第4話 なぜ!

 紙の上をよたよたと走るペン先から、悲鳴のようなか細い音がする。


 それが聞こえてしまうのは、アンナを見守る偉い人たちが無言だからだ。それがまたアンナの不安をあおり、紙の上にお漏らししたみたいなインクだまりを作ってしまう。

 

 「では、わたくしから説明いたしますわね」


 アンナがほとんど泣きながらサインを書き終わるのを待っていた偉い人たちの中で口火を切ったのは、いつの間にか隣に座っていたラーゲルブラード公爵令嬢のエレオノーラ様だった。


 つい昨日行われた〝救世の英雄〟の凱旋パレードで遠くから見ていた彼女たちを、まさかこんな近くで見ることになるとは思わなかった。

 ラーゲルブラード兄妹は輝いていた。めちゃくちゃに美しかった。平民たちが精一杯の感謝と祝福をこめて作った紙吹雪と商家が奮発して飛ばした風船が舞うなかで、兄妹の金髪は本物の金のようにキラキラときらめいていた。


 くすんだ緑色の髪とぼんやりした紺色の目をしたアンナと比べると、同じ人類かどうか怪しいな……と遠い目になる。そのくらい二人は輝いていた。


 そんなエレオノーラ様が、鈴の音を転がすような声でアンナに言った。


 「お願いです、セーデン様。どうか兄のかみを守ってください」


 「かみ……?」


 神か! と思って王都神殿の司祭様を見ると、なんとも言えないお顔で首を振られてしまった。

 違うらしい。


 まあ当たっていたとしても、ただの田舎娘に神様を守れる自信などないのだが。


 兄というからには、テーブルを挟んでアンナの向かいに座っているイェルド様のことなのだろう。しかしこの方は〝救世の英雄〟の一人である。確かに使う魔法は直接の戦いには向かない治癒魔法だが、魔王討伐に派遣される前から、剣の腕前は近隣諸国にまで鳴り響いていたはずだ。


 〝たんぽぽのよう〟と評されるアベニウス王国民の中にあって、実に武闘派なたんぽぽなのである。


 「あの、申し訳ございません。かみ、とは……」


 ラーゲルブラード公爵家といえば王家の血をひく尊いたんぽぽである。そこらへんに転がっている小石のような男爵家とは違うのだ。

 それなのにその尊い令嬢が言っていることを理解できない。尊すぎるからだろうか?


 「髪です。わたくしの兄の、頭髪を、どうかセーデン様のお力でお守りください!」


 「と、とう……はつ……頭髪!?」


 なぜ!


 バッと視線を向かいに座るイェルド様の頭に向ける。

 アンナの勢いにつられたようにエレオノーラ様が、そして上座に座った国王陛下をはじめ偉い人たちもいっせいにイェルド様の頭に注目した。アンナの六つ年上というイェルド様は、偉い人たちの凝視にも泰然としている。


 そんな彼の美しい金髪が、魔法で浮かぶ照明の光を受けてキラキラと光った。


 「ラーゲルブラード公爵子息の、髪を、守る……?」


 アンナがそう呟くと、尊くて偉い方々がうなずいた。さらにアンナにも深くうなずいてくれた。

 よくわからないけどアンナもつられてうなずいた。


 しかし貴いたんぽぽたちがうなずいている意味が、アンナにはさっぱりわからなかった。


 たぶんアンナが小石だからだろう。生物とは相容れないのだ。

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