第17話 五年間

 なぜいきなり婚約をすっ飛ばして結婚なのか。

 なぜアンナに一言もなく決まったのか。


 いくつもの〝なぜ〟が頭の中を埋め尽くす。


 何よりも、なぜ、妹の結婚相手が自分の婚約者なのか。


 もしかしたら同姓同名の別人なのかもしれない、なんてありえないことを真剣に考えるくらいに動揺した。


 「説明……を、してほしいのだけれど」


 テーブルに手紙を置いた。

 紙に散った細かくて薄い金箔が、窓から差し込む昼過ぎの白い光に照らされてチカチカと光る。


 両親はなぜか肩の荷をおろしたような、ほっとしたような顔をしてソファに深く座りなおした。もしかしたら彼らは、アンナが手紙の中身を確認した瞬間に泣いて暴れることを警戒していたのかもしれない。

 そんな両親の態度とは逆に、アンナは自分の感情が静かに沈み、表情が硬く強張ったことを自覚した。


 外は日差しがきついらしい。窓辺に微動だにせず立つ騎士から影がすうっと伸びて、アンナの表情を暗く隠した。


 「カロラは、誰と、結婚するの?」


 アンナの低く震えるに、両親は戸惑ったようにお互いに顔を見合わせた。


 「手紙を見たならわかるでしょう? オリヤン君よ」


 「どうして? オリヤンは私の婚約者よ? なぜカロラと結婚なんて……」


 「だって……」


 アンナのかすれた声に、母が困ったように頬に手を当ててため息をついた。そうして父を見る。

 父は母の顔を見て、やはり困ったような顔をして咳払いをした。


 「お前はオリヤン君を突き放して王都に行ったきり、五年間、一度も帰ってこなかっただろう。五年だぞ?」


 「そんなに長い間オリヤン君をほっといて、婚約者だなんて胸を張って言えるの? むしろ今まで彼はよく我慢してくれたと思うわ。我が娘ながら薄情で申し訳ないくらいよ」


 両親が何を言ったのかよくわからなかった。いいや、わかりたくなかったのかもしれない。


 だって両親は、テーブルの向こうに座った人たちは、アンナの王都での五年間を不実の証だとなじったのだから。


 「突き放すって、なに? いつもちゃんとオリヤンに手紙を出していたわ。誕生日やちょっとした記念日のプレゼントを欠かしたこともないし、放っておいたりなんか……」


 「でも普通は顔を見せるのよ」


 「この五年間、オリヤン君は何かと我が家を気にかけていつも顔を出してくれたぞ。もしかしたら今日はお前が帰ってきてるかもしれない、顔を見られるかもしれないってな」


 「でもアンナ、あなたは一回も帰ってこなかったでしょう? 私たち申し訳なくって。そしたらカロラがあなたの代わりにオリヤン君をもてなしてくれたのよ。あの子も年頃だし、あなたは帰ってこないし、……まあ、仕方がないわよ」


 「……わ、私は、」


 唇が震えた。

 腿の上に置いた手の平は強張って、喉の奥がぐっと引き攣れるように細く震えて痛んだ。


 「私は、その、帰る家を守るために、王都で働いていたのよ……?」


 帰らなかったのではない。

 帰れなかったのだ。


 アンナが仕事を放りだして領地に帰ってしまったら、雨漏りした実家の屋根の修理代は誰が出すのだ。

 妹が汚した絨毯を買い替えた代金は? 両親が社交のために購入した服のお金はいったいどこから出たと?


 魔物の瘴気で汚れた薬草畑を浄化するために、退魔の魔法使いを雇った代金は?

 壊れた水路の補修工事の費用は?

 領民たちの共有財産である大型農具だって買い替えなくてはいけなかったし、魔物に襲われた時に薬草畑で働いていて亡くなったり怪我をしてしまった領民への見舞金を誰が払ったと思っているのか。


 「帰りたかったわよ、私だって……っ。でも仕事を休んでお給金が減ったら、領地を立て直すことができないじゃない!」


 それらが全部滞ってしまったら、領地を管理する能力なしとされて爵位の返上を迫られるかもしれなかったのに。


 「お父様もお母様もカロラも、私が王都で働かなかったら領地も住む家もなくすところだったのよ?! オリヤンだって婿入り先がなくなって困っただろうし、だから帰りたくても帰れなかったことは、みんなもわかってたじゃない!」


 怒鳴りたくはなかった。冷静に話し合うべきだとも思った。どうしてこうなったのかの経緯を順序だててきちんと説明されれば、感情は納得できなくとも理性では妹と婚約者の結婚を祝福もできるかもしれないと思った。


 「でもそれって、五年も必要だったの?」 


 けれど冷静になるために気持ちを押さえようとしたアンナの努力を、両親は全く斟酌しんしゃくせずに踏み潰す。


 「こんな生活をこれからも続ける気なのでしょう?」


 「お前は領地持ちの貴族の娘で、次期当主だったんだぞ。我が家は王都で王城に仕える貴族じゃない。領地を持つ貴族は領地にいるべきだ」


 「だから私は、その領地を守るために……」


 呟いて、ハッとした。

 父はアンナのことを次期当主と言った。


 二人はアンナが気がついたことを察したのか、少しだけ気まずそうに視線を外すと早口で告げた。


 「お前は王都で仕事をするのが好きなんだろう? なら私たちは止めないさ。ただしセーデン家はカロラが継ぎ、オリヤン君が支える。次期当主変更の書類はもう正式に受理されたから、今まで通りの体制でやっていけばいい」


 「無理に帰ってこいなんて言わないわ。あなたのたった一人の妹の晴れ舞台なのだから、できれば結婚式には出席してほしいけれど……」


 「それは、」


 アンナは喘ぐように息継ぎをした。


 「今まで通り王都で仕事をしろ。だけど家は継がせない。私が王都で稼いだお金は、妹と元婚約者が継いだ家のために使えって、そんなの……奴隷と何が違うの?」


 「人聞きの悪いことを言うな! ただ家族のためにそのほうがいいだろうと……」


 「家族? お父様たちの言うのあり方って、あまりにも、私に対して思いやりがないんじゃないの……?」


 化粧っ気のない紺色の瞳からあふれる涙をぐいっと拭って、アンナは眉をひそめる両親を見据えた。


 「だいたい、どうして婚約ではなく結婚なの? どうして私に黙って次期当主の変更をしたの? 婚約者を変えるにしても、オリヤンやユーン伯爵家から私に一言あってもいいんじゃないの?」


 領地のためを思って仕事をしてきた。ホームシックになって泣いたことだって何度もある。

 稼いだお金は全部実家に送っていたから、アンナはこの五年間ろくに自分のためにお金を使っていない。


 爪に火をともすような生活を選んだのは確かにアンナだ。いちいち感謝しろと、そんな傲慢なことは思わない。次期当主としてすべきことをしていた結果の貧乏暮らしだ。けれど、


 「どうして私はそこまで、家族に、みんなに……っ、ないがしろにされなきゃいけないの?」


 「ないがしろだなんて、そんなひどいことを言わないで。アンナ、落ち着きなさい」


 駄々っ子をなだめるような母の声に、アンナはまたひどく傷つけられた気がした。

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