアンナがいる。


 だからアンナだって結末が欲しい。

 自分が望むような結末ではないかもしれないが、今のままではその望まぬ結末すらアンナには与えられていないのだ。


 そうして結末を求めた結果、もしかしたら家族からアンナに対する謝罪や気遣いの言葉をもらえるかもしれないとも思う。


 「……それでいいと思います。恨むのも、許すのも、祝うのも、アンナさんが心からそうしたいと思うのならするべきです」


 イェルド様は宝石のように美しい瞳を静かに伏せて、穏やかに続けた。


 「どんな選択をしたとしても、私はいつだってアンナさんの味方ですよ」

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